考える練習

舞台やイベントの感想など

ヒーローとは何か? - ヒロステ感想

僕のヒーローアカデミア The Ultra Stage」、略称ヒロステ、見てきました!
のっけから人様のブログの引用で恐縮なんですが、わかる…!となったので引用させてください。

自分は勝手に2.5次元に上限をつけていたんだと、ここまでしかできないだろうと思っていたことに気付かされました。

yurukuosu.hatenablog.com


最近、「2.5的なモノ」に飽きてきたな~と感じていて、別ジャンルの舞台をもうちょっと新規開拓してみるか~となってたんですが、ヒロステ見て、まだまだ2.5には私が見たことのない可能性があったんだ、、と感じて反省しました。とはいえ、あんまり期待値上げすぎるとよくないかもしれないので、これから見る方は期待値をフラットに戻して見てください。


原作の「僕のヒーローアカデミア」はタイトルは知っていたんですが、読んだことはなくて、今回の舞台のチケットを取ったのも猪野くんが出るからでした。原作を事前に予習するかは迷ったんですが、話そのものへの驚きを優先したのと、予習しなくても話がわかるのがいい2.5次元舞台だと個人的に思ってるのもあり、試す目的もあって、今回は予習せずに。だいぶ駆け足だと聞いていたのでちょっとどきどきしてましたが、見ていて特にわかりづらいと感じたところはなかったと思います。予習なし初見でもついていけるようにうまく編集してくれていたのかなと思う。この先どうなるのかずっと手に汗握りながら見られたので、これはこれで正解だったかな。

話の展開はめちゃめちゃ週刊少年ジャンプ…!という感じでしたが、随所にそれだけではない、ひんやりとした感触があって、ずっと、「ヒーローとは何か?」ということを考えながら見ていたような気がします。オールマイトが平和の象徴として崇められてる感じと、一方で実は活動限界が徐々に迫ってきていることの対比とか…なんだろう、うまくいえないけど、単に人を救いたいという気持ちがあればOK!どんどん強くなれるぜ!っていうんじゃない世界観を感じたというか。

原作読んでみてもう一度考え直したいんだけど、舞台を見て感じたことも大切にしたいから悩ましい。

そうだ、今回見てて、「これは人間のドラマなんだ」っていうのをすごく感じました。ベタな展開だな~って感じるところもあるんだけど、それ以上に役者陣の熱演にドラマを感じて、胸が熱くなって。確かに2.5を見てるはずなんだけど2.5じゃないような。どこか2.5ってリミッターをはめないといけなくて、演じる時もその枠を超えて感情を出してはいけないような印象があったんですけど、今作はその枠を超えてきたような印象。

上海公演やります!って発表見た時は、まだ公演やってないのに海外公演とは思い切ったことするなぁネルケ…と思ったんですが、この作品で海外に打って出ようって思うのわかるわ…いや因果が逆かな? この作品を海外の人にも見てもらえるのがめちゃくちゃ嬉しいし、これ見て2.5っておもしろいなって思ってもらえたら最高だな~。

つれづれに思うよしなしごとを

「母」という存在

母とこういうことをして…というツイートを見かけるたびに、ふんわりといいなぁという羨望がわく。

物心つく前に両親が離婚し、父親側に引き取られた私には、母と何かした記憶はない。子供の頃は時々、「お母さん」が喉から手が出るほどほしくなる瞬間があった。もう今となっては何がきっかけでそう感じたのかは覚えていないけれど、あふれでる感情を抑えきれずにぐすぐす泣いていたことがあるのは、覚えている。

年齢を重ねるにつれ、考えても仕方のないことだとして、考えなくなった。考えても「お母さん」を得ることができる訳ではないから。たとえ父が再婚したとしても、それは私がほしい、気がついたら私を育てていた「お母さん」ではない。

それが、最近、ふんわりといいなぁと感じられるようになった。喉から手が出るほどの渇望ではなく、ふんわりとした羨望。少し甘くて切なくて、ぼんやりとしていて、私はその感情が嫌いではない。

三日月のやりたかったこと

最近、悲伝について考えるのが楽しい。改めて先日言及した「原因」が原因だったんだなぁと思う。あんなにぐちゃぐちゃな感情で乱されていたのが嘘のように、ころころと頭の中で転がして楽しんでいる。


「折るのではなかったのか!」と煽る場面が特に謎だったのだけど、三日月は本気で折ってほしいわけじゃなかったのではないかな、と思う。結の目になる原因がループして絡まったことなのに、あそこで折られてしまったらループを抜けられないので、より絡まってしまうことになる。

