考える練習

舞台やイベントの感想など

「自明の理」があるのかもしれない

TRUMP シリーズと悲伝共通で、末満さんとそれらの作品が刺さる人にとっては「自明の理」なので描かれていない大前提があるんじゃないだろうか?という話です。

※これが正解だ!という意図ではなく、全然ドラフトです。文末にお題箱のリンクをはって意見・アイデア募集しております。

私のまわりはもともと刺さらない派の人が多めなんですが、興味深いなと思ってたのが、私も含めて刺さらない派の人たちがだいたい「話は面白いんだけど、登場人物たちの行動にいまいち共感しきれないので感動までいかない」という感じなんですよね。

登場人物の行動が全く理解できない訳ではないし、たぶん演技が駄目という話でもないんですよ。TRUMP シリーズにしろ、悲伝にしろ、個別のシーンでの俳優さんの演技で感情が動かされることはあるんだけど、あくまでそのシーンでのその演技に心打たれるという感じで、物語の中で積み重なってきた情動によって泣くというのがない感じ。

人物の行動があまりに常識から外れていて、理路が理解できない、とか共感できないとかでもなく、理解できそうでできない、という感じ。

で、ちょっと話飛ぶんですが、こないだメサイアシリーズの一挙放送やってたので見ていたら、メサイアも同じような感触がありまして。話は面白いんだけど、いまいち共感しきれない。3作目だか4作目だかを見てた時に「あ、今、この世界観における人物の行動基準がわかったような気がする」と感じた瞬間があって、その後、見やすくなったんですよね。感覚的に「わかった」気がするだけで、これだ、というものが言語化できる訳ではないんですけども。彼らが行動選択する時に大前提としている価値観がつかめたような気がした。

その時に、もしかして末満作品も同じなんじゃないだろうか?と。

末満さんにとっては自明の理だから描写されないし、作品が刺さる人にとっても自明の理だから感想でも特に触れたりはしない。しかし、それを共有していない人にとっては、肝心な情報が抜けていることになる。だから登場人物の行動に納得がいかないし、共感できない。そういうことなのではないかなと。

「言えない本音を感じとることが優しさ」とかそういう方向性の何か。「多大な要求をぶつけることが最大の友情の表現」みたいな感じかな~~とは思ってるんですが、これもかすってはいるけどドンピシャではないような気がするんだよな…。難しい。

悲伝に関して、「末満さんは「愛とはエゴである」ということを描いている」という記事を見かけたことがあるんですけど、どちらかというと、「エゴこそ愛である」の方が近いんじゃないかな~と思ったり。たぶんそんな感じなんですよ~そんな感じの何か。

たぶん大前提これじゃないかな?というのがもしありましたら、コメントやお題箱で投稿いただけると嬉しいです。
ゆいさんのお題箱