つれづれに思うよしなしごとを
「母」という存在
母とこういうことをして…というツイートを見かけるたびに、ふんわりといいなぁという羨望がわく。
物心つく前に両親が離婚し、父親側に引き取られた私には、母と何かした記憶はない。子供の頃は時々、「お母さん」が喉から手が出るほどほしくなる瞬間があった。もう今となっては何がきっかけでそう感じたのかは覚えていないけれど、あふれでる感情を抑えきれずにぐすぐす泣いていたことがあるのは、覚えている。
年齢を重ねるにつれ、考えても仕方のないことだとして、考えなくなった。考えても「お母さん」を得ることができる訳ではないから。たとえ父が再婚したとしても、それは私がほしい、気がついたら私を育てていた「お母さん」ではない。
それが、最近、ふんわりといいなぁと感じられるようになった。喉から手が出るほどの渇望ではなく、ふんわりとした羨望。少し甘くて切なくて、ぼんやりとしていて、私はその感情が嫌いではない。
三日月のやりたかったこと
最近、悲伝について考えるのが楽しい。改めて先日言及した「原因」が原因だったんだなぁと思う。あんなにぐちゃぐちゃな感情で乱されていたのが嘘のように、ころころと頭の中で転がして楽しんでいる。
「折るのではなかったのか!」と煽る場面が特に謎だったのだけど、三日月は本気で折ってほしいわけじゃなかったのではないかな、と思う。結の目になる原因がループして絡まったことなのに、あそこで折られてしまったらループを抜けられないので、より絡まってしまうことになる。
命令が下った時点で、いなくなることが確定しているから、変に情を残さないように、そして、少しでも彼らに強くなってほしくて、ああいう発言になったのかなと思う。技能的な面で強くなることと、精神的に自分をも斬れるくらい強くなること。
三日月に対する疑念が発生してから、三日月はずっとあたりが強い。反発するメンバーもいるだろうけど(むしろそれが普通の反応だと思う)、中には、自分が何をやりたいのかを感じてくれるメンバーもいると、信じていたんじゃないだろうか。光忠はそれを感じたし、山姥切は信じた。
光忠は三日月の意思についての推察を口にしてるけど、(「何かを守りたいんだと思う」)山姥切はそこを口にしていないから、何か感じたからというよりは、それまでの三日月との関係性から、ただ「信じていた」んじゃないかなと、思っている。
知らぬ間に加担してしまうこと
今回の「原因」というのは、この、鴻上さんの記事の事例みたいな話。
「友人に絶交されました…」 鴻上尚史が指摘する原因“無意識の優越感”とは (1/7) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)
私がA子さん側で相手が「さやかさん」側。相談内容は悲伝に関しての話だったんだけど、振り返るとこの事例にすごく当てはまっていて、まぁなんというか、いろいろひどいこと言われてたなぁ…と思う。その原因自身は悲伝が大好きらしいのだけど、結果的に悲伝の批判的な感想をあげる手助けをしていたんだなと思うと味わい深い。
おかげであやうく悲伝を好きになれないまま終わるところだったので気づけて本当によかった。