考える練習

舞台やイベントの感想など

悲伝の気になる点について、あらためて考えてみる

悲伝で考え続けたおかげで、「ここおかしくない?」という点に以前より気がつくようになったんですが、それでわかったのが、大抵の物語ってどこかしらおかしい点があるものなんですよね。もしかしたら、100点満点、一切のつっこみどころがない物語というのもあるのかもしれないけど、普通はどこかに、あれ?ここおかしくないか?という点はある。

ただ、おもしろいと感じられる、良さがわかる話の場合は気にならないんですよね。そもそもその点に目がいかない場合もあるし、気がついても、よくよく考えてみるとおかしいんだけど、納得感はあるんだよなということになったり、スルーできたりする。

逆に考えると、欠点に目がいってしまう時点で「悲伝がおもしろいと感じられない」ということなので、それらの欠点を解釈によって解消しても、悲伝がおもしろいと感じられるようになる訳ではない。

ので、まぁあんまり意味はないんですけど、独自解釈もりもりな人にだいぶひっぱられてたこともあり、今あらためて考え直したらどうなるのかなぁという興味もあって、あらためて悲伝の気になる点について問い直してみようと思います。

こうも考えられるな~これもありだな~みたいに考えてみるつもりです。ストーリーを順に追って考えるのではなく、私が気になるところを考える感じなので、本当にただのメモになります(笑) 暇つぶしにしてくださいw


演出家の末満さんがどう意図していたかに近付こうとするよりは、作品そのものを見て、どう読み取れるか? どういう解釈の可能性があるか? を考えるのがメインです。末満さんがこういう脚本・演出の時はこういう意図なのが定番!みたいなのは、触れる場合もありますが、基本的には脇に置いて考えるつもりです。


三日月はなぜ光忠を止めるために、腹部を刺す、という一番過激な策を取ったのか

メタ的な観点からいうと答え出てて、「ここで山姥切が動揺しないと話が進まないから」なんですけど、まぁそれはひとまず置いて考えます(笑)。

仮説1:刀剣男士にとって、刺すことの重みが人間とは違う

人間が刺すってなったら殺す気だけど、彼らにとっては殴った程度なのではないか?という解釈。

聞いた時はなるほど、と思ったんですけど、山姥切はともかく、他の刀剣男士もめちゃくちゃ動揺してるのが変だし、義伝で小夜が刺された時の刀剣男士たちの反応を考えると、これはちょっと厳しいように思います。

刺されても死なないのがわかっている分、人間とは行為の重みは違うと思いますが、その後動けなくなることや義伝で小夜が寝込んだこと(と、悲伝の光忠もすぐ治った訳ではなかったよね…?) を考えると刺された場合のダメージそのものはあまり変わらないように見えるし、彼らの動揺具合から考えると、やはり「刺す」ということは「殴る」などとは行為の重みは違うように思える。

仮説2:そこまでしないと光忠が止まらないことを直感したから

実力差がめちゃくちゃある以上、他にも止めようはあるよなぁとは思うんですが、まぁ光忠がそうだって言ってるから、悲伝的に正解はこれなのかなぁという感じですね。


あ、他の方法に比べての刺した場合の利点、書いてて気づいた。刺したら一発で動きを止められること。時間をかけられない場合はこの方法しかないですね。一瞬でどうにかしようと思ったら、頭部を殴って脳震盪を起こさせるとか、腹部を殴って気絶させるとかになると思うので、行為の凶暴度合いが刺した場合とあんまり変わらなくなってくる。

とはいえ、まがりなりにも自分を刺した相手について、何か感じたものがあるとはいえ、「三日月さんは悪くない」って言える光忠、本当にいいやつだな…。

三日月はなぜ言えないことすら言わないのか?

三日月の設定として自分のことは言わないというのがあるからかな~とは思うんですが、それで他のメンバを苦しめてるのがわかってるのに何も言わないのはさすがにおかしくない?というのが当初ひっかかったところでした。

TRUMPシリーズ見てて思ったんですが、たぶん末満さん、「大事なことを言えない・言わない」シチュエーションが大好きなんですよね。「TRUMP」とか2時間ちょっとしかないのに、10回ぐらいそういうシチュエーションが出てくる。ちょうど言おうと思った瞬間に別の人が登場したり、緊急事態が発生してそれどころではなくなったり、心理的にためらってたら別の人が登場したり、緊急事態が(以下略)…という感じ。

映画「刀剣乱舞」の方では、三日月が一人で抱え込んで言わないという設定自体は踏襲しつつも、「言えない・言わない」シーン自体がそこまで頻出しないことを考えても、悲伝が「言えない・言わない」ことを味わうシーンが多いのはキャラや物語の必要性からというよりは、末満さんの好みの部分が大きいんだろうなぁと思います。

前に見かけてなるほどと思った解釈で、「他のメンバに理由を言うと巻き込んでしまうから言えないんじゃないか」というのがあったんですが、その派生で、「言えないこと自体も下手に言うとそこから何かがバレてしまうかもしれないから、ひたすら黙秘している」という解釈なら、一応理屈は通るかな~と思いました。ただ、そこまでのレベルで隠さないと駄目なんだったら、明らかにこれまでと様子が違う時点でアウトでは??と思わなくもない。

導くような振る舞いをしていたのはそう望まれたから?

これに関しては悲伝そのものの気になる点というよりは、聞いた解釈でこれちょっと違うんじゃないかと思った点になります。

三日月が悲伝の第一幕まで、導くような振る舞いをしていたのは、自分がそうしたかったからではなく、みんなにそうあってほしいと望まれたから、という解釈をしてる人がいて、興味深い解釈だなと思ったんですが、根拠としていたのが「美しいと思う心が物に宿る」という虚伝のセリフで、振り返って考えた時に、ちょっと違うのではないか?と思ったので、私はどう解釈しているかのメモ。

"自分がそうしたかったからではなく、みんなにそうあってほしいと望まれたから" そう振る舞っていたというのは、その人の"本質"と"見える(見せていた)姿"が異なるということを示しているんだと思うんですが、「物に宿る」というのはコーティングのようにその表面に乗るんじゃなくて、本質にプラスされるということだと思うんですよね。なので、"みんなにそうあってほしいと望まれたから" 導くような振る舞いになっていたんだとしたら、それは表面上そう振る舞っていた訳じゃなくて、三日月の性質に ”導くような性質" が生まれたからなんじゃないかなと。

書いてて気づいたけど、私はそもそも他のメンバーがそういうことを望んでいたとはあんまり思ってないですね(笑)。山姥切は望んでたかもしれないけど、他のメンバーは各々違うことを望んでたんじゃないかなぁという気がする(特に望むことはないっていう男士もいるだろうし)。

「美しいと思う心が物に宿る」って聞いた時は興味深い考え方だなぐらいにしか思わなかったけど、見る側が思ったことが本人の性質に追加されるの、思われた内容によってはなかなかにこわいですね。




振り返ると、気になるのって、三日月の行動がおかしくないか?という点で、三日月はこういう行動を取る人物なんだって受け入れてしまえばそれで終了する話なんですけど、推しが演じてるキャラが慕う人物が愚かな行動を取ってるっていうのが、嫌なんですよね、私は。

もしかしたら末満さんの意図としては「三日月は混乱して愚かな行動を取ってる」として受け取ってほしいのかもしれないし、「実は三日月はこういう人物だったんだ」として受け取ってほしいのかもしれない。その場合は私の解釈は間違っているということになるんですが、たとえ間違いでも、やっぱり私は三日月は賢い人であってほしいし、本丸のメンバーを愛していてほしいなと思います。