命令が下った時点で、いなくなることが確定しているから、変に情を残さないように、そして、少しでも彼らに強くなってほしくて、ああいう発言になったのかなと思う。技能的な面で強くなることと、精神的に自分をも斬れるくらい強くなること。

三日月に対する疑念が発生してから、三日月はずっとあたりが強い。反発するメンバーもいるだろうけど(むしろそれが普通の反応だと思う)、中には、自分が何をやりたいのかを感じてくれるメンバーもいると、信じていたんじゃないだろうか。光忠はそれを感じたし、山姥切は信じた。

光忠は三日月の意思についての推察を口にしてるけど、(「何かを守りたいんだと思う」)山姥切はそこを口にしていないから、何か感じたからというよりは、それまでの三日月との関係性から、ただ「信じていた」んじゃないかなと、思っている。

知らぬ間に加担してしまうこと

今回の「原因」というのは、この、鴻上さんの記事の事例みたいな話。
「友人に絶交されました…」 鴻上尚史が指摘する原因“無意識の優越感”とは (1/7) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

私がA子さん側で相手が「さやかさん」側。相談内容は悲伝に関しての話だったんだけど、振り返るとこの事例にすごく当てはまっていて、まぁなんというか、いろいろひどいこと言われてたなぁ…と思う。その原因自身は悲伝が大好きらしいのだけど、結果的に悲伝の批判的な感想をあげる手助けをしていたんだなと思うと味わい深い。

おかげであやうく悲伝を好きになれないまま終わるところだったので気づけて本当によかった。

ひとまず

悲伝への執着が取れなかった理由が、たぶん、これだなというのがわかったので (うっすら方向性としては気づいてたけど、けっこう意外な理由だった) 、これはdisにあたるかな~って記事だけ下げました。
こないだの記事で8割って書いたけど、案外書いてなかった(笑)。5割でした。

昨年夏あたりの記事見ると、記事の数も多いし、めちゃくちゃ考えてて自分でびっくりしますね。そのあたりは dis じゃなかったのでそのままです。

(追記)
某所のお題箱でたぶん私のブログかなと思われる言及されてたんですが、刀ステ全体をdisってると誤解されてて悲しかったので、これまで書いた記事をセルフリンクしておきますね…。他に刀ステ全体をdisってる人がいて、単に人違いだったらいいんだけども。

エーステ秋冬感想 & ぼく明日(荒牧x三森回) 感想

感想記事をあげたくてあげられなくて。気がつけばもう4月ですね。

……早くない??どっかひと月飛ばしてない?

エーステ秋冬

春夏をライビュで見てから楽しみにしていたエーステ。前評判通り最っ高の出来でした。

今だからいうと初日見た時にいまいち「よかった~!」ってならなくて、「期待しすぎたからかな…?」ってちょっとしょんぼりしてたんですけど、2回目見たら「めっちゃよかった…!」ってなって、ぼろぼろ泣きました。あれなんだったんだろ?

秋組の話は劇中劇がかっこよすぎて毎回いいな~羨ましいな~ってなってた。
太一のポートレイトの「好かれたかった。愛されたかった」が噛みしめるような言い方になったのが好き。元が声オタなので言い方に注意が行きがちなんですけど、万里の「お前はGOD座の七尾太一なのか!」のところが、東京公演の最初の方はシンプルに怒鳴るというか大声を出す感じだったんですよね。何回か入ると、冷静に諭すような感じ、優しげな感じ、といろいろ試行錯誤していて。最終的にどうなるのかなと思ってたら大阪で最初の怒鳴る感じに戻ってきてて、(山口は行ってないので山口からの可能性も)、でもそれが単に最初と同じじゃなくて、試行錯誤した過程が全部入った「お前はGOD座の七尾太一なのか!」になってて、めちゃくちゃ興奮しました。

冬組の話は原作読んだ時から好きだったんですけど、やっぱよかったですね…。
紬の来歴とか性格とかが自分と重なるところがありすぎて、すごい共感してしまう。「終わらない文化祭前みたいな…」のシーンと最後にレニさんに意趣返しするシーンが好き。紬の話は自分と重なるところはありながらもすでに過去にさんざん悩んで考えて乗り越えてきた部分が多いので、そこまで持っていかれずに見ることができて、距離感保ちつつ親しみを持って見られる感じで見ててすごく楽しかった。

余談:重なるところが多すぎて推しへの手紙でもそこに触れないのが難しく、私としては珍しく自分語りがかなり多めの手紙になってしまい、出してから「あれ大丈夫だったかな~」って恥ずかしくなったりしました…(笑) まぁ自分語り削ればよかったんだけど、そうするとかなり薄い感想になりそうだったので…。

