考える練習

舞台やイベントの感想など

カクシンハン・スタジオ 第1期 修了公演「ロミオとジュリエット」

何気なくTLを眺めていたら、カクシンハンでロミオとジュリエット、当日券販売予定ということだったのでふらっと行ってきました。

柱の後ろになるんですが…と言われ、どんな感じなのかなと思っていたら本当に柱の後ろだった(笑) 席ついた瞬間、思わず「な、なるほどw」って言ってしまった(笑)
真ん中のステージは全部見えたけど、上手側のステージ脇の一段降りたところはまったく見えず。さすがに誰がしゃべってるかわからないのはきつかったので、時々のぞいて確認してました。横の人と後ろの人ごめんなさい。段差ある会場だからそこまで邪魔にはなってなかった…と思いたい。


ロミジュリ自体をちゃんと見たのがたぶん初めてなので、他のプロダクションと比べてどうこう、というのはまったくわからないんですけど、役者さんたちはとても初々しい感じながらも、カクシンハン節ががっつり効いてて面白かった。ロックっぽい感じの音楽に乗せてセリフが始まると「カクシンハンだ~~!」と思ってすごいテンションあがってしまう。

2.5次元舞台でも明らかに経験浅い人がいることはままありますが、そういう人たちの感じともまた違ってて、週3で10ヶ月稽古してきた成果なのかな? 技術的には拙いながらもテキストの理解がちゃんとしてる感じがあって(完全に印象ですが)、興味深かった。

ただ、初日なのにすでに声が枯れてる人がいたのがちょっとつらかった…。喉しんどいだろうなと思って気になってしまう。

神父がジュリエットに薬を飲んだらどうなるか説明するシーン、途中からコロスも一緒に言うのと、ジュリエットがどうなるかをセリフにあわせて示しながらやる演出が好き。コロスが好きっていうのもあるんですけど、ああすることでおどろおどろしさが増す感じが楽しいなと思った。

それとエピローグの演出がめちゃくちゃかわいくてほっこりしました。他の方の感想読んでると普通はないっぽいので、セリフ自体が付け足されたものなのかな? シェイクスピアっぽくない感じのセリフに聞こえたのがちょっと気になりましたが、あのシーンがあることですごく救いを感じるな~と思う。


余談:
未経験がほとんどの人たちで作り上げるという点で、A3!*1のMANKAIカンパニーを思い出したり、テニミュ*2を思い出したりしてました。
MANKAIカンパニーの春組なんかはガチで初心者ばっかりで、数ヶ月の稽古で公演打ったことになってるけど、あれはやっぱりファンタジーなんだなぁ…と感じたり、そう考えるとテニミュって俳優育成の場としてすごいんだな…と明後日の方向に感心したりしてました。以前に同じキャラを演じたキャストの様子を参考にできる、キャラっぽく振る舞うことでセリフ回しの拙さや演技力の不足を補えるからなどの理由もあるとは思いますが。


アフタートーク

23日夜公演は演出の木村龍之介さんとシェイクスピア研究家の北村紗衣さんによるアフタートークがありました。

北村紗衣さんが仰ってたところによると、神父や乳母など年齢が上の方の役の人たちのセリフがわりとカットされてるそうです。そのためにだいぶ若々しい感じになってますよね、からの「このヴェローナに叡智はない」っていうのに笑ったw
ツイートもされてたのでリンクはっておきます。


こういう演出になってますねって話に対して、演出の木村さんはどういう意図でそうしたかは注意深く言わないように避けてる感じだったのが印象的でした。そこも聞きたかったんだけど、言うとそれが正解になっちゃうからかな。


シェイクスピアをどう楽しめばいいのか、という話で、いきなり戯曲はオススメしない、あれは設計図だからという話が出て。まずは何かプロダクションを見てほしい、それから戯曲を読んでほしいと。戯曲を読む際も具体的にあのシーンこうだったな、なんでこうなんだろとか具体的に思い出しながら読むのがいいということでした。

好きな役者さんが演じたらどうなるかなとか、とにかく具体的に想像しながら読むのがいいです、と言われてなるほどな~という感じでした。戯曲ってそのまま読んでも無味乾燥な感じがして読みづらいんだよなって思ってたんだけど、そういうふうに読めばいいのかと。

今回、好きな役者さんがこういうの演じたらどういう感じになるんだろうなぁって考えながら見ていたのもあり、ミーハーな方向性を肯定されたような気がして嬉しかった(笑)


