考える練習

舞台やイベントの感想など

感情が乗る/乗らない

末満作品には、私の感情が乗らない。
他にもあるのかもしれないけど、今のところは末満作品だけ、際立って乗らない。
そのことに初めて気がついたのは悲伝だった。

この感覚を説明するには「感情が乗らない」という表現が一番しっくりくるのだけど、一般的な表現に言い換えるなら、「共感できない」あたりが近いだろうか。キャラの心情に私の気持ちが寄り添えない。普段、舞台観劇をする際には各キャラの心情に寄り添い、共振して震えを感じ取るような感覚で感情を味わっているのだけど、その共振ができない。

悲伝も最初は気づかなかった。話がわからないので、せめて感情移入してカタルシスを得ようと思い、いつもよりも意識的にキャラに寄り添おうとして気づいた。できない。なにか、弾かれるような感じがある。

意識的に寄り添うことで、共振できたシーンもあった。それでもいつもに比べれば全然。その時は悲伝だけなのかと思っていた。

しかしその後「TRUMP」(の reverse バージョン) を見て気づいた。心が動かされない。話は面白いが、登場人物の誰に対しても寄り添えない。共振できない。その分、他人事を眺めている感じが強く、誰がどんなひどい目に遭おうと、大変そうだなぁとのんびり眺めていられたが、不思議な感覚だった。true バージョンを見、SPECTER を見、LILIUM を見、グランギニョルを見た。同じだった。

見る過程で思い出したのは、ジョ伝でも共振できず、意識的に共振しにいったことだった。山姥切の慟哭にいまいちうまく乗れないなぁと思ってはいたが、その時はたまたまだと思っていた。(悲伝の手合わせの山姥切にも同じく乗れないのだけど、明治座楽の時は乗れないのにすごく伝わってきて、あれもまた不思議な感覚だった)

何が原因なのかはわからない。

他の作品でもこの現象に行き当たれば比較して何か発見できそうなんだけど、感情が乗らない=舞台を見る上での楽しみが減ることを意味するので、行き当たりたいような当たりたくないような…(笑)

2019年の目標・推し事ルール的なもの

あけましておめでとうございます!

昨年の振り返り記事まだ書けてないんですけど()、流行りには乗ってみる精神で今年の目標について。

〇オタ活ルール

我慢することを覚える、でも推しに関しては我慢しない

オタ活に費やしてる費用が高すぎるので、減らしたい…でも闇雲に減らそうとするのはストレス溜まって逆効果だよなぁ…というところから考えたルール。

推しが出てない舞台やイベントは控えめにしつつ、推しが出てる舞台やイベントに関しては我慢しない(これまで通りにする)ことでトータルで減らそうという戦略です。

具体的にはnot推しの現場は軽率に追いチケ、遠征しない。推しが出てるかどうかとか気にせず、いいと思ったら増やす、遠征するのを去年やってみて楽しかったんですけど、やっぱりお金かさむなって(当たり前体操)。

新年ひとつ我慢しまして、現在進行形でもうひとつ我慢中です(笑)


推しに関しては我慢しない、は実はダブルミーニングになっています。

ひとつ目の意味は推しが出演する舞台やイベントは我慢しない(これは今まで通り)。ここを我慢したらめちゃくちゃストレスフルになると思うのでここはひとまず削らない。

去年を振り返ってみると、2日前にMC決まった某イベントと映画の舞台挨拶(外れた)以外、全ての舞台・イベントに行ってることに気づいて自分でびっくりしたんですけど(舞台は1作品あたり最低1回行ってたら行ってるとカウント)、これだけのために遠征とかあほなことしてるな~とか思っててもやっぱり推し見ると身体の中から喜びがわきあがってくるというか(?)、単に楽しい・テンションがあがるだけではない、何か芯の部分で癒される感じがあるので、今年もそのままでいいかなと。

まぁぶっちゃけ我慢できる気がしないので削らないことにしました(あかんやん)。でも舞台に関しては入る回数はちょっと考えるかも…しれない…(望み薄)。


もうひとつの意味は推しだからといってなんでもかんでも追おうとしない。
主に特典や円盤、ランダム系ですね。推しが出てるからといって、円盤や雑誌をとりあえず買うとか、特典やランダムはとりあえずコンプするみたいなのをやめようと思っています。