あとカテコね…。万里と紬のやりとりが毎回めちゃくちゃかわいくて、もっと回数入れるようにがんばればよかったな~って思いました。

朗読劇「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」荒牧x三森回

ぼく明日は初演を見たことがあったので、まぁ話は知ってるしな~みたいな感じだったんですが、
hirokuhukaku.hatenablog.com
推しだと全然違いますね!笑

こっちの集中力が違うんでしょうね、泣き具合は変わらなかったんですが、ひとつひとつの心情がぐっとささってくるようで、心動かされ具合としては変わらないんだけど、後引く感じがあるというか。いまだに楔が刺さったままになってるような感触があります。

一番印象に残っているのが高寿にとっての最終日、詳しく教えてと言われて、詳細に語った後。楽しそうだった表情がすっと苦しそうな表情に変わって、「こんなの、愛美にとってはなんにも楽しくないじゃないか」と言うシーン。初演の時は、そのあとの愛美のセリフにとても大きな愛情を感じて、ぼろぼろ泣いて、そっちの印象が強かったんですが、今回は高寿のつらさがより刺さってくるように感じました。そこから涙をこぼすに至るまでの感情変化が自然な感じで、そのきらめくような心情の変化に惹きつけられて、これまであんまり、荒牧さんのお芝居のしかたが好き、みたいな風には感じたことがなかったんですが、この時はこの人のお芝居をずっと見ていたいな…と感じて、不思議な感じでした。

もうひとつ印象的だったのが、真実を知らされた高寿が「きついんだよ…」と愛美に言うシーンで、案外、つらそうにしてたシーンがけっこう印象に残っているなと思います。

今回は三森さんがしっかりめの印象だったせいもあってか、荒牧さんの高寿はまだ半分少年のような、ちょっと幼い印象。終盤急にぐっと大人びて見えて、それまで幼い印象だっただけにその印象が鮮烈でした。後からインタビューを読んで、真実を知ってからは大人になる感じを意識した、という旨の発言があって、あっていたんだなぁとちょっとうれしくなったりもしました。

好きになれない自分を肯定していく

昨日の記事でリンクをはったロスモワについての記事を読んで、自分の書いた記事なんですけど、「他の人と同じ感想を抱く必要もないのでは」というところにすごく慰められて。

どこかで私は「悲伝をいい作品だと思えないのは私がおかしい、もしくは努力が足りないからではないか」という思いを持っていたのかもしれない。

推しがすごく楽しそうに悲伝の話をしていたから、というのが大きいのかなと思います。推しが好きな作品を私も好きになりたかった。

作品の実際の出来なんてたぶん本当はどうでもよくて(作品の出来もいいのがもちろん最良ですが)、ただ、推しが好きな作品を私も好きになりたかった。

基本的に許容範囲が広いので、「これは駄目だ」ってなる作品自体がめちゃめちゃ少ないんですよね。「悪くはないけどそこまでささんないな~」か「これは私にはささらないけど、いいなと思う人がいるのは理解できる」ぐらいしかなかった。実際、これまで3年間いろいろ観劇してきた中で(振り返り記事を見てもらえばわかると思いますが、私は推しの出演作や2.5に絞らず、いろいろ見るタイプです)、これはまじでクソだなって思ったのは一作品だけだし、虚無って叩かれてる作品でも、うーん、めっちゃおもろいかといえば微妙なラインだけど、そこまでか?と感じることが多かった。

そんな私にとって、悲伝は初めての虚無作品でした。その後も虚無作品にはひとつも遭遇していません。だから余計にどうしたらいいかわからなかったんだと思う。

思い返せばロスモワの仁希も、推しは演じていて楽しいと言っていたんですよね。でも私は好きにはなっていない。

じゃあ今回も一緒だよな、と。すごく楽になりました。推しが好きだからといって、私まで好きにならなくてもいい。好きになれなくてもいいんだと。

悲伝では各所にご迷惑をかけてしまい、そのことについては申し訳なかったなと思います。あと見守ってくれた方々、本当にありがとうございます。SNS に出さずに考えるだけだったらもっとかかってたと思う。

ただ、変わらず悲伝のことは嫌いなので*1、「いい作品ですよね」という話の振り方はしないことをおすすめします(笑)。「私はそうは思わないですね…」としか返せないので。

*1:はっきり嫌いって言えるようになったの、すがすがしく感じる

悲伝を好きになれない理由 (vol2) (たぶん)

またひとつ発見があったのでメモです。
なんだかんだでこうして遊べることを考えたら悲伝優秀な気がしてきた。

悲伝が駄目な理由、すっごいシンプルかもしれないと気づきました。「エゴの愛をアガペーの愛として扱われてるのが気持ち悪い」の派生みたいなものではあるんですが。

先日、下記の漫画を読んでいて、とあるシーンのセリフがすごくささりました。
お母さん二人いてもいいかな!?
(ちなみに今 kindle 版が100円で買えます!)

