考える練習

舞台やイベントの感想など

三日月のいない悲伝

もしかしたら和解できるかもしれないということでメモ。

ぼんやり悲伝のことを思い返していて、三日月に共感できない以外はまぁまぁおもしろかったかもしれないってところまで和解してることに気づいたんですけど、そう思った理由に、記憶の中から三日月の印象がだいぶ薄くなってることもあるんだろうなということに気づいて。

芝居の楽しみ方としては不純だけど、三日月がいなければ楽しめる・好きになれるんならそれでもいいのかなぁと。

物語の構造がわかればわかるほど、三日月まわりのエピソードに対する気持ち悪さが増していく感じで、それだけあわない作品だったということを飲み込むしかないんだよな、つらいことだけど、と思ってたんですが、所詮趣味なんだし、別に正しくなくてもいいかなという気がしてきた。無理に気持ち悪いところにつっこまなくてもいいかなと。

三日月をガン無視すればたぶん楽しめるけど、それは果たして可能なのか、そしてそれは悲伝なのか?っていうツイートを前にしたんですけど、記憶の中では可能なんですよね。
もちろんそれは一般的な悲伝とは違う悲伝になってしまうんだけど、私の中の悲伝はそうなんだ、ということで考えれば別にアリな気がしてきた。