考える練習

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刀ステ新作に対してテンションがあがらない話[12/25追記]

2019年には新作やるだろうなとは思ってたので、発表聞いて思ったのは「でしょうね」だったんですけど*1、まったくテンションがあがらなくて、自分でびっくりしました。推しが出てるから悲伝に関してもできれば甘い評価をしたいんですが、メインストーリーが駄目だと駄目らしいです。メインストーリー以外は大好きなんですけどね…物語ってこういうとこ不便ですよね。メインが駄目だと他の要素がよくても全体として駄目になってしまう。


これまでは「次回作も推し出てくれるかな~♪」でしたが、今は推し回避を願う日々です。何がしんどいって、仮に次回作がおもしろかったとしても、また「集大成」として悲伝みたいな作品にたどり着かれる可能性があるんですよね…。虚無作品に向けてマラソンする日々が始まってしまう…。

単に悲伝が難しいだけだったなら、さんざん考えてどこにつまっていたかわかったので、もう大丈夫だとは思うんですが、悲伝、ただ難しいだけじゃなくて、いざわかってみたらめちゃくちゃ気持ち悪い話だったので、またそういう話見ないといけないんだとしたらつらいな~という。とはいえ推しが出るなら見ないという選択肢はないので、出ないといいなぁ…。また気持ち悪い話見るのやだよぅ。最悪おもしろくなくてもいいから気持ち悪い話だけは回避してほしい(切実)。



……で、ここからがある意味本題。

あまり言葉を選んでいないので悲伝が好きな方はお気をつけください。

なんかいい話風に演出されてるけど、悲伝の三日月、わりとクズじゃない? クズという言葉がきつすぎるなら、残念な人。正直あまりにもひどすぎて、三日月がいなくなる方がハッピーエンドだと私は思っている。

一番のターニングポイントである燭台切光忠を刺してしまうシーン。刺す必要あった??「ああしなければ止まらなかった」って言わせてるけど、他にもやりようあるよね?? まだ三日月と燭台切の実力が拮抗していて、三日月も余裕ないのなら思わず刺してしまったというのはわかるんだけど、三日月、「やれやれ」って感じに首を振る描写があるんですよ。切り結んでる最中にそれだけのことができる余裕があるならもっと他に止め方あったよね?? 案の定山姥切に目撃され、いらぬ不和を招き入れる三日月。

しかもこれ、本当にあほだな~と思うのが、初回じゃないんですよね。燭台切とこうして刀を向け合うの、どうもループのたびにやってるっぽいんですよ、三日月のセリフによると。なんで何度も同じシチュエーションに遭遇してて取る手段がこれなの?? 三日月が人を傷つけることをなんとも思っていないサイコパスか判断能力が弱った人、もしくは学習能力がない人じゃなければ、この選択肢はありえない。

その後も、えええってなるシーンが続く。「俺を折るのではなかったのか!」って煽るんですけど、何をしたかったのか謎。えっとこうなったのあなたが原因ですよね…?っていう…ドヤる前に言うことあるやろ…という気分になってしまう。悪役になりたいならなんか中途半端だし、まさかとは思うが、自分の強さを誇示したかったのか??っていう感じすらあって、なんともいえない。

まぁ刀解命令がくだった後はもう何をどうしようが覆せなくなるので、山姥切との約束を果たすためだけに生きているのかもしれないけど、それならそれでいらんことすんなよ…という…。


うがった見方をするなら、こうして撹乱することで成し遂げたい真の目的があるのかもしれないが、基本的に信頼されている状態の方がいろいろ動きやすいはずなので、そのためにこの支離滅裂な行動を取ってるんならそれもまたアホすぎる話である。まじで三日月、何がしたいんだ…。


私はとうらぶはそこまでヘビーユーザーではないので、数人の思い入れのあるキャラをのぞいては、特にキャラ解釈は持っていない。なので、私が知らないだけで、この行き当たりばったりで考えなしな三日月、実は公式設定なのかもしれない。もしそうなら申し訳ないなと思うが、そうでないなら、悲伝の三日月はあまりにもクソすぎる。

三日月自体には思い入れはない(のでどういうキャラでも構わないといえば構わない)のだけど、推しが演じるキャラクターが慕う存在として、もうちょっと賢いキャラであってほしかったなと思う。


まぁやらかすのが山姥切だったら全然違う感触になるだろうな~と思うので、三日月が好きな人がこの話好きなのはわかる気はするんですよね。散々ひっかきまわしてやらかしてもまだ信用してくれる本丸メンバ、本当に三日月のことを愛しているんだなぁって感じるので、自分の好きキャラがその位置にいたらめちゃくちゃ楽しいと思う。

[12/25 追記] あらためて考えてみると、好きキャラだった場合、馬鹿な行動を取らざるを得ない心境に(事情はわからなくても)共感できるという感じに作用するので、むしろしんどいかもしれない。


余談:
先日、とある作品のアニメ化のせいで原作まで嫌いになってしまったっていうツイートが流れてきて。わ、わかる…ってなってしまった。そのツイート主が嫌いになった理由は、原作に罪はないけど、あれの原作だと思うと嫌、という理由。

それと近い感じで、私も最近、山姥切を見るのが時々つらい。これまで山姥切は推しが演じたキャラの中で、好きな方の上位にいたんだけど、見ると悲伝思い出すし、クソみたいな三日月がいたことも思い出すし、でだんだん山姥切見るのがしんどくなってきてしまった。まぁ思い出す時には山姥切だけ思い出す感じにはなるんだけど、ぼんやり連想されるのが本当にしんどい。山姥切は推しが演じたこときっかけで好きになったんだけど、今度はそこの繋がりでしんどくなってきてしまった。

これまで各種メディアミックスに反対する人に対して、一回見てみて、だめだったらほっとけばいいじゃんって思ってたけど、一回見てみて残念だった場合、その記憶が残っちゃうんですよね…。これまで本当に残念なものに当たったことがなかったのでわかってなかった。ということに気づけたのは悲伝の収穫かもしれない。

あまりにもしんどかったので、あらためて山姥切の解釈を立ち上げ直すみたいなことをしてます。刀ステの山姥切にかすると悲伝思い出してしんどいので、それが絡まない山姥切を二次創作読みながら新たに自分の中で積み上げ中。推しの演じたキャラの中で一番好きなキャラではなかったのが不幸中の幸い…。

*1:驚いてる人がいることに逆に驚いた