実は去年の夏頃から一部そうしていて、すぐに「OK!お金出す!」じゃなくて、かかるコスト(単純に金額だけではなく手間も含めて。ランダム系の場合は予想コスト)とそれをどのぐらい自分が欲しいかをちゃんと吟味して、今回はここまでとか、これは買わないとか、決めてみるようにしたところ、自分で自分のお金のコントロールができてる感があって精神的によかったのと、今のところ、後悔が発生してないので、今年もこの方針でいってみようと思っています。

〇オタ活以外での目標

スケジュール管理をちゃんとする

最終的に睡眠を削って間に合わせるのはやめたい…。具体的にどこをどう改善するかはまだ練れてません。というか毎月、ここがよくなった、ここはこうしようみたいな小さい改善点を見つけてやっていくべきかも。

はじめてのプレゼント

どうせいっぱいもらうだろうしなぁというのもあるし、そもそも何をあげればいいかわからないというのがあり、これまで推しに対してプレゼントを贈ったことがありませんでした。

クリスマスも誕生日も今回もスルーかな~と思っていたところにこちらの note が目に入りまして。なるほどなぁ…と思い、プレゼント贈ってみようかなとなりました。
note.mu

途中から有料なんでまわしものみたいになるけど、書き手さんは別に知り合いとかではないです(笑)

プレゼントを何回か贈ったことがあり、方針がある程度できてきている人には特に目新しい情報はないかなと思うんですが、私のようにプレゼントを贈ってみたいけど何を贈ればいいか見当もつかない、とりあえず稽古着とかが無難か?みたいなガチ初心者には、こう考えればいいのかっていう一つの指針が手に入る感じがします。

それで、考えて思いついた候補が2つあって、どっち贈ろうかなと悩んでました。
片方が比較的お値段安めで無難、まぁもらって困る人はいないよねっていうやつ。
もう片方はそれに比べるとお値段高め、もしかしたら盛大に好みを外して使ってもらえないかもしれない、けど前に自分が買ってみてよかったな~と思ったメーカーの品物で、(そのジャンルの)品物自体は推しは使うはず、というもの。

値段がわりと違うのもあり、最初は無難な方を贈ってみて、自分がどういう心境になるか確認してからかな~と思ってたんですが、贈りたいもの贈った方が楽しくない!?と思って後者にしました。注文の確定ボタンをクリックするのにすごいドキドキしたよね…。あらためて品名とか間違いないか確認して、一呼吸して、えいやっと注文確定しました。

品物は届いたので、あとは持っていくだけなんですけど、いまさらに持っていくの恥ずかしいなぁ…とか思ったりしています。いやでも買ったからな!持っていくぞ!

刀ステ新作に対してテンションがあがらない話[12/25追記]

2019年には新作やるだろうなとは思ってたので、発表聞いて思ったのは「でしょうね」だったんですけど*1、まったくテンションがあがらなくて、自分でびっくりしました。推しが出てるから悲伝に関してもできれば甘い評価をしたいんですが、メインストーリーが駄目だと駄目らしいです。メインストーリー以外は大好きなんですけどね…物語ってこういうとこ不便ですよね。メインが駄目だと他の要素がよくても全体として駄目になってしまう。


これまでは「次回作も推し出てくれるかな~♪」でしたが、今は推し回避を願う日々です。何がしんどいって、仮に次回作がおもしろかったとしても、また「集大成」として悲伝みたいな作品にたどり着かれる可能性があるんですよね…。虚無作品に向けてマラソンする日々が始まってしまう…。

単に悲伝が難しいだけだったなら、さんざん考えてどこにつまっていたかわかったので、もう大丈夫だとは思うんですが、悲伝、ただ難しいだけじゃなくて、いざわかってみたらめちゃくちゃ気持ち悪い話だったので、またそういう話見ないといけないんだとしたらつらいな~という。とはいえ推しが出るなら見ないという選択肢はないので、出ないといいなぁ…。また気持ち悪い話見るのやだよぅ。最悪おもしろくなくてもいいから気持ち悪い話だけは回避してほしい(切実)。



……で、ここからがある意味本題。

あまり言葉を選んでいないので悲伝が好きな方はお気をつけください。

なんかいい話風に演出されてるけど、悲伝の三日月、わりとクズじゃない? クズという言葉がきつすぎるなら、残念な人。正直あまりにもひどすぎて、三日月がいなくなる方がハッピーエンドだと私は思っている。