あとミーハー路線の話でいうと、北村さんがなぜシェイクスピアを好きになったかの理由が「中学生の頃にディカプリオ主演のロミオとジュリエットを見たから」で、その後もずっとディカプリオが原因ですねって言ってておもしろかったです。

*1:アプリゲームの名前。プレイヤーは劇団の監督として役者を育成する

*2:ミュージカル「テニスの王子様」。若手俳優の登竜門的な作品として知られている

感想を書く、書かない

最近、感想を書くことへの興味が薄れてきた。
いや、書きたいという気持ちはある、けど、ブログに書く気があんまり起きない。

書き残しておきたい思いはあるんだけど、外に出すことで何かがすり減るような感覚がしていて、evernote にほんの少しメモを残すだけになっている。

やっぱり悲伝のダメージがでかいなぁ…というのをしみじみ感じる。結局、悲伝がつまらない話であることをどうにか認めたくなくて私はわからないフリをしていたんだなぁというのはわかったんだけど、「わからない」という状態でずっと振り回されていたのが軽くトラウマになっていて、感想を書くことに対してためらいを感じる。

要は悲伝が伝えるのが下手だったっていうだけの話だと思うんだけど、(いや上手だよって感じる人は末満さんと感覚があってるってことだと思う)、私の受け取り方が下手なのでは?という疑念に振り回されていた期間が長すぎて、その時の感覚が消えない。

何か、「間違った」解釈を書いてしまうんじゃないか?という恐れが消えない。

そう考えるとたかが観劇といえど、これはなかなか恐ろしい趣味だなぁと感じる。ただ一度、ひどいものに触れてしまったがために、深い傷を負ってしまうことがある。

もう少し早く、つまらない作品なんだと気づけていたらなぁ…。考えても詮ないことだけど考えてしまう。

とかいいつつも、いい作品に出会うと、感想として吐き出しておきたいという気持ちもあり…。グループに投稿しなければ多少ましかなぁ…ちょっとそれでやってみるか…。

悲伝への執着がなくなった理由

これが原因だったのかー!という落着点が見つかったから、なんですが、以下は悲伝が好きな人は要注意。


これまでさんざん悲伝の批判記事を書いてきたんですけど、指摘してきたような欠点って、他の作品にもあるんですよね。でも別に気にならないし、仮に悲伝でそれらの欠点が解消されていたとしておもしろく感じるんだろうか?って考えた時にいや、そんなことない気がする…と考えてました。

で、あ、そうか、と思い至ったのが、単純に悲伝がつまらなかったんだな、と。

刀ステがつまらないというのは私にとって「あってはならない」ことだったから、なんとかそれを否認しようとしていたんだなぁ…と。わかってみたらとても単純な話だった。人間の脳って自分が見たくない真実を見ないようにするためには全力を払うからすごいよね。おかげで私めっちゃしんどかったけど(笑)

推しにとって思い入れがある作品、しかもチケットを取るのに苦労した作品がつまらないの本当に悲劇ですからね。円盤先行で取ったチケットとか実質1枚2万円のチケットですよ*1。それで見れるのがこれか~…という、なんともいえない虚無感。

この原因に気づいたのが昨年末あたり。悲伝のことがずっと頭の片隅にあったのがすっとなくなって、めちゃくちゃ楽になりました。ループする話であることすら忘れていたことにこないだ気がついて、本当に忘れてたんだ…としみじみ感じるとともに、自分の薄情っぷりにウケたりしました。あれだけ考えてたのに忘れるの早くない?(笑)


同担さんたちもわりと同じ感じの人が多かったようで、こないだの新作発表がまったくもりあがっていなくて、誰もおめでとうって言ってないことに気づいた時にちょっと笑ってしまった。もともと刀剣乱舞が好きでまんばちゃんきっかけで荒牧さんを好きになった人たちはわりと喜んでたけど(まぁこれはそりゃそうですね。それでも全員ではないという闇深さ…)、それ以外は発表ツイートのRTのみ、もしくは「あれ?出るの?」的な反応。

これまで刀ステ新作発表といえば、「また推し出る!チケット大変だけどがんばろうね!」というノリでわいわいするのが常だったので、悲伝は私が感じた以上に受けていなかったんだなと知って、安心したような残念なような、複雑な気持ちだった。


なので正直次回作、倍率下がるんじゃないかなぁと思っています。悲伝よかったからがんばろう!って人にはとてもいいチャンスなんじゃないかな。映画で増えるかもとはいっても、そもそもどれだけの人が舞台まで興味を持つのか…というのがあるし(しかも映画でメインだった三日月がいない)、チケ取りに慣れてる人じゃないと周囲のアシストがないと厳しいでしょうしね…。

