考える練習

舞台やイベントの感想など

お芝居の受け取り方

見たもの聞いたものを、その時何を感じたかと一緒に心の中にぽんぽん放り込んでいって、そのブラックボックスから返ってきた解釈が私の解釈。という感じ。ぼやっとしたイメージみたいなもので、そのままだと言語化されていない。

なぜそのキャラがその行動に出たのかがわからなくて考えたい時はそのブラックボックスからいったん取り出してきて、表層意識の論理で組み立てて考える。

先日見たデカダンでここがわからないな…となって考えた時も、そういう感じだった。見ている最中に考えることは、あまりない。

悲伝で山姥切がなぜ三日月に切りかかっていくのかわからない、と言った時に、「わからないのはあなたが荒牧さんの演技を受け取れていないから」と言われたことがある。今考えると、俳優おたくに対してなかなかに侮辱的ですごいなと思うんだけど、まじめに考えるなら、わからないのが「正解」だよな、と思う。言えるのはせいぜい「私はこう解釈してます」まで。私たちは勝手に、それまでの行動とその時の演技から「こう考えてるんだろう」と読み取っているだけだ。

この件で印象的だったのは、初回観劇時のメモには、「こういう理由じゃないか」というのがちゃんと、書いてあったこと。その後、表層意識で取り出して考える過程で、そのあたりが接続できなくなったらしかった。

「クロードと一緒に」で、主人公の行動が、理屈としては理解できないけど、でも「わかる」という経験をした時に、驚きはしたけど戸惑いはそこまでなかったのは、頭での理解と心での理解は別物である、という認識がもともと私の中にわりと強くあったからなのかなと、今振り返ると思う。

壮大な叙事詩 - NTライブ「リーマン・トリロジー」感想 (ほぼネタバレなし)

NTライブというのは、英国ナショナル・シアターが厳選した舞台の映像を収録し、各国の映画館で上映するプロジェクトです。
https://www.ntlive.jp/home

なので、今作もすでに上演された芝居なのですが、本公演見た方々の、「これは面白いぞ!」という感想見て、気になったので、公開初日に行ってきました。

もうね~~めちゃめちゃおもしろかったです。3000円で見られるので、上映館が近くにあって お時間ある方はぜひ見てほしい。土日終わってから記事をあげるなという話ですが…笑。

上映館と上映スケジュールはこちら。


ユダヤ移民であるリーマン一家の長男がドイツからアメリカに移住するところから始まり、リーマン・ショックが起こる2008年までを描いた物語です。

三人称の語りがベースで、そこに芝居が差し込まれる形なので、最初は朗読劇でも見てるようで、不思議な芝居だな~と思ったんですが、常に客観的なところから見渡してる感じが、壮大な叙事詩という印象で、リーマン一家の歴史はアメリカの歴史と絡むこともあり、人の営む歴史のダイナミズムを感じさせるようで、途中から、「人が営む歴史」に対して、エモさを感じて、じんわりとこみ上げてくる気持ちに涙ぐみながら見ていました。

出てくる登場人物がみんなキャラが立っていて、そのくせ憎めない感じなのがまたいいんですよね…。俳優陣の演技のうまさももちろんなんですが、シーンの抽出の仕方もうまいんだろうな。150年を3時間半で描くということから、一人称での(というのも変な言い方ですが)芝居シーンは細切れに挿入されるにも関わらず、みんなすごく人間くさい。公平さを重んじるハーバートくんが子供時代に宗教の時間に神の行動について難癖つけてるシーンが好きw

最終的にはリーマン・ショックで終わることになるので、最後は「終焉」とでもいうような形で終わるのですが、栄枯盛衰という感じで、そこに至ってしまう流れが見ていてどこか哀しくて、なんともいえない気持ちになりました。かといってリーマン万歳みたいな話でもなく、投資銀行を始めるあたりからは物ではなく金を動かし、それによってお金を得ることに対して、リーマン一家内でも意見が割れたりして、お金でお金を生むことに対する批判的な目線もあります。

出演する俳優は3人だけで、すべての登場人物を演じ分けるのですが、すごいのが、男性・女性・子供ふくめて、それぞれちゃんと別の人物に見えること。複数の女性を続けざまに演じるシーンがあるんですが、トータル7人かな?ぐらいやってて、全部台詞回しから仕草から違ってて、ちゃんと別人で、圧巻でした。

それから舞台装置と音楽も素晴らしかった。
透明の四角い箱の中にオフィスっぽい小道具大道具が配置されているところから始まるのだけど、映像とあわせて、使い方が斬新で面白い。「そう使いますか!」という感じ。公式ツイッターにも画像上がってたけど、見に行く方はぜひ作中で確認してほしいなと思います。

音楽は2回目の休憩の最後に解説があるんですが、ピアノの生演奏で、役者さんの動きに合わせたりもしてるそうで、邪魔せず寄り添いつつ、エモさを盛り上げてくれる感じで音楽もとてもよかった…。

もう一度観に行くつもりなので、詳細な感想をその後でできたらあげたいな。

末満作品における伏線回収について

「末満作品は伏線回収がうまい・気持ちいい」という意見をときどき見るけど、私はそうは感じないんだよな、何によるんだろう……?と思っていたのが、理由わかったので、それについて。

末満作品は基本的に伏線の張り方と回収の仕方が派手なんですよね。「ここ!ここが伏線ですよ!」って感じで張って、回収の時も「さぁ!ここで回収します!どーん!」って感じ。こういうタイプの伏線は確かに末満作品では頻出します。ちょっと考えると「あぁあれそうだったな」と思い当たるものがある。これは非常にわかりやすいし、そういうタイプの伏線が好きな人にとっては、すごく気持ちいいんだろうなと思う。

じゃあなぜ私は「末満作品は伏線回収がうまい」という認識になってなかったというと、私にとってはそういうのって伏線ではないんですよね。張られた時はちょっと違和感感じる程度で、回収された時に「あっ、だからあの時!」とそのシーンに対しての見方が変わる、そういうのを私は伏線として認識してます。世界に対しての認識が一筆で鮮やかに塗り替えられるような感じ。これをやられるとめちゃめちゃ気持ちいいので、このタイプの伏線は大好きです。

で、末満作品だとこのパターンは基本的にないんですよ。どれも伏線を張る段階で「いかにも伏線でござい」という顔をしてしまっている。親切設計といえば親切設計なんですけどね。誰でも気づくから。ただ、私にとっては、ド派手に張られた伏線をド派手に回収されても、伏線というより、ただの筋書きに近い感覚になってしまうので、特に気持ちよさは感じないという…。「あー、あそこで張ってたやつだな」みたいになってしまう。

「伏線回収がうまい」という認識になるかどうかは、伏線にどこまで含めるかの違いによるものなんだなという話でした。

太陽の子が意味するもの - 舞台「DECADANCE」2回目 感想

1/29(水)ソワレを観劇。
1回目観劇後の感想はこちら。
舞台「DECADANCE」~太陽の子~ 感想 ※後半ネタバレ - 考える練習

解釈変わったとことか思いついたところを。
ネタバレ気にしてないので注意。

今回の座席はC列センブロ。思ってたよりはかぶらないなという印象。役者が立ってる分には問題なく見えますね。ただ、立ち位置によってはしゃがんだり座ったりすると前の人の頭がきれいにかぶってまったく見えない。

双眼鏡があればどこでも良席というスタンスなのですが、近いとやっぱり迫力があるというか、熱量を浴びる感じがありますね。ど真ん中で見得を切るシーンは意外と少なかったんだけど、オープニングでテイラーが「俺たちは太陽の中心だ!」って笑顔で言うところ、妙にどきどきしました。

それと、アクションの時の表情とか避け具合とかがよく見えるのが楽しかったな。西田さんの殺陣って基本的に間合いゆったりめに取って、その分勢いよく振るっていう感じだと思ってて、実際、大半はそうだと思うんだけど、誠治郎さんの振り回す剣が思ったより相手の顔の近いとこ通ってて「ひぇっ」ってなった。間合いがわかってるからこそできることだよな…。

太陽の子

前回の記事で、テイラーは何もしてないって書いてて、今回、やっぱ何もしてないよねって再確認してきたんですが(笑)、太陽は中心にいて動かない存在で、周囲の惑星が太陽の周りを回ることを考えると、テイラーは何もしないのが正しいのかなとぼんやり思ったりしました。

作品で太陽と月を対比させるのってよくやるけど、恒星としての関係性としては別に対比じゃないんだよな…と思ったり。ジェンバが「土の子」なのは地球のメタファーでもあるのかな。二人をつなぐ存在って考えるとそうだよね。

そういえば、ラストのオルタンシアの「そんなやついましたっけ?」っていうのが「土の子=>ツチノコ」を拾っていることに気づきました…w

あと、太陽の中心がよくわかんないな~と思ってたけど、これは作中でもちらっと言及されてるように「自分たちならなんでもできるという全能感」、世界の中心、的なことでいいのかな。

ラストの解釈

前回記事には全員生き延びる方向になるんじゃないか?と書いたんですが、いや違うな、と。たぶんマリウスは死んでしまうんだろうけど、彼にとってはやりたいことをやれた状態だし、テイラーとジェンバにとっては、旧友のやりたいことをサポートできたし、見届けられたということになる。ので、彼らにとってはハッピーエンドだったのかなぁと。

なぜ最後をぼかしてしまうんだ…と思ってたんですが、あのシーンで話を閉じることで、彼らにとって、これは肯定できる結末であることを強調できるからかなと。

この作品単体の話からちょっと逸れるのですが、西田さんのオリジナル舞台ってそういう、どんな悲劇的な結末に至ろうと、精一杯生きたなら、それを全力で肯定するという姿勢があることが多い気がしていて、その姿勢が好きだなと思います。

けど、やっぱ最後どうなったか描写か説明が欲しかったな~~~~(笑)

近況 - ほぼおやすみしてみての感想

チケ発をほぼほぼやめてから、一番の感想は「お金浮くなぁ…」。例年通りならおそらく、Aさん関連だけで10枚程度チケットがあったと思う。そこにIくん出演舞台が3-4回乗り、他の舞台のチケットが3-4枚あり、、みたいになってたと思うんですが、今現在持っているチケットが、未発券のも含めて、なんと6枚。1月が4枚、2月が1枚、3月が1枚。

…って1月上旬に書いてたんですが、結局1月は7枚になりました()。おやすみとは…。まぁ例年よりは少ないんですけど…。あと遠征しないからさ…うん…(誰にともなく言い訳)。徐々に軟着陸していきたい。

以前、ゆるオタとガッツ、深い深い溝 / どうすればゆるオタになれるのか - 考える練習 という記事を書いたんですけど、ゆるオタ状態になってみて、おぉっと思ったのは、行かないイベントや地方公演をほんとに忘れること。TL見てて、「あっ、今日Aさんイベントだったのか!」ってなって自分でびっくりした。

2020年の目標 - 考える練習 で自分を応援すると決めてから、お金を使うことに対して悩めるようになってきたなと思います。以前は「チケット代8000円?OK、OK」みたいな感じだったんですが、「8,000円か…どうしよっかな~」と悩めるという。以前はたぶん推し(ヲタ活) >自分だったんですよね。自分のお金よりも推しが見られることの方が大事。だから悩まなかったんだけど、自分を大切にすると決めてからは、自分のお金も大事になって、「推し(&ヲタ活) > 自分」固定ではなくなり、さらに判断基準が「その舞台orイベントの自分にとってのメリット(楽しい、面白いetc) > 金額の価値」かどうか? になってきた気がします。

時間に関しても同様な面があって。都民ではないのもあり、芝居自体は2時間でも、出てから帰ってくるまでのトータルでは5~6時間かかるんですよね。3時間の芝居なら6~7時間。起きてる時間の大半を消費してしまう。以前はそのことに対して、あんまり考えてなかったんですが、自分の時間も大切!になってからはそれだけ時間をかける価値があるのか?というのも考えられるようになってきました。

あと、あんまりぎちぎちにスケジュール入れないようになって気づいたのは「身体が楽」。当然っちゃ当然なんですが、土日マチソワしてた時と比べて、疲労度が全然違う。自分の身体のキャパ的には、今ぐらいのペースがそもそも適切だったんだな~と今更に発見でした。

舞台「DECADANCE」~太陽の子~ 感想 ※後半ネタバレ

1/25(土)ソワレを見てまいりました。
disgoonie.jp

ディスグーニー作品、私はわりといつもそうなんですが、わかるようでわからん(笑) (あ、PANDORA と PSY・Sは見てないです) 話がとっちらかってる感じがすごい。

メインの話は判るんですけど、細かいところであれこれどういうことなんだっていうのがちょこちょこ発生する感じです。でもエモいし、うるっと来るし、なんなんだろうな……不思議な作品。

「野球」や「四谷怪談」の緻密に組み立てられた脚本とか、2.5作品での絶妙なバランスでのシーンやセリフの省略などを考えるに、わかりにくさはわざとなんだろうな〜と思うんですけど、もうちょっとわかりやすくしてもよくない!?(笑) ただ、余白が多い分、いろいろ考える余地があって、他の方の感想読んでると思いつかなかった着眼点からの発想があったりして面白い。

メインの登場人物たちがなぜそういう行動を取るのかがわかるのがかなり後の方なので、それまではとにかく出てくる情報を溜め込んでく感じで頭の負荷がすごかった…。わかりだしてからは面白かったけども。

塩野くん演じるテイラーと、長妻くん演じるマリウスがメインなんだろうなと事前情報で思ってて、実際話としては彼ら2人が主軸だったんですが、猪野くん演じるジェンバがなかなかいい役どころでわりと登場時間も長めだったのが、嬉しい誤算でした。

そもそもすべての登場人物がそれなりに尺ある感じなんですよね。「西田さんはキャラを愛しすぎるからシーンを削れない」みたいな話がTwitter配信で出てましたが、なるほとな〜という感じ。

猪野くんに関しては思った以上にいろんな表情見れたな〜というのと、めちゃめちゃ器用だなこの人というのを感じました。「今、そこ」に必要な芝居ができるというか。それでいてちゃんとこちらの情感を揺さぶってくるのがすごい。

今回見てて、やっぱり2.5じゃない作品の方が、その人の演技を十全に味わえる感じがするな~と思いました。2.5は2.5で好きなんですけどね。猪野くんはあんまりキャラに寄せない方だとは思うんですが、それでも2.5だとキャラのフィルターがかかるんだろうな。あと、猪野くんが「西田さんの舞台が好きでよく見に行ってた」ことを聞いた時は意外だなと思ったんだけど、見てて好きな理由がわかったような気がしました。なんとなく。



以下、致命的なネタバレも含みます。雑感。






  • オルタンシアちゃんがいろいろ謎だったが、「天使では?」という感想見かけてなるほど!となった。少なくとも人ではないよな、「200年たった」ということは。神父さんもそうだとすると「祈る」ことの意味が急にでかい。
  • ジェンバもわりと謎なんですよね…大枠の行動原理はわかるんだけど、どこまで知っててやってたのか?とか細かいとこが…。
  • 最後、3人は結局どうなったんだろう…。「アンナがマリウスを倒す」ことで魔女伝説の完全否定になるのかな~と思うんだけど、彼らがアンナにそれをやらせるだろうか?というのと、そもそもマリウスを死なせないようにしそうな気がするので、死んだように見せかけて逃がす、とかありえそうだな~と思っている。
  • 記録の書き手が「ジェンバ・シェリーニ」ということは少なくともジェンバは生き残ったと考えていいのかな。猪野くんが薄ミュで演じた永倉新八も生き残って記録残した人だから、エモさを感じた。
  • マリウスがいろいろやってたのはつまるところ姉のためだったのはわかったんだけど、そこまでする理由として「許されざる恋をしていたから」っていう解釈を見かけて、確かにそう考えるといろいろ辻褄合うな!?となった。道理で姉の旦那にあたりが強い…。姉への愛情がでかすぎないか?と思っていた。次回そのあたりも注目したい。
  • テイラーが超ツボだった…。ああいうやさぐれ方してる人好き。予言や解説はするけど具体的な行動は特に何もしてない感じが「学者」っぽいなと思う。
  • マリウスがカヤルと「お疲れ様でした」みたいな会話しあうとこめっちゃよかった。
  • アンナが「魔女」なのでは?というのはぼんやり思ってたけど、彼らが見つけたものがアンナだったというのが判明するあたりはすごく胸にきました。
  • ジェンバが牢屋の鍵を渡された後、ぶわっと涙ぐむところ、さっきまで普通に喋ってただけに、鮮やかな変化にぐっときた。
  • アンナとの対面シーンのお兄ちゃんっぷりがよい。
  • あとあの緑のやつ…(笑) ああいうのって俳優側としてはどうなんだろう。「俺だって好きでこんなことしてるわけじゃない」のしょぼくれ具合が好き。

「わかる」方になってみて気づいたこと

感覚的に「わかる/わからない」が分かれる作品や表現がある。

某作品では「わからない」側を体験した私だけど*1、今回モリステで「わかる」側になってみておもしろいなと思ったのが、私の説明を聞いても、「わからない」派の人は「なるほど、そういうことだったのか」とはならないんだよね。「わかる」派の私からすると非常に頑なに見えるんだけど、自分が「わからない」派だった時のことを考えるにたぶんそうじゃない。彼女たちの体感的には納得いかないのだ、実際に。

某作品で私にアドバイスしてきてた「わかる」派の人が途中からモラハラ度合いが強まったのも、その人の気質もあるんだろうけど、おそらく「これだけ説明しても納得いかないというのは、どうにも作品が悪いことにしたいんだろう、頑固なやつだ」というバイアスがかかってたんだろうな。

実際めちゃくちゃ頑固に見えるもんな……。対岸の景色をすでに知ってるから、たぶんそうじゃなくて、ただただ感覚的に納得いかないんだろうなって思えるけど、いきなりこっちから体験してたら、私もフラットに見れたかはちょっとわからない。

*1:ちなみに理由は、私の倫理観ではアウトな行為が理由なく肯定されていたため