一番のターニングポイントである燭台切光忠を刺してしまうシーン。刺す必要あった??「ああしなければ止まらなかった」って言わせてるけど、他にもやりようあるよね?? まだ三日月と燭台切の実力が拮抗していて、三日月も余裕ないのなら思わず刺してしまったというのはわかるんだけど、三日月、「やれやれ」って感じに首を振る描写があるんですよ。切り結んでる最中にそれだけのことができる余裕があるならもっと他に止め方あったよね?? 案の定山姥切に目撃され、いらぬ不和を招き入れる三日月。

しかもこれ、本当にあほだな~と思うのが、初回じゃないんですよね。燭台切とこうして刀を向け合うの、どうもループのたびにやってるっぽいんですよ、三日月のセリフによると。なんで何度も同じシチュエーションに遭遇してて取る手段がこれなの?? 三日月が人を傷つけることをなんとも思っていないサイコパスか判断能力が弱った人、もしくは学習能力がない人じゃなければ、この選択肢はありえない。

その後も、えええってなるシーンが続く。「俺を折るのではなかったのか!」って煽るんですけど、何をしたかったのか謎。えっとこうなったのあなたが原因ですよね…?っていう…ドヤる前に言うことあるやろ…という気分になってしまう。悪役になりたいならなんか中途半端だし、まさかとは思うが、自分の強さを誇示したかったのか??っていう感じすらあって、なんともいえない。

まぁ刀解命令がくだった後はもう何をどうしようが覆せなくなるので、山姥切との約束を果たすためだけに生きているのかもしれないけど、それならそれでいらんことすんなよ…という…。


うがった見方をするなら、こうして撹乱することで成し遂げたい真の目的があるのかもしれないが、基本的に信頼されている状態の方がいろいろ動きやすいはずなので、そのためにこの支離滅裂な行動を取ってるんならそれもまたアホすぎる話である。まじで三日月、何がしたいんだ…。


私はとうらぶはそこまでヘビーユーザーではないので、数人の思い入れのあるキャラをのぞいては、特にキャラ解釈は持っていない。なので、私が知らないだけで、この行き当たりばったりで考えなしな三日月、実は公式設定なのかもしれない。もしそうなら申し訳ないなと思うが、そうでないなら、悲伝の三日月はあまりにもクソすぎる。

三日月自体には思い入れはない(のでどういうキャラでも構わないといえば構わない)のだけど、推しが演じるキャラクターが慕う存在として、もうちょっと賢いキャラであってほしかったなと思う。


まぁやらかすのが山姥切だったら全然違う感触になるだろうな~と思うので、三日月が好きな人がこの話好きなのはわかる気はするんですよね。散々ひっかきまわしてやらかしてもまだ信用してくれる本丸メンバ、本当に三日月のことを愛しているんだなぁって感じるので、自分の好きキャラがその位置にいたらめちゃくちゃ楽しいと思う。

[12/25 追記] あらためて考えてみると、好きキャラだった場合、馬鹿な行動を取らざるを得ない心境に(事情はわからなくても)共感できるという感じに作用するので、むしろしんどいかもしれない。


余談:
先日、とある作品のアニメ化のせいで原作まで嫌いになってしまったっていうツイートが流れてきて。わ、わかる…ってなってしまった。そのツイート主が嫌いになった理由は、原作に罪はないけど、あれの原作だと思うと嫌、という理由。

それと近い感じで、私も最近、山姥切を見るのが時々つらい。これまで山姥切は推しが演じたキャラの中で、好きな方の上位にいたんだけど、見ると悲伝思い出すし、クソみたいな三日月がいたことも思い出すし、でだんだん山姥切見るのがしんどくなってきてしまった。まぁ思い出す時には山姥切だけ思い出す感じにはなるんだけど、ぼんやり連想されるのが本当にしんどい。山姥切は推しが演じたこときっかけで好きになったんだけど、今度はそこの繋がりでしんどくなってきてしまった。

これまで各種メディアミックスに反対する人に対して、一回見てみて、だめだったらほっとけばいいじゃんって思ってたけど、一回見てみて残念だった場合、その記憶が残っちゃうんですよね…。これまで本当に残念なものに当たったことがなかったのでわかってなかった。ということに気づけたのは悲伝の収穫かもしれない。

あまりにもしんどかったので、あらためて山姥切の解釈を立ち上げ直すみたいなことをしてます。刀ステの山姥切にかすると悲伝思い出してしんどいので、それが絡まない山姥切を二次創作読みながら新たに自分の中で積み上げ中。推しの演じたキャラの中で一番好きなキャラではなかったのが不幸中の幸い…。

*1:驚いてる人がいることに逆に驚いた

10月の観劇・イベント記録

ちゃんとした記事をあげようとするから記事が完成しないのでは…?
ということで、数行ずつ感想書きつつ、振り返っていこうと思います。
下書き状態でちびちび書いてるうちにもう11月も終わってしまったけど気にしない!