子供への深い愛情が伺えるセリフだったんですが、その時に、私はこの逆のパターンは本当に駄目なんだよなって、ふと舞台「K - Lost Small World -」(以下、ロスモワ) の伏見仁希のことを思い出して。伏見仁希は息子の大事なものを壊して憎まれることに楽しみを見出すというなかなかのキャラで、推しが演じているにも関わらず、私は仁希が無理すぎたので円盤を買っていません。無理すぎて書いた記事はこちら
hirokuhukaku.hatenablog.com
読み返したらこないだ悲伝に関して書いたことと同じようなこと書いててちょっとおもしろくなってしまった(笑)


その時に、あぁそうか、ステ三日月も一緒だよなぁと。

仁希が駄目な理由は、もともとクズキャラが苦手であることと、親(もしくはそれに類する立場の人)が子供を傷つける状況が地雷だから、なんですが、親が子を傷つける状況って悲伝の三日月も一緒だよなぁ…と。

実際には親ではないですが、親のような立場として山姥切に対して振る舞っているし、山姥切も親に対するように慕っている節があるのと、ループしまくっていることを考えると生きている年数としては年長者の立場にあることから、類する立場とは言えるかなと。

三日月が山姥切を傷つけていることに関しては、悲伝称賛派も同意だと思うのですが(違ったらどうしよう)、そもそもそれが地雷だから駄目なんじゃね??という。

ロスモワでは仁希は重要キャラではあってもメインではないので、こいつまじむかつく、でも話はいい、という切り分けが可能なんですが(実際ロスモワは話自体は好き)、悲伝においてはその地雷行動を取るキャラがメインなんですよね。そうなると話だけ切り分けて評価することができなくなってしまう。


ちなみに、どのくらいの時期から考え始めたかは忘れましたが、個人的には、三日月と山姥切の関係性、毒親とその子供みたいな関係性だな~と思って見てました。たぶん山姥切は早く関係を切った方が幸せになれるやつ… 今は親鳥についてく雛状態だから無理だと思うけど…。あとついてくことを選ぶにしても(今は別々の状態なので精神面での比喩的な話になりますが)、選択するという視点がない状態での否応無しの選択じゃなくて、ちゃんと関係性を理解した上で本人の選択ができる状態になるといいなぁと思います。今だと選んではいないので。

余談。悲伝好きな人に話聞いてた時に、山姥切が三日月三日月言ってるからそこに嫉妬しているんだと理解されてたことがあって、そういう視点があるんだな~と興味深かったんですが、私は役と本人をそもそも分けて考えてるのと、三日月と山姥切の関係性を上記のように捉えてるのもあって、山姥切に関しては、つらい状況に巻き込まれてしまった友人を見守るような気持ちで見てます。


自分で不思議だったのが、話がどうか、という観点で、もうこれは価値観の問題だから仕方ない、諦めよう、と思ってた時は「悲伝がいい話だと思える人羨ましいな」と思ってたんですが、「『仁希かっこいい』って言ってた人たちと同じようなものか」って考えると、なら別にいいやという気持ちになってきました。なんでなのかは不明。何が違うんだろうな。


そういえば、食い違いでもう一つ、悲伝を「丁寧」と評してる人が時々いて、「どこが…??」と思ってたんですが、これのせいかなとおもったことが。

たぶん、悲伝がいいと思える人にとっては、三日月の行動が愛ゆえの行動であることは自明なんですよね。だから、そこをあらためて愛ゆえですよって言われると説明過剰だな~ってなるし、丁寧だな~ってなる。

しかし、三日月の行動が愛ゆえのものとは見えない身にしたら、(私の場合はエゴ由来は別物という認識なのでそう見えない) 全然そう見えないのに「愛ゆえとして受け取ってね」とだけ言われる状態になるので、(具体的なセリフがある訳ではなくて、演出などからメッセージとして伝わってくる)、「???」だし、「この作品、描写が下手だな…」となる。

たぶん他の行動も食い違いが発生する部分に関してはそうなんだろうな…。

そういえば、悲伝、純粋にアガペーの愛の物語として捉えようと思えば出来るようにしていることによって、「なんやねんこの話」となるリスクを少しでも避けようとしてるのかもな~と思ったりしました。飲み込みづらい人はアガペーの愛の話として解釈すればいいよ、という。実際そこまで意図してたかはもちろん不明なんですけども。

