考える練習

舞台やイベントの感想など

悲伝 雑感

ばーっと書きたくなって書いたらひとまとまりの文章になったのでアップ。


悲伝の感想でもやもやするポイントっていうのを前にあげてたんですが、そういう風にみるのよくないですよって暗に言われて、そうか、だから理解できないのかなと思って、そういう風に見ないように努めてたんですよ。結局関係なかったんですけど…。その時に、自分としては意識で整理して、そう見ないようにしたつもりだったんですが、ものの見方ってすぐには変わらないんですよね。単純に「そう感じることそのもの」をどうも抑圧してしまっていたようで、そこに気づいてほしい感情の暴走でちょっと人様にご迷惑をおかけしたりもしました。観劇の感想とはいえ、自分の感情を抑圧してはいけないんだなと痛感。


前にも書いたかもしれないんですが、悲伝に関しては、各々がいろいろ考えて行動した結果、この結末に行き着いてしまった感があんまり感じられないんですよね。各々がどうしようどうしようってただ右往左往した結果、こうなった感じがあって、たどり着いてしまった悲劇というよりは、まぁそりゃ解決に向けて行動取らなかったらそうなりますよね、という感じがあるというか。

今年1月に見た、池袋ウエストゲートパークなんかはその点すごく納得感があって。原作の結末も同じ感じだったかはちょっと忘れてしまったんだけど、舞台版はわりと悲しい結末なんですよ。些細な出来事から、波紋が広がって、各々がなんとかしようとして動いて、でも、悲劇的な事態に至ってしまう、という流れがちゃんと描かれていて、「なんでそっちにいっちゃうの」と嘆きたくなる事象はあっても、そうなってしまう理由はわからなくもない、、という感じだった。

その例なんかと比べると悲伝は納得感がないなぁと。なので、うん、まぁそりゃそうなりますよね、、という感じで、いまいち共感もないし、ただ、悲劇的な結末になったなぁという。本当になんというか、「そっかぁ」って感じなんですよね。大変だったね~、お疲れ様っていう。

好きなシーンはいろいろあるけど、キャラ萌えもあるし、もともと推しが出てるシーンはそこに対しての好きもあるからな~。



これまで、刀ステに関しては「つまらなかった」とかの感想ってすごく書きづらいんだなっていうのを他の人の感想読んでて感じてたんですけど、あらためて落ち着いた状態で自分で類することを書いてみて、すごくためらわれるものを感じますね。人気作に対して、つまらなかったおもしろくなかったって感じたのは自分の感覚が間違ってるんじゃないか?っていうためらいがある。


刀ステがあわなくてつらかった、最終的に推し変しましたっていう元同担さんのブログを以前見て、倍率高い舞台があわないのつらいよね…って、某ステのことを考えながら共感してたんですけど、刀ステの場合は余計にしんどいんだなっていうのを今回知りました。

まず、公演期間が長い。普通の舞台なら1,2週間、長くても3週間もたてば本番が終わるところ、刀ステはジョ伝が3週間だったのを除けば1ヶ月半から2ヶ月。その間ずっと、あわない舞台の話が流れてくることになるんですよね。稽古期間を入れれば 2ヶ月半から3ヶ月。しかも刀ステは半年に1回サイクルでやってたので、一年の半分近くが刀ステ。それがあわないとなると、追っかけてるうちの半分の期間はあわない舞台ということに。

それから、本人のやる気。悲伝でなによりしんどかったのがこれ。明らかに本人が楽しそうで、やる気にあふれてるのにこっちの気分は乗らないんですよ。これがなかなかにきつかった…。これまでの刀ステでもSNSの更新は他の公演に比べて多めだったので、あわない人はこれまでのでもそうだったんだろうなぁと思います。このあたりは「推し」という認識だからこそって感じがありますね。本人が楽しそうなのに乗れないのきつい。あう舞台だと相乗効果で楽しいんですけどね。