10/10-12, 21 音楽朗読劇「ヘブンズレコード ~青空編~」
hirokuhukaku.hatenablog.com
震災を題材にしたヘビーな話に対してこういう書き方は語弊があるかもしれないけど、期間中めちゃめちゃ楽しかった。

初日は話の重さにやられてしまい、見終わった後すぐに電車乗る気になれず、ぼんやりと一駅歩いてから電車に乗って、帰ってからも、「うぅ…重い…」ってうめいてるような感じだったんですけど、2日目からは単に重いだけじゃなく、いろんな感情を受け取れるようになった感じですごく楽しかったです。結局荒牧さん回を4回、前山さん回を1回見ました。

いろんな人の関西弁聴き比べも楽しかったな~。初回のぱっと聞きは自然に聞こえた人も2回目仔細に聞いてみるとネイティブとは違う感じがあったりして、方言というのは単にアクセントやイントネーションだけではなくて、細かい上がり下がりの違いだったり、子音の発音の強弱だったりによって構成されてるんだな~とかわかって興味深かった(言語フェチなところがあるので)。

筆不精の私としては珍しく毎公演手紙を書いていて、本当に好きだったんだなぁと振り返って思うんだけど、この作品はスタオベしたい…!と思ってたら千秋楽スタオベする流れになって、めちゃくちゃ嬉しかった。立ちたいなって思いながらも立つ勇気が出ず不発…というのが続いていたので、スタオベしたいと思ってそれができるのってこんなに満ち足りた気持ちになるんだなぁと実感し、あらためて、この作品に出てくれてありがとう荒牧さん…!ってなった。

10/13 声の優れた俳優によるドラマリーディング Vol.7「三つの愛と、殺人―芥川 太宰 安吾
公式サイト:
www.koesugu.com

久しぶりの声優さん現場。
元々声オタだった時はあまり朗読劇好きじゃなかったんですが(その時間があるならCDにしてほしいなと思ってた)、俳優オタやるようになってから、朗読劇って面白いな~と思うようになり、今見たらどうなるんだろう?と思ってチケット取って行ってきました。

めちゃくちゃ楽しかった…!その場で消えてしまうことが以前はただもったいないとしか認識できなかったんですが、一回限りの貴重さとして感じられるようになってて、感性ってこんなに変わるんだなぁっていうのもおもしろかったし、俳優さんの朗読劇はなんだかんだでけっこう動きがついてることが多いんですが、多少動きの変化はあるとはいえ、基本は椅子に座ったまま、純粋に「朗読」という感じがすごく新鮮でした。あと、声の表情はやっぱり声優さんの方が豊かというかきめ細かい感じがしますね。

斉藤壮馬くんと花江夏樹くんが出てた回に行ってきたんですが、お芝居そのものも、演技の魅力を存分に味わえる感じでとても贅沢な時間を過ごしました。花江くんの多襄丸は色っぽすぎて、こんなの絶対好きになっちゃうじゃん…って感じだったし、メインの話の間に、別作品の数行の朗読が挟まるんですが、その数行のセリフだけで、人物の姿が立ち上ってくる感じがあって、声優さんってすごいな…って畏敬の念をいだきました。

声優さんの現場が本当に久しぶりで謎にアウェイ感を感じて緊張したりしたんですが(笑)、行ってよかった。


10/14 高崎翔太くんバースデーイベント
前回確か4~500キャパだったと思うのですが、いきなりのらんらんホール(キャパ1000)。
でもおおかた埋まってましたね。

事前発表ありのシークレットMC*1富田翔さんによる MCで、いや~笑った。若手俳優のイベントって推してない人にとっては特段おもしろくないことが多いと思うのですが、翔太くんのに関しては推してなくてもおもしろいのではないかなという印象。まぁでも私もたいがいトキに関して親近感持ってしまってるから実際どうなのかは不明(笑)。