*1:実際には複数積んでる回もあるのでもっと高い

感情が乗る/乗らない

末満作品には、私の感情が乗らない。
他にもあるのかもしれないけど、今のところは末満作品だけ、際立って乗らない。
そのことに初めて気がついたのは悲伝だった。

この感覚を説明するには「感情が乗らない」という表現が一番しっくりくるのだけど、一般的な表現に言い換えるなら、「共感できない」あたりが近いだろうか。キャラの心情に私の気持ちが寄り添えない。普段、舞台観劇をする際には各キャラの心情に寄り添い、共振して震えを感じ取るような感覚で感情を味わっているのだけど、その共振ができない。

悲伝も最初は気づかなかった。話がわからないので、せめて感情移入してカタルシスを得ようと思い、いつもよりも意識的にキャラに寄り添おうとして気づいた。できない。なにか、弾かれるような感じがある。

意識的に寄り添うことで、共振できたシーンもあった。それでもいつもに比べれば全然。その時は悲伝だけなのかと思っていた。

しかしその後「TRUMP」(の reverse バージョン) を見て気づいた。心が動かされない。話は面白いが、登場人物の誰に対しても寄り添えない。共振できない。その分、他人事を眺めている感じが強く、誰がどんなひどい目に遭おうと、大変そうだなぁとのんびり眺めていられたが、不思議な感覚だった。true バージョンを見、SPECTER を見、LILIUM を見、グランギニョルを見た。同じだった。

見る過程で思い出したのは、ジョ伝でも共振できず、意識的に共振しにいったことだった。山姥切の慟哭にいまいちうまく乗れないなぁと思ってはいたが、その時はたまたまだと思っていた。(悲伝の手合わせの山姥切にも同じく乗れないのだけど、明治座楽の時は乗れないのにすごく伝わってきて、あれもまた不思議な感覚だった)

何が原因なのかはわからない。

他の作品でもこの現象に行き当たれば比較して何か発見できそうなんだけど、感情が乗らない=舞台を見る上での楽しみが減ることを意味するので、行き当たりたいような当たりたくないような…(笑)

2019年の目標・推し事ルール的なもの

あけましておめでとうございます!

昨年の振り返り記事まだ書けてないんですけど()、流行りには乗ってみる精神で今年の目標について。

〇オタ活ルール

我慢することを覚える、でも推しに関しては我慢しない

オタ活に費やしてる費用が高すぎるので、減らしたい…でも闇雲に減らそうとするのはストレス溜まって逆効果だよなぁ…というところから考えたルール。

推しが出てない舞台やイベントは控えめにしつつ、推しが出てる舞台やイベントに関しては我慢しない(これまで通りにする)ことでトータルで減らそうという戦略です。

具体的にはnot推しの現場は軽率に追いチケ、遠征しない。推しが出てるかどうかとか気にせず、いいと思ったら増やす、遠征するのを去年やってみて楽しかったんですけど、やっぱりお金かさむなって(当たり前体操)。

新年ひとつ我慢しまして、現在進行形でもうひとつ我慢中です(笑)


推しに関しては我慢しない、は実はダブルミーニングになっています。

ひとつ目の意味は推しが出演する舞台やイベントは我慢しない(これは今まで通り)。ここを我慢したらめちゃくちゃストレスフルになると思うのでここはひとまず削らない。

去年を振り返ってみると、2日前にMC決まった某イベントと映画の舞台挨拶(外れた)以外、全ての舞台・イベントに行ってることに気づいて自分でびっくりしたんですけど(舞台は1作品あたり最低1回行ってたら行ってるとカウント)、これだけのために遠征とかあほなことしてるな~とか思っててもやっぱり推し見ると身体の中から喜びがわきあがってくるというか(?)、単に楽しい・テンションがあがるだけではない、何か芯の部分で癒される感じがあるので、今年もそのままでいいかなと。

まぁぶっちゃけ我慢できる気がしないので削らないことにしました(あかんやん)。でも舞台に関しては入る回数はちょっと考えるかも…しれない…(望み薄)。


もうひとつの意味は推しだからといってなんでもかんでも追おうとしない。
主に特典や円盤、ランダム系ですね。推しが出てるからといって、円盤や雑誌をとりあえず買うとか、特典やランダムはとりあえずコンプするみたいなのをやめようと思っています。