あと、「見る方も体力使うと思うので…」ってたびたび言及されるのが地味にしんどかったんですが、たぶん推しさん、自分と見る側の体力消耗を混同してたんだなってことに気づいてからは楽になりました。自分で感情作りながら見てみて号泣した時にめちゃくちゃ体力使うなってことに気づいたのと、別作品でめちゃくちゃ泣いた時に特段体力使った感じがなかったので、あれは混同してたんだな…と。


振り返って、あう/あわないよりもっと手前のところで、「わかるやつだけついてくればいい」というスタンスを取られたことに、私は傷ついたし、失望したんだなぁと思います。勝手に期待してた方が悪いと言われればそれはそうなんですけどね。

今後、刀ステに関してはだいぶテンション下がった感じになるのかなぁと思います。お金が節約できるのはいいけど、大きいコンテンツに乗れなくなるのは少し寂しいですね。

また悲伝のような作品が来たときのための心構え

わからなかったことがトラウマすぎて、推しxす○みつさんがまた来るかもしれないことが今一番こわいことなゆいです、こんにちは(どんな挨拶やねん)。

でもわりと可能性高い…と思うので、もし来たら気をつけた方がよさそうな点をメモがてら整理。

重要な点が伏せられていることもある

一番嵌った原因ここですね。
ループまわりの説明がほぼないことにはわりとすぐ気づいたんですが、(2回見て説明がないことは把握した)、まさか三日月の行動理由が伏せられていると思わなかった…。そもそも三日月のセリフがなかなか聞き取れなかったこともあり(音は取れるけど、意味を追っていると理解が間に合わない)、ここに気づくのがだいぶ遅れ、全体構造を理解するのにだいぶ時間がかかりました。

教訓:よくわからないな…と思った場合、そもそも描写がない可能性があるので、同じ作品を見た人に「描写あった?」と聞いてみる


3回見てわからない作品は諦めろ

まさかここまで理解できないとは思ってなかったので、なんとか自力で答えをつかみたいと思ってがんばってしまったんですが、結局理詰めでしか理解できなかった…。そういう作品もあるんだなぁと勉強になりました。未だに感覚的にはよくわからない。
あと、途中でわかるようになった人たちを見てるとだいたい2,3回が目安かなぁという感じがあるので、

教訓:3回見てわからない作品は自力での理解を諦め、人にがんがん解釈を聞いて理詰めで詰める

しかしその点からいうと、す○みつ作品に関してはわからない可能性を考慮して多めに取らないといけないという逆説的なことになってしまう…(笑) 期間や見る回数によっては1,2回目でわからなかったらがんがん聞く方に振った方がいいかもしれない。


あといくつか、ここが原因で嵌ったのかもな~と思ってる点があるんですが、そこに関してはまた別記事で書いてみようと思います。

「また明日!」- 朗読劇「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」感想

8/30(水) 20時 松田凌内田真礼 回を見てきました。

これ東宝の企画だったのか~とパンフ見ながら知りましたが、90分という短めな時間でぎゅぎゅっと詰まった、愛と切なさを受け取れる朗読劇でした。

Story
京都の美大に通うぼくは、通学電車で出会った女の子に一目惚れし、思い切って声をかけた。すぐに意気投合し、ごく普通の恋人同士になったぼくたちだが、初めてのことがあるたび、彼女はなぜか涙を流す。ある時、彼女の言動に違和感を覚えたぼくが尋ねると、思いもよらない答えが返ってきた。「あなたの未来がわかるって言ったら、どうする?」彼女の秘密を知ったとき、ぼくたちの恋は“すれ違い”始める――
www.tohostage.com


初めての出会いから少しずつ距離を縮めていく二人。
初々しい様子がとてもかわいらしく、初めてのことがあるたびに彼女が涙を流す以外はとても微笑ましいカップル。松田くんがちょいダサな服装と眼鏡なのがとてもいい雰囲気を出していて、物慣れない大学生役にめちゃくちゃはまってました。

少しずつ名前の呼び方が親しくなっていき、お互いの口調が気安くなっていって、手をつなぎ、キスをし、と少しずつ関係を進めていく様子に、最初のあたりはむずがゆいような気恥ずかしさを感じ、親密になってからはドキドキしました。

朗読劇とは言いながらもちょこちょこ立つ位置を変えたり、動作を入れたり、目線を交わしたりしていて、なかなか見た目も楽しい舞台だったのですが、手を繋ぐシーンで二人が近い位置に立ってたので、繋ぐのかと思ったら繋がなかったのは「繋がないのかよ!」と内心つっこんでしまいました(笑) でもなんだろうな、そのシーン、触れようと思えば触れられるのに、実際には手を繋がず、お互いにすぐそこにある手を意識しながらセリフを言っているのがかえってどきどきしました。

キスシーンや抱きしめるシーンも実際には動作はなしで、地の文で彼による情景描写が入ったりセリフがあったり、だったんですが、想像力で補うしかないのがかえってエロかった…。


序盤からお隣のお姉さんが時折ハンカチで目元を押さえていて、2回目だとなんか泣きポイントなんだろうな~とは思ってたのですが、中盤で、彼女が未来から来たこと、正確には彼女の時間軸は彼のそれと逆行していることが判明します。

彼にとっての昨日は、彼女にとっては明日で、
彼にとっての明日は、彼女にとっての昨日。

後ろの壁に説明のための図解が出るのめちゃくちゃわかりやすくて最高でした。


要は時間軸のズレを利用した記憶喪失モノなんですよね、これ。
彼女側から見ると、時がたてばたつほど、彼の過去にさかのぼっていくので、親密さが逆行していってしまう。初めてのことをするたびに彼女が泣いていたのは、それが彼女にとっては「最後」だったから、というのを聞いたあたりからじわじわ涙が。

初めてのハグも、初めてのキスも、初めての手つなぎも、彼女にとってはそれが最後。

「つきあってください」という言葉は、明日からは付き合ってない状態に戻ることを意味する。

そして、初めての出会いは、最後の逢瀬となる。


あれ、でもそうすると、彼にとっては過去の出来事でも、彼女にとっては未来の出来事なのに、なぜちゃんと記憶がつながってるようになっていたのか?となるのですが、未来の彼(彼女にとっては過去の彼)から、詳細に聞いていて、その筋書き通りにやっていたという。

「あなたの過去を変えたくないから、詳しく教えて。そのとおりにやるから」
「でもそんなの楽しくないじゃん」
「大丈夫、一緒にいるだけで楽しいから」

というのがもうねー…。愛の大きさがすごい。

さらに細かい設定として、彼女は時間軸が逆な世界から来た異世界人で、5年に1回、1ヶ月しか会えないことが明かされるんですが、彼女が5歳、彼が35際の時に、命を救われた時にひとめぼれして、それ以来、二人の年齢が同じになる20歳を楽しみにしていたというエピソードが出てきて、めちゃくちゃキュンキュンしたよね…。

事情がわかってからはだんだん彼にとっては彼女と会える最後の日が近づいてくることになります。そして、最後の日。彼女にとっては初対面の日。
「おはよう」と言う彼に、「おはよう、ございます」とぎこちなく返す彼女。

別れの時が近づいて、初対面だったのに、すぐに違和感なくなったよ、という感じのことを言う彼に、彼女が「『おはよう』にこれまでの関係がつまってたから」っていうのがすごくよかった…。実際、彼の方のセリフは本当にそういう感じだったんですよね。これまで彼女と紡いできた思い出が、関係性が、全部つまっていた。


そこから、ターニングポイントとなる思い出が巻き戻して追想されていきます。彼女視点ではそれこそが未来へ進む、本来の時間軸だから。そして、彼女が泣いたポイントが彼女視点で再演されていって…全部、彼にとっては初めてだけど、彼女にとっては最後。

「知れば知るほど、一緒に過ごせば過ごすほど、どんどん彼のことを好きになっていった」
一方で、どんどん彼の方の時間は巻き戻っていく。
「抱きしめあわなくなって、キスしなくなって、手をつながなくなって」
名前の呼び方が、どんどん戻っていく。
「でも、私はどの呼び方にも、これまでの全部の関係を込めるから。たかとし、たかとしくん、南山くん」


そして、出会いの日まで、戻ってきます。ぎこちない会話をし、もう時間だからと言う彼女に彼が「また会える?」と聞き、「うん」と答えると、「また明日ね」と。

彼女にとってはそれが最後。明日はない。でも。

「また明日!」

それぞれの思い、それぞれの願い - 舞台「野球」~飛行機雲のホームラン~ 感想

2回見た段階での感想がそのときの感情が閉じ込められてる感じがしていいな~と思ったのでひとまずアップ。

8/1(水)に1回目、8/4(土)昼公演で2回目見ました。

4日は舞台「野球」からの七ステのはしごだったんですが、温度差で死にそうになりました。パワーとガッツで世界を変えるぜ!といわんばかりの七ステの明るさによって、野球のしんどさが増すという…。

この舞台について語ろうとするとつい、舞台「戦争」と言いそうになる。それぐらい、テーマとしては戦争なんだけど、がっつり野球をしている、そんな不思議な舞台でした。

もうなんかとにかくぼこぼこに泣かされて、1回目の時は一幕の段階から4-5分おきに泣くみたいな感じで、二幕も見終わった時には泣きすぎて頭痛くなってたぐらい。

まだ全然序盤、赤紙が出てきた段階で泣いてしまったのは我ながら早いわと思った(笑)絶たれてしまう命の予感みたいなものをぐわっと感じてしまって…。ここを2回目に見た時は「ずしん」とはきたんだけど、泣きはしなくて、(まぁそうだよね、2回目だし)と思ってたら、しみじみとした中佐の「ホームランだ」で泣き、安西くんの清々しい「でも野球だ」でさらに泣き…結局1幕から泣きまくっていた…。

ドラマはすごく感じたけど、特に泣きはしなかった、という人も見かけたので、何かささるものがあったんだと思う。

一幕は説明なしに野球が始まって、そこに細切れに別のシーンが挟まる感じなので、最初はなんなんだ…??と思って見てたんですけど、徐々にピースがはまっていって、「そういうことなのか!」とわかることが増えるにつれて加速する泣き。本当にパズルをぱらぱら埋めていって、最後に大きな絵が完成するみたいな感覚があって、緻密に組み立てられた構成って感じですごかった。

ずっと色濃く、明日には死んでしまう、これが最後の野球なんだ、というのが通奏低音のように流れてて、もう泣く準備は整ってるぜって感じではあるんですが、そこにそれぞれの思いや願いがのっかってきて。もっと野球がしたかった、というのもあるし、こういう職業につきたかった、というのもあり、それぞれに人生があり、思いがあるんだ、というのが描かれることで、余計に彼らの人生が明日終わってしまうことがつらくなるという。

不思議だったのが、フィクションであることはもちろん頭の中ではわかってるのに、本当に彼らが生きてるような、その役柄自身であるような感じがしたこと。「彼らの姿を目に焼き付けておかないと」と必死に見る自分がいました。

ささる/ささらない、面白い/面白くない - 悲伝がささらない理由(改訂版)

どういう話なのかは理解したはずなのに、しっくりこない、これはなんなんだろうなと思っていた。先日あげた記事の理由ももちろんあるのだろうけれど、それにしても、このしっくりこなさ加減はなんなんだろうと。感覚的に理解できなくて理詰めで理解したのが初めてだったから、それでかな、とか、やっぱり理解できてないのかな、とか考えていた。

それが、ふいにストンと腹落ちした。

違う、ただ、悲伝は私にとってはささらない話だった、というだけのことなのだと。

元々私が芝居を見る時の第一目的は感情を受け取ることなので、いきおいべったりとキャラに寄り添った視点からの鑑賞になる。

悲伝も私は自分の側に引き込んで、納得しようとしていた。それを、ふと、突き放してみた。いや、ふいに突き放す感覚が生まれて、そうしたら、ストンと悲伝の話が腹に落ちた。と同時に、これは私にとってはささらない話だったんだなというのもくっきりと感じた。いまいちささらなかったとある作品と感触が一緒だったからだ。

ずっと、理解できないから泣けないのだと思っていた。理解した人達がだいたい泣けると書いていたのが大きいが、内容から考えても、私が弱いポイントが入っていたから、泣けないのは流れが理解できないからだと思っていた。でも違った、理解しても泣けない作品だったのだ、これは。

あらためてしんどかった記事で振り返ると福岡公演の段階でほぼほぼつかめている。しかし、特に泣けるような情動が発生しなかったため、まだ理解していないのだと思っていた。泣けないということは、まだ私は理解しきっていないのだと。

推しがこの作品を楽しみにしていることはわかっていたし、何より復帰第一作だった。こちらの期待も大きかった。 私は理解したかったし、この作品に心を動かされたかった。しかし、これは私にとっては心が動かない作品だったのだ。それに気づかず、随分遠回りをしてしまった。

願いが強すぎて、真実に気づくのが遅れた。

少し話は変わるのだけど、悲伝のわかりづらさについて愚痴っていた時に、「面白いか面白くないかどっちですか?」と聞かれ、私は違和感を感じた。どちらでもなかったから。この時は「面白いも面白くないもない、楽しくないです」と返したのだけど、今思うのは、私には単独での「面白い/面白くない」という観点はないのではないか?ということ。「ささる/ささらない」という観点しかないような気がしている。

ここに関しては今後、いろいろ芝居を見ながら考えていきたい。

6,7月はしんどかったー…

観劇記録書こうと思ったんですが、愚痴部分を書きたくなってしまったので、単独で愚痴記事に。

6,7月はひたすら、悲伝に苦しんだ二ヶ月でした。 特に6月は本当にしんどかった…。

まず初日、マチネを劇場で、ソワレをTDCで見て、その段階ではぼんやりよくわからないなぁという感じだったんですが、あらためて考えてもわからなくて、次の火曜と水曜にチケット取ってたんですが、「またわからなかったらどうしよう」という恐怖に見舞われ、チケット手放そうか迷いました。結局行くことにしたんですけど、直前までずっと恐怖と戦ってた。

で、わかろうとするから、またわからなかったらどうしようという恐怖がわくんだ、わかろうとすることをやめよう、と思って理解を諦めて見て、まぁそうすると各シーンはいいんですよ。けどやっぱり全体としてはよくわからなくて、なんなんだこれは…?となり。この段階ではまだもやもやだけでしたが、4回見てわからない芝居というのが初めてだったので、この時は舞台観劇自体がトラウマになりかけてましたね…。結局、ふらっと見に行った舞台が普通に理解できて、「よかった、舞台自体がわからなくなった訳じゃない」とめちゃくちゃ安堵しました。あれは本当に救われた。行く前は「またわからなかったらどうしよう」という思いがわいて、めちゃくちゃ怖かったんですけど、行ってよかった。

それから京都公演の期間に入り、私が持ってるチケットは福岡だったので待ち状態になったんですが、不明点について確認しようにも福岡まで数週間あるフラストレーションはすごかった…。それまでずっともやもやを抱えているしかない。

感想記事を読んでも私の疑問に答えてくれてる記事がなくてですね…。いや解消した疑問もあったんですけど、残った謎が多かった。

わからなさに腹立ってたので、福岡も手放そうか迷ったんですが(電子チケットもリセールの締め切り前だった)、いやでももう一度見たらわかるかもしれない…!と一縷の望みをかけて、残しました。

この時期は理解できた人がうらやましくて妬ましくて仕方なかったので、「よかった~楽しかった~」みたいなツイートは流し見してましたし、人によってはミュートしてました。そういう感想を見るのが本当につらかった。

私の周囲は「よくわからなかった」勢が多かったので、そこは救いだったんですが、「推しの出てる話を受け取れない」ことが本当につらくて、もう毎晩のように泣いてましたね…。「私には理解できない、受け取れないんだ」と思うとつらくて、悔しくて。

また、「推し」として追っかけてる人だからこそしんどいんだよなというのもあったので、この時期はもうそういうのやめた方がいいのかもしれないっていうのでも悩みました。

考えても考えてもわからない、でもわからないからつい考えてしまうのもしんどかったな…。もう悲伝のことなんて考えたくないのに、わからないから気になって考えてしまう。

その状態で迫ってきた福岡公演。 一縷の望みをかけて…というつもりでしたが、ふいにフォロワさんと悲伝の話になって、「あぁこれはまた理解できなさそうだな」という感触になってきた時に、本気で「行きたくない」と思いました。「またわからない話を見に行かないといけないのか」と思って。推しが出てる舞台であれほど、行きたくない、という気持ちになったのは初めてでしたね…。 リセール期間過ぎてるから電子チケットは譲渡出せないし、航空券も取ってしまってたけど、その全てを無駄にしてでも行かないことにしようか本気で迷いました。

結局思い直して福岡行って。 山姥切定点になっちゃってるから駄目なのかもしれない(初日はさすがに全体見てたんですが、火水は理解を諦めたのもあって山姥切定点していた)、と思って三日月を意識的に見るようにして。で、一幕では、新発見あったんですが、結局二幕に入って、「やっぱり三日月が何をしたいのかわかんない…」となって。

なんかでもこの日は穏やかな気持ちでしたね。山姥切定点しちゃってたからわかんなかったんじゃなくて、この芝居は私には理解できないんだ、と思って。

楽日マチソワしてトータル3回になる予定だったんですが、台風の影響で流れてしまい、福岡は1回で終了しました。

ここから東京公演始まるまでは穏やかでしたが、始まって感想ツイートや、本人のツイートが始まるにつれ、また「私には理解できないんだ」という苦しみが始まりました。6月に比べれば、だいぶ諦めが入って落ち着いてきてはいましたが、やっぱり数日に1回は泣いてたような気がする。

東京と凱旋はチケット取ってなかったんですが、もしかしたらまた見たら理解できるのかもしれない、という望みにかけて当日券に土日は日参。結局当たりはしなかったんですけど、やれるだけのことはやったぞ、という満足感は得ました。*1

ライビュで見て、それまで聞き取れてなかった三日月のセリフが聞き取れて、ようやく全貌が把握できたんですが、「あれ?やっぱりわからないな?」というのは変わらず。

7月はずっと早く悲伝終われ~って祈ってたので、ライビュ見て、ようやく終わった…っていう安堵感がありました。が、同時に振り返りブログとニコ生が来ることを思い出し、いつもは楽しみなんですけど、今回は全然楽しみではなくて、「あとは振り返りブログとニコ生だ…それが来たら終わる…!」というのを毎日念仏のように唱えてました。特にニコ生は本当に見るのがいやだったんですが、配信でなんとか腑に落とすことはできたので、思ったよりは穏やかな気持で聞けました。

でもあの時に本当に救いだったのが推しさんが一度も「この話すごいですよね」という流れでは語らなかったこと*2。そう言われてたら本当に立ち直れなかったと思う。

これまで刀ステは好きだったんだけど、悲伝で