1部2部ともに、本来の衣装と違う服で出てきて「こんな衣装でイベントやるのいやだ!俺は出ない!」って一度ひっこんでなだめられて出てくるっていう茶番があり(茶番いうな)、そのなだめられてるところは"LIVE"というていで映像が流れるんですが、2部でゴミ箱の蓋から顔覗かせてて、さすがに蓋持ってるだけだよね?と思ったら本当にゴミ箱の中に入ってて、めちゃくちゃ受けてしまった。すっぽりゴミ箱におさまった翔太くんかわいかったな~。御年30歳。
あまりにぴったりサイズで一人で出られなくて、翔さんに助けてもらいつつなんとか出てたけど、出た後、翔さんが横に置かれてたゴミ袋をゴミ箱に戻しててさ…リアルに使ってるやつに入ってたことにまた笑ってしまった。笑いに対する本気度がすごい。


10/18,19 リボルバー

知ってる役者さんたちがいっぱい&話おもしろそうってことで見に行ったんですが、期待通りおもしろかった~!原作なしの作品なんですが、すごく2.5作品ぽいというか、原作漫画がありそうな感じの話運びで、不思議な感じでした。

過去一緒だったメンバと再会したことで物語が動き出す…という感じで、過去と現在が交錯する演出が楽しかった…。今に過去がオーバーラップする演出はぐっときてしまう。

見に行ったのは初日と2日目なんですが、二日目めちゃくちゃアドリブ増えてて、しかも入れ方が自由で、さすが慣れてる人ばっかなだけあるわ~って感じだった(笑)

なんだろうな…書きたいことはあるんだけど、感想が難しい。


10/20,22,27 ハイステ東京公演
烏野卒業公演が…始まってしまった…。
2.5にハマるきっかけになった作品であり、俳優沼に堕ちるきっかけになった作品でもあるので感慨深いものがあります。初演時のメンバーはけっこうキャス変してしまってるんだけど、ずっと変わらないキャストもいて、彼らがハイステに出ることはもうこの公演が最後なんだなと思うと…うう。

変な話なんだけど、猪野くんがもうキャス変してしまっていて関係ないことがちょっと悲しいと同時に、キャス変してくれていてよかったなぁという気もしています。ずっと継続して出ていて、この公演を迎えていたら、最後もう会えない寂しさでめちゃくちゃ泣いてしまうんじゃないかなという気がするので…。実際初演時の千秋楽、その時は続くかどうかがわからなかったから、カテコ挨拶を聞きながら「もう彼らには会えないんだ」と思ってライビュ会場で泣きそうになっていたのを覚えています。

ハイステとして目指す形態が公演ごとにクリアになってきているような印象があって、だいぶ洗練されてきたなぁと思う。各校の特色を取り入れたダンスが好きなんだけど、白鳥沢のもいいよね…。「強い」ということを前面に出したダンス良い。


10/28 シュウカツ3 完成披露試写会

久しぶりの映像作品!
オムニバス形式の短編3本のうち1本に荒牧さんが出演しているのですが、推しの演技がめちゃくちゃよかった…!無邪気にゲスなこと言ってたり、突き放すような言い方したりしてるのが新鮮で…、「あ~~今の表情と言い方!たまらん!」みたいに内心で悶えまくってました。3部まわしだったので、3回見たのですが、もうまじで最高だった。また12月にも上映会あるので楽しみ。

あと男性の就活スタイルでは「耳は出す」のがマナーなのかな?普段は髪に隠れてて見えない耳まわりがよく見えるスタイルにセットされてたんですが、耳が見えるのが不思議な感じで謎にテンションあがりました。耳元の斜め後ろからのアップになるとことかあって(メインは向かいの俳優さんの表情)、「貴重な耳元…!」ってすごいどきどきしてたんですけど、そこにテンションあがるのが自分でおもしろかった。


最後、変態な感想での締めになってしまった…(笑)

*1:シークレットしてない

あらためて円盤で見直してみて

どうも~!悲伝大好きな人たちとは別の意味で円環から抜け出せていないゆいで~す!円盤が届いたので、悲伝をあらためて見てみたらある意味おもしろかったよという話です。お察しの通り、称賛はほぼしていないので、悲伝が好きな方はお気をつけください。

この解釈なら和解できるかもしれない、というのを見つけたのと、結局話がわかった状態で見たことって一回もないんだよなぁ…というのがあって、悲伝本編を見直してみました。余談ですけど、話がわかってるっていう安心感ってすごいですね。悲伝はながらくわからない状態のまま、毎回不安を抱えながら見ていたので、落ち着いた気持ちで見られたのがとても不思議な感じでした。