実は去年の夏頃から一部そうしていて、すぐに「OK!お金出す!」じゃなくて、かかるコスト(単純に金額だけではなく手間も含めて。ランダム系の場合は予想コスト)とそれをどのぐらい自分が欲しいかをちゃんと吟味して、今回はここまでとか、これは買わないとか、決めてみるようにしたところ、自分で自分のお金のコントロールができてる感があって精神的によかったのと、今のところ、後悔が発生してないので、今年もこの方針でいってみようと思っています。

〇オタ活以外での目標

スケジュール管理をちゃんとする

最終的に睡眠を削って間に合わせるのはやめたい…。具体的にどこをどう改善するかはまだ練れてません。というか毎月、ここがよくなった、ここはこうしようみたいな小さい改善点を見つけてやっていくべきかも。

はじめてのプレゼント

どうせいっぱいもらうだろうしなぁというのもあるし、そもそも何をあげればいいかわからないというのがあり、これまで推しに対してプレゼントを贈ったことがありませんでした。

クリスマスも誕生日も今回もスルーかな~と思っていたところにこちらの note が目に入りまして。なるほどなぁ…と思い、プレゼント贈ってみようかなとなりました。
note.mu

途中から有料なんでまわしものみたいになるけど、書き手さんは別に知り合いとかではないです(笑)

プレゼントを何回か贈ったことがあり、方針がある程度できてきている人には特に目新しい情報はないかなと思うんですが、私のようにプレゼントを贈ってみたいけど何を贈ればいいか見当もつかない、とりあえず稽古着とかが無難か?みたいなガチ初心者には、こう考えればいいのかっていう一つの指針が手に入る感じがします。

それで、考えて思いついた候補が2つあって、どっち贈ろうかなと悩んでました。
片方が比較的お値段安めで無難、まぁもらって困る人はいないよねっていうやつ。
もう片方はそれに比べるとお値段高め、もしかしたら盛大に好みを外して使ってもらえないかもしれない、けど前に自分が買ってみてよかったな~と思ったメーカーの品物で、(そのジャンルの)品物自体は推しは使うはず、というもの。

値段がわりと違うのもあり、最初は無難な方を贈ってみて、自分がどういう心境になるか確認してからかな~と思ってたんですが、贈りたいもの贈った方が楽しくない!?と思って後者にしました。注文の確定ボタンをクリックするのにすごいドキドキしたよね…。あらためて品名とか間違いないか確認して、一呼吸して、えいやっと注文確定しました。

品物は届いたので、あとは持っていくだけなんですけど、いまさらに持っていくの恥ずかしいなぁ…とか思ったりしています。いやでも買ったからな!持っていくぞ!

刀ステ新作に対してテンションがあがらない話[12/25追記]

2019年には新作やるだろうなとは思ってたので、発表聞いて思ったのは「でしょうね」だったんですけど*1、まったくテンションがあがらなくて、自分でびっくりしました。推しが出てるから悲伝に関してもできれば甘い評価をしたいんですが、メインストーリーが駄目だと駄目らしいです。メインストーリー以外は大好きなんですけどね…物語ってこういうとこ不便ですよね。メインが駄目だと他の要素がよくても全体として駄目になってしまう。


これまでは「次回作も推し出てくれるかな~♪」でしたが、今は推し回避を願う日々です。何がしんどいって、仮に次回作がおもしろかったとしても、また「集大成」として悲伝みたいな作品にたどり着かれる可能性があるんですよね…。虚無作品に向けてマラソンする日々が始まってしまう…。

単に悲伝が難しいだけだったなら、さんざん考えてどこにつまっていたかわかったので、もう大丈夫だとは思うんですが、悲伝、ただ難しいだけじゃなくて、いざわかってみたらめちゃくちゃ気持ち悪い話だったので、またそういう話見ないといけないんだとしたらつらいな~という。とはいえ推しが出るなら見ないという選択肢はないので、出ないといいなぁ…。また気持ち悪い話見るのやだよぅ。最悪おもしろくなくてもいいから気持ち悪い話だけは回避してほしい(切実)。



……で、ここからがある意味本題。

あまり言葉を選んでいないので悲伝が好きな方はお気をつけください。

なんかいい話風に演出されてるけど、悲伝の三日月、わりとクズじゃない? クズという言葉がきつすぎるなら、残念な人。正直あまりにもひどすぎて、三日月がいなくなる方がハッピーエンドだと私は思っている。

