考える練習

舞台やイベントの感想など

太陽の子が意味するもの - 舞台「DECADANCE」2回目 感想

1/29(水)ソワレを観劇。
1回目観劇後の感想はこちら。
舞台「DECADANCE」~太陽の子~ 感想 ※後半ネタバレ - 考える練習

解釈変わったとことか思いついたところを。
ネタバレ気にしてないので注意。

今回の座席はC列センブロ。思ってたよりはかぶらないなという印象。役者が立ってる分には問題なく見えますね。ただ、立ち位置によってはしゃがんだり座ったりすると前の人の頭がきれいにかぶってまったく見えない。

双眼鏡があればどこでも良席というスタンスなのですが、近いとやっぱり迫力があるというか、熱量を浴びる感じがありますね。ど真ん中で見得を切るシーンは意外と少なかったんだけど、オープニングでテイラーが「俺たちは太陽の中心だ!」って笑顔で言うところ、妙にどきどきしました。

それと、アクションの時の表情とか避け具合とかがよく見えるのが楽しかったな。西田さんの殺陣って基本的に間合いゆったりめに取って、その分勢いよく振るっていう感じだと思ってて、実際、大半はそうだと思うんだけど、誠治郎さんの振り回す剣が思ったより相手の顔の近いとこ通ってて「ひぇっ」ってなった。間合いがわかってるからこそできることだよな…。

太陽の子

前回の記事で、テイラーは何もしてないって書いてて、今回、やっぱ何もしてないよねって再確認してきたんですが(笑)、太陽は中心にいて動かない存在で、周囲の惑星が太陽の周りを回ることを考えると、テイラーは何もしないのが正しいのかなとぼんやり思ったりしました。

作品で太陽と月を対比させるのってよくやるけど、恒星としての関係性としては別に対比じゃないんだよな…と思ったり。ジェンバが「土の子」なのは地球のメタファーでもあるのかな。二人をつなぐ存在って考えるとそうだよね。

そういえば、ラストのオルタンシアの「そんなやついましたっけ?」っていうのが「土の子=>ツチノコ」を拾っていることに気づきました…w

あと、太陽の中心がよくわかんないな~と思ってたけど、これは作中でもちらっと言及されてるように「自分たちならなんでもできるという全能感」、世界の中心、的なことでいいのかな。

ラストの解釈

前回記事には全員生き延びる方向になるんじゃないか?と書いたんですが、いや違うな、と。たぶんマリウスは死んでしまうんだろうけど、彼にとってはやりたいことをやれた状態だし、テイラーとジェンバにとっては、旧友のやりたいことをサポートできたし、見届けられたということになる。ので、彼らにとってはハッピーエンドだったのかなぁと。

なぜ最後をぼかしてしまうんだ…と思ってたんですが、あのシーンで話を閉じることで、彼らにとって、これは肯定できる結末であることを強調できるからかなと。

この作品単体の話からちょっと逸れるのですが、西田さんのオリジナル舞台ってそういう、どんな悲劇的な結末に至ろうと、精一杯生きたなら、それを全力で肯定するという姿勢があることが多い気がしていて、その姿勢が好きだなと思います。

けど、やっぱ最後どうなったか描写か説明が欲しかったな~~~~(笑)