TRUMPを円盤で見た時のように「心は動かされないけど話はおもしろい」という状態になったりしないかな~という期待もあったのですが、まぁ結論からいうとなりませんでした(笑)。一幕はおもしろいんですけどね~。二幕がやっぱりしんどい。状況がループしだすのが見てて飽きてくるというか…。起承転結でいうと、転転転!みたいな感じなので、結果的に承が延々続いてるような感覚に陥ってくるんですよね。まぁあとやっぱり心が動かされないからつまんないのかな。好きな人たちって基本的に「泣いた~」って感じですもんね。別に涙は出ないけど悲伝大好き!って人まず見ない気がする。

円盤見てて興味深かったのが、音楽も照明もいいし、殺陣すごいし、各キャストのお芝居もいいんですよ。でもメインの話が、、っていう。もしかしたら○○が駄目だから微妙に見えてるのかもな~じゃなくて、他の要素は全部いいのに、お話がささらないのだ……うん…っていう。どんだけ話があわないんだ!?と思っておかしかったですね。ここまで明確に「ただただ、話が好みにあわないんだ」ってなる作品、なかなかなくない?

ただ、普段そこまで回数見ることないし、あんまり考えないタイプだったんですが、今回は分解して分析して、考え倒してからあらためて見たことにより(「考え尽くした」といえるほど深い分析ができたわけではないので、「考え倒した」)、細かい点まで見えるようになってる感じがあったのはおもしろかったです。現代文の授業で精読した文章をまた趣味で読み直した時の感覚に近い。

登場人物の感情の動きがまるで見えるかのように理解できて、このシーンもそういえばいまいち理解できてなかったなと思い出すと同時に、何が駄目でわからなかったのかが理解できるシーンがあったり、新たに見えるものが増えたことによるおもしろさがあって。今回見直してみて、末満さんの作品はやっぱり私の普段の鑑賞方法ではあわないんだなぁというのがすごくよくわかったんですけど(笑)、話がいまいちだなぁと感じる場合でも今回できたような、細かい見方によって感じられる面白さは味わえるんだとしたら、普段の鑑賞方法で楽しめる舞台でこの鑑賞方法もあわせて使えば、より楽しめるんじゃないか?っていう発見があって。芝居の鑑賞方法がマンネリ化してきてるような感覚があったので、新たな視点を投入できそうでちょっとわくわくしています。

悲伝の後遺症というか、副産物というか、現状すでに考える癖がついてしまってるんですよね。考える余地のある作品見ると、考える脳みたいなのがぐわーっと回転してしまう感じがあって、楽しいんだけど、非常に疲れるという…(笑)。「なぜここでこのキャラはこういう行動を?」「こういうことではないか?」「この時、この人はこういう行動を取った」「その時この人は」…みたいな思考がぐるぐる廻る感じ。

そういえばようやく悲伝と和解できたので、バクステも見まして。例の「答え」についてのくだりを見て、(うーん、そういうので興味を持続させようとするのはあんまり上品じゃないなぁ…)とちょっともやっとしたんですが、もう考える癖がついてしまっているので、どういうことだろうな~って考えるモードがまわってしまい、、二人の発言について考えながら作品振り返ってたら、「あ、このことか?」というのに思いあたりまして。しかし問いが提示されてないからあってるのかまったくわからん…ってなって気づいたんですが、問いの提示がない以上、どんな答えも答えたりうるんですよね。(もちろん答え同士を見比べれば、可能性が高い低いは発生するとは思うんですけど) なぜ問いを提示しないんだろう?って思ってたんですが、なるほどそれでか…!と。

私が思い至った「答え」が言及されてた「答え」かはわからないし、思い至った解釈があってるのかもわからないんですが、もし解釈があってるなら妙だなと思ってたことが腑に落ちるし、周辺のピースもすごく綺麗にはまるなっていうのと、その可能性にいままで思い至ってなくて、答えがあるよってほのめかされて考えて初めて気づいたので、うまいことできてるなぁ~ってちょっと感動しました。この解釈であってるんだとしたら確かに演劇的だし、仕掛けとしてめちゃくちゃおもしろいなと思います。まぁあってるかわかんないんですけど(笑)

あと思いついた解釈、悲伝内では綺麗にはまるけど、この解釈取るとニコ生での推しの発言とちょっと噛み合わないところがあるような気もするので、どうなんだろうなぁ…というのが懸念。なのでどういう解釈を思いついたかはひとまず伏せておきます。

悲伝がわからなかった理由がわかった話

悲伝のわからなさとの戦いがようやく終わってほっとしているという自己満足記事です。

結局、なぜわからなかったのかがわからなければ、また一からあの五里霧中を進むようなしんどさを味わうことになる可能性があるんだよな…というのが残った不安で、これに関しては年単位の時間がかかるかもしれない、と思っていたので、思ったより早く解消できてよかった…。

