悲伝 三日月の行動への解釈
ひどいことしてるように見える三日月をどう解釈し、どう受容するか?の話。いろいろ要素はありつつも、悲伝のメイン部分なので、ここで失敗すると「悲伝まじでクソだな」となってしまう部分。
どういう受容の仕方があるかなというところから考えたメモです。
「三日月はひどいことしてる!でもそこが最高!」
一番スムーズに受容できるパターン。なにしろ何の解釈もいらない。身近にこのパターンで解釈してる人がいないと、そんな人いるの?と思うと思うんですけど、私にアドバイスしてた人がこれだったんですよね。なので、います(笑)
私もまさかこういう解釈・受容の仕方をしてる人がいるとは思わなかったので、実はそう解釈していたと聞いた時は驚きました。道理で話が噛み合わない訳ですよ。
あと、この解釈の場合、「ひどいことしてるけどそこが"最高"」なので、感想としては「三日月尊い…」タイプと変わらない感じになったりします。なので、実はあの人もそう解釈してた…ということがありうるかもしれない。
「三日月はひどいことしてるように見えるけど何か理由があるんだ」
これが大多数かな~と思うんですが、ここでも2つパターンがあって、「何を意図してるかは全然わからないけど、きっと何か理由があるはず!」というので受容できる人と、たぶんこういうことなんだろうなぁという何かしらの理由が見つかってようやく受容できるパターンとがあるように思います。
三日月への好感度(もしくは演じる役者に対しての好感度)が高いと、何も見当がつかなくても、「きっと何か理由があるはず!」で受容できるんですよね。仲の良い友人がひどいことをしていたら、きっと理由があるはずなんだと思えるのと同じ。
この解釈もある意味、見たまま解釈に近いので、比較的スムーズに受容できるパターン。ネットにあがっている感想記事や私のTLでの反応を見ていても、三日月推し(or演じてる役者さん推し)の人ほどスムーズに受容している印象だったのはそういうことだろうなと思います。
最後は「わからないけど、きっと何か理由があるんだ!」では受容できない場合。私は三日月に対しての好感度がそこまで高くなかったので、理由なしでの受容は難しく、どう解釈するかで苦労しました。
ぼんやりと方向性の説明はあっても、細かい説明はない=丸投げなので解釈は人それぞれ。「まぁたぶんこういう理由じゃないかな?」と納得いく理由を各々見つけてそれに落ち着いている感じ。このパターンで落ち着いた人は、一回理屈を挟むからか、わりとフラットなテンションで感想書いてる人が多かった印象があります。
以下は、私の場合の話。
「未来を守りたい」というセリフがあるのと、悲伝が三日月の行動を肯定していることから、作り手側がどう受け取ってほしいかというのはわりと早くからわかってたんですけど、わかるがゆえに、一切説明がないことに観客への甘えを感じてしまって気持ち悪くて。「説明や描写はしないけど、こう受け取ってね☆」っていうメッセージだけがばりばりに伝わってくるのが受け入れがたくて、ううーんってなってました。
じゃあもう捨てればいいじゃん?って思うかもしれないんですが(実際言われた)、まだシリーズが続き、推しが出る以上、「凡庸な作品」ぐらいには昇格させておかないとしんどいので、がんばりました。記事あげつつ考えてきて、「こう解釈すれば一応筋は通るな」っていうのを見つけて、ひとまず落ち着いて。
この時に心底ほっとしましたね。これで三日月を嫌いにならないで済むなと思って。三日月自体には思い入れないんですけど(好きな人ごめん)、推しが演じるキャラが慕うキャラなので、この点に関しては末満さんがどう描きたいかに関係なく、三日月は賢いキャラであってほしいし、本丸のメンバを愛していてほしいなと思っていたので…。
その後で、「三日月の行動は慈愛に基づくものである」というのが演出で示されていることに気づいた時に、本当にこの苦闘が終わったというか、報われたような気がしました。
個人的には、穴埋めを見る側に丸投げしている時点で作品として評価はできないな~という感じですが(示した上で解釈を見る側に任せるのは別)、諦めないでよかったなと思います。