池袋ウエストゲートパーク SONG&DANCE 1/4ソワレ 感想

下書きに放り込んだままになっているのに気づいたので、今更にあげてみます。
今年の1月ではなく、昨年1月上旬に観劇した感想です(笑)

↓↓↓

ざっくりでいいから早くあげてみよう企画第2弾。タイトルに日付入れると今日の感想ですって感じになって書きやすい気がする。

感想ブログ読んで「やっぱり気になる!」と思ってチケット取ってたんですが、とても…よかった…。

劇場は東京芸術劇場シアターウエスト。
通常は奥側にのみ舞台、だと思うんですが、ど真ん中にどんっと舞台があって、奥側は舞台と同じ高さのところにひな壇が作られて座席が置かれてました。なので奥側最前列は舞台と地続き。手前側の最前列もそうだったのかな?
K列だから双眼鏡いるなーと思って持っていったんですが、通常の形式の場合の前方列がつぶされてるために実際は7列目だったので、なくても普通に表情見えました。双眼鏡を使えばどこでも前方席派ですが、使わないほうがやっぱり舞台そのものに集中できていいですね。

なんだろうなー。めちゃくちゃ良くて、こんなに上質なエンターテイメントが7,500円(一般席)で楽しめるとか実質タダでは?って感じでした。

とあるギャング集団が仕切っていた池袋に新たなリーダーが現れて別の集団ができ、対立構造に陥ってしまい、悲劇が起こる…という話なんですが、流れの表現が絶妙で…。歌もダンスもレベル高いし、とにかく楽しかった。


以下、箇条書きまじえつつ。

  • 開演数分前からダンスバトルがあり、高まるストリート感。
    • ダンサーさんたちと俳優陣とのガチンコのダンスバトル(観客の拍手の大きさでどっちが勝ったか決める)
  • 染谷俊之さん演じるキングの存在感がすごかった。
    • 声の威圧感がすごい。単なる低めの声じゃないんだよね。めちゃくちゃかっこよかった…。小説読んでた時のイメージではガタイがいい人の印象だったから、「染谷さんがキング??」って思ってたんだけど、あ、この人は「キング」だって思った。納得せざるを得ない。
  • 対立相手のトップもよい
    • 染谷さんとは逆に、高めで飄々とした声なんだけど、地に足ついてない不思議な浮遊感が別種の底知れなさを感じさせて、ふらっと来てトップを取ってしまうことに関して、この方もすごい納得感があった。


池袋ウエストゲートパークはだいぶ前に小説で読んだきり、おぼろなイメージがあるきりなんですが、たぶんこれけっこういじってる、よね? こんな悲壮な感じの話だった覚えがない(笑)。

池袋のギャング集団がお互いに緊張状態高まったあげくつぶしあいになってしまい、それを止められなかった主人公が無力さを嘆く、という話なんですが、こんなに救いのない話だったっけ…? なんだかんだで止めてそうな気がするんですが、違ったかな。しかも最後、衝突を止められてないっぽい上に、その暴走の結果、どうなったかが示されないという…。主人公が生きてるとこ見ると、そこまで悲惨な事態にはならなかったんだろうか。

最後まで中立な立場を貫くマコト(大野拓朗さん)がいかにもまっとうに育ってそうな感じで、どっちかに肩入れするでもなく、中立な立場を貫く点に説得力があってよかった。

実は裏でヤクザが手を引いてて、いいように利用されてただけだ、という真実が明らかになるあたりで、「あ~池袋ウエストゲートパークってこういう話運びする物語だったよね!」って懐かしさを感じた。話がギャング同士の話で終わらないあたり、大人のずる賢さに負けるな、というメッセージも感じるし、世界は広いんだぞ、というのも感じる。石田衣良さんの小説はこういうところが好きだったなぁ…と思い出しました。
あとクラシックが要所要所で出てくるのもIWGP味を感じた。小説だと自分で探してこないと聞けませんが、舞台だとその曲がながれてくるのいいですね。

モブの人たちが赤と青、両陣営どっちも担当してるの、人はどちらにもなりうる、とかどちらでも変わりない、とか、なんかいろいろ読み取って遊べますね。舞台から退出して即逆陣営のブルゾンを羽織って出て来ることもあって、アンサンブルさん大変だ…とも思ったけど。

あれだけキングの言うことなら聞いていたのに、最後の最後、「武器を置け」って言われてもそこだけは従えないのも真実味があってよかったな…。凄むキングの表情もよかった。染谷さんはわりと飄々としたキャラばかり見てたから、あんな表情は初めてみた。