(「なぜわからなかったのか」を理屈で理解することは困難で、いろいろな芝居を観続けることにより、悲伝のわからなさはレアケースなんだなというのを実感としてつみあげて不安を解消していくしかないんだろうと思っていた)

結局の所、同じ状態になったことがある人にしか伝わらないのではないかという気はするのだけど、順に書いてみようと思う。


◇◇◇


また悲伝のような作品が来た時のための具体的な対策として、「2,3回見てわからなかったら自力での理解を諦めて、人にがんがん聞くこと」と決めたはいいものの、要するにわからなかったら諦めるということしか決められていないわけで、もうちょっと何かないのだろうか?というのと、わからなさに慣れるために、評価が割れている作品や難しいという感想が散見されるような作品を意識的に見に行くようにしていた。

わからなさが心地良い作品、どのようにも解釈できる幻想的な作品、細かくわからないところはいろいろあるもの気にならない作品、わからなさの種類も度合いも様々な作品を見た。どれも素敵な作品でとても楽しかったし、見に行ってよかったなぁと思う。

どの作品も、「いくつかわからない点があるが気にならない」もしくは「こことここがわからないという明確な手触りがある」のどちらかで、悲伝のように「全体がわからない」という感触になるものがなく、あらためて、悲伝のわからなさはとても異質なものだったのだなという認識を深めていた。

そうして見に行った作品の中に、「みどり色の水泡にキス」という作品があった。(以下、みどり色と略します)


※注意※
以下、「みどり色の水泡にキス」のネタバレを含みます。
また、この記事には、悲伝の三日月の行動に関して批判的な記述が含まれています。



あらすじと、感想の割れ具合を聞いて、気になって見に行った。

あらすじ

小学5年生の頃、マコトは妹のミドリに恋をした。
それが正しい恋ではない事をマコトはとても理解していた。


そんなある日、マコトの祖父が死んだ。落ち込むミドリの前で母は言う。
『おじいちゃんは生まれ変わって、きっとまた会いに来てくれる』
それを聞いていたマコトは“輪廻”という言葉を知る。
マコトはミドリを殺す事にした。
ミドリが生まれ変わる事で、血の繋がっていない“他人のミドリ”に会えると考えたのだ。
マコトは眠っているミドリの顔に枕を押し付け、そのまま殺した。
母はこの日から頭のネジが何本か無くなった。


それから6年が経ち、高校2年生になったマコトの前に、臨時で赴任してきた教師が現れる。
ミドリだった。どこからどう見てもミドリだった。
だいぶ大人になったけど、見た目も、声も、名前も。
マコトは再びミドリに恋をする。
マコトはミドリの長い髪が好きだった。
下がった眉毛も、他の子より華奢な体も、やわらかい声も、口調も、何もかもを愛していた。
しかし、教師のミドリは交通事故で死んだ。
蛇口をひねったように涙をこぼすマコトだったが、幼馴染のハルヤマのおかげで、なんとか立ち直る。


そしてまた6年が経ち、印刷会社に就職したマコトは、同じ新入社員の中に再びミドリを見つけた。
かつて妹だったミドリが、教師だったミドリが、同じ年齢になって帰ってきたのだ。
『輪廻なんやろかコレ・・・』


マコトはミドリに恋をして、必ず失う。
けれど6年経つとミドリは蘇る、何度も・・・。


これは70年間の初恋の話。


感想はなるほど賛否両論。
そして、否定的な感想で、殺人をおかすというのが無理、だったり、それを美しく描かれてるのが無理、みたいな意見があった。


実際に見てみての感想は「気にならない」だった。とても幻想的で素敵な作品だと私は思った。殺人が気にならない理由はあげようと思えばあげられるけど、それは後付けでしかなくて、どちらかというと感覚的なものなんじゃないかなという気がした。

それで、感想を見ていると、「せっかくいい役者さんたちで、いい演技をしているのに、殺人を犯してまでというところで共感できない。残念だ」といったような感想があった。

私の悲伝に対する感想と同じだ、と気がついた。せっかくいい役者さん揃えて、みんないい演技してるのに、話がぼんやりしていて、全然よさがわからない。なんてもったいない。と思っていた。

その時はシンプルに作品が微妙であり、単にあわないだけではないのだろうと思っていた。だからこそ、そういう感想になったんだけど、この人達もたぶんそうなんじゃないか、という気がした。単にあわなかっただけとは思っていない。作品自体が駄目なんだと感じている。

みどり色、私は良い作品だと思うんですよね。おそらく単にあわなかっただけだと思うんだけど、その人達にはそうは思えない。

この意見の割れ具合を見てて思ったのが、どんな舞台にも長所と短所があると思うんだけど、その舞台の魅力に対してまったく感応できない場合、短所だけがみえる状態になるんじゃないか?と。

私にもあわない舞台の経験はあって、その時は「これは私には合わないだけだな」という感覚があったから、鍵垢で not for me ってひっそりと書くだけにとどめた。作品自体が悪いわけではないと感じたから。

悲伝でそうしなかったのは、これは単にあわないのとは違うと感じたから。その人達もおそらくそうなんじゃないだろうか。単にあわないだけで作品自体が駄目なわけではないと感じた時に、あのトーンで感想は書かない。

正直、悲伝に関して、単にあわないという訳ではないんじゃないか?という疑念はまだ捨てきれていないんだけど、意見が割れる作品に関して、よさがわからない側とわかる側、両方経験したことで、そうは見えないけど実際そうな場合があるのかもなぁと思えるようになった。


ではこの場合、ひっかかっているポイントは何なのかと考えた場合に、倫理観の問題なんじゃないだろうか。2つの作品の共通点として、「犯罪行為(もしくはそれに近い行為)を主人公サイドの登場人物が行う」「その行為を行った理由が明確に説明されない」というのがあるんだけど、そうなると、説明がなくてもその行為を感覚的に許容できるかというのがまず第一関門になってしまうんではないかなと。

そして、みどり色の殺人行為にひっかかった人はそこが許せなかった。私の場合はそこは大丈夫だったんだけど、悲伝で、三日月のしたことが許せなかったんですよね。


それで、悲伝がわからなかった理由なんですが、私にとってはひどい行為としか映らない行為が「美しいこと」「素晴らしいこと」のように描写されているのが理解できなくて、「よくわからない」となっていたんだなと。すとん、と腹落ちしました。

なんていうか、かっこわるいし、美しくない、と私は感じるんですよね。だから、「すごくかっこわるいけど、でもそういうふうにしか振る舞えない時もあるよね」って描写ならたぶん大丈夫だったんだけど、「美しい」っていうていで描写がきたから、「受け取ったものとメッセージに齟齬がある。何か見落としてるのだろうか?」ってなってハマってしまったんだなと。

ここに気づいた時に、あぁそっか、ってすとんと落ちると同時に、ようやく「また悲伝のような作品が来たらどうしよう」という恐怖から本当に逃れられた気がしました。これまでできてたのって、ただただ、「またわからない作品が来たら自力理解にこだわるのを早めに諦めよう」っていう覚悟だけでしたからね。これだけ分解しても悲伝が結局なんだったのかよくわからないということは、また似たようなのが来た場合、おそらく私は理解できないだろうけど、もうそれはしょうがないと腹をくくって見に行こうという。

それが、わからない場合はまずそういう部分から疑えばいいんだという指針ができたことでようやくちゃんとした道ができたなと感じました。

「よくわからない」となった場合は、自分が受けた印象を整理し、それに対して、作中ではどのように描写されてるかを考える。まぁでも結局、そこに齟齬がある場合は、あわない作品である可能性が高い訳で、そう考えると「わからない」から「あわない」になるだけとも言えるんですけど…。

でも「わからなかった」せいで、延々考えるはめになり、非常にしんどかったことを考えると、少なくとも「理解はできてる」と感じられる状態には持っていける可能性が高まったのを言祝ぎたい。



それから、悲伝自体をようやくちゃんと評価できるようになった気がしています。これまでずっと、「わからない」でしかなかったので…。要は三日月の行動が許容できないだけで、悲伝自体は好きなんですよね。

これまでにも倫理観上、受け付けないってなったキャラがいて、ロスモワの伏見仁希なんですが、あまりにも無理だったので円盤を買っていません。作品自体は好きなんですけど、これは円盤買ったところで見られないなと思って…。

たぶん悲伝も同じなんですよね。ただ、仁希はサブ要素というか、主筋に絡むけどメインではないですが、悲伝では三日月、思いっきり主筋なので、わかったところでどうしようもない感じはあります。悲伝から三日月要素を除いて思いをはせるとなると、各エピソードをばらばらに考えるしかなくなってしまう…。もうあとは私の価値観が変わるのを期待するしかない。