一番のターニングポイントである燭台切光忠を刺してしまうシーン。刺す必要あった??「ああしなければ止まらなかった」って言わせてるけど、他にもやりようあるよね?? まだ三日月と燭台切の実力が拮抗していて、三日月も余裕ないのなら思わず刺してしまったというのはわかるんだけど、三日月、「やれやれ」って感じに首を振る描写があるんですよ。切り結んでる最中にそれだけのことができる余裕があるならもっと他に止め方あったよね?? 案の定山姥切に目撃され、いらぬ不和を招き入れる三日月。

しかもこれ、本当にあほだな~と思うのが、初回じゃないんですよね。燭台切とこうして刀を向け合うの、どうもループのたびにやってるっぽいんですよ、三日月のセリフによると。なんで何度も同じシチュエーションに遭遇してて取る手段がこれなの?? 三日月が人を傷つけることをなんとも思っていないサイコパスか判断能力が弱った人、もしくは学習能力がない人じゃなければ、この選択肢はありえない。

その後も、えええってなるシーンが続く。「俺を折るのではなかったのか!」って煽るんですけど、何をしたかったのか謎。えっとこうなったのあなたが原因ですよね…?っていう…ドヤる前に言うことあるやろ…という気分になってしまう。悪役になりたいならなんか中途半端だし、まさかとは思うが、自分の強さを誇示したかったのか??っていう感じすらあって、なんともいえない。

まぁ刀解命令がくだった後はもう何をどうしようが覆せなくなるので、山姥切との約束を果たすためだけに生きているのかもしれないけど、それならそれでいらんことすんなよ…という…。


うがった見方をするなら、こうして撹乱することで成し遂げたい真の目的があるのかもしれないが、基本的に信頼されている状態の方がいろいろ動きやすいはずなので、そのためにこの支離滅裂な行動を取ってるんならそれもまたアホすぎる話である。まじで三日月、何がしたいんだ…。


私はとうらぶはそこまでヘビーユーザーではないので、数人の思い入れのあるキャラをのぞいては、特にキャラ解釈は持っていない。なので、私が知らないだけで、この行き当たりばったりで考えなしな三日月、実は公式設定なのかもしれない。もしそうなら申し訳ないなと思うが、そうでないなら、悲伝の三日月はあまりにもクソすぎる。

三日月自体には思い入れはない(のでどういうキャラでも構わないといえば構わない)のだけど、推しが演じるキャラクターが慕う存在として、もうちょっと賢いキャラであってほしかったなと思う。


まぁやらかすのが山姥切だったら全然違う感触になるだろうな~と思うので、三日月が好きな人がこの話好きなのはわかる気はするんですよね。散々ひっかきまわしてやらかしてもまだ信用してくれる本丸メンバ、本当に三日月のことを愛しているんだなぁって感じるので、自分の好きキャラがその位置にいたらめちゃくちゃ楽しいと思う。

[12/25 追記] あらためて考えてみると、好きキャラだった場合、馬鹿な行動を取らざるを得ない心境に(事情はわからなくても)共感できるという感じに作用するので、むしろしんどいかもしれない。


余談:
先日、とある作品のアニメ化のせいで原作まで嫌いになってしまったっていうツイートが流れてきて。わ、わかる…ってなってしまった。そのツイート主が嫌いになった理由は、原作に罪はないけど、あれの原作だと思うと嫌、という理由。

それと近い感じで、私も最近、山姥切を見るのが時々つらい。これまで山姥切は推しが演じたキャラの中で、好きな方の上位にいたんだけど、見ると悲伝思い出すし、クソみたいな三日月がいたことも思い出すし、でだんだん山姥切見るのがしんどくなってきてしまった。まぁ思い出す時には山姥切だけ思い出す感じにはなるんだけど、ぼんやり連想されるのが本当にしんどい。山姥切は推しが演じたこときっかけで好きになったんだけど、今度はそこの繋がりでしんどくなってきてしまった。

これまで各種メディアミックスに反対する人に対して、一回見てみて、だめだったらほっとけばいいじゃんって思ってたけど、一回見てみて残念だった場合、その記憶が残っちゃうんですよね…。これまで本当に残念なものに当たったことがなかったのでわかってなかった。ということに気づけたのは悲伝の収穫かもしれない。

あまりにもしんどかったので、あらためて山姥切の解釈を立ち上げ直すみたいなことをしてます。刀ステの山姥切にかすると悲伝思い出してしんどいので、それが絡まない山姥切を二次創作読みながら新たに自分の中で積み上げ中。推しの演じたキャラの中で一番好きなキャラではなかったのが不幸中の幸い…。

*1:驚いてる人がいることに逆に驚いた