考える練習

舞台やイベントの感想など

お芝居の受け取り方

見たもの聞いたものを、その時何を感じたかと一緒に心の中にぽんぽん放り込んでいって、そのブラックボックスから返ってきた解釈が私の解釈。という感じ。ぼやっとしたイメージみたいなもので、そのままだと言語化されていない。

なぜそのキャラがその行動に出たのかがわからなくて考えたい時はそのブラックボックスからいったん取り出してきて、表層意識の論理で組み立てて考える。

先日見たデカダンでここがわからないな…となって考えた時も、そういう感じだった。見ている最中に考えることは、あまりない。

悲伝で山姥切がなぜ三日月に切りかかっていくのかわからない、と言った時に、「わからないのはあなたが荒牧さんの演技を受け取れていないから」と言われたことがある。今考えると、俳優おたくに対してなかなかに侮辱的ですごいなと思うんだけど、まじめに考えるなら、わからないのが「正解」だよな、と思う。言えるのはせいぜい「私はこう解釈してます」まで。私たちは勝手に、それまでの行動とその時の演技から「こう考えてるんだろう」と読み取っているだけだ。

この件で印象的だったのは、初回観劇時のメモには、「こういう理由じゃないか」というのがちゃんと、書いてあったこと。その後、表層意識で取り出して考える過程で、そのあたりが接続できなくなったらしかった。

「クロードと一緒に」で、主人公の行動が、理屈としては理解できないけど、でも「わかる」という経験をした時に、驚きはしたけど戸惑いはそこまでなかったのは、頭での理解と心での理解は別物である、という認識がもともと私の中にわりと強くあったからなのかなと、今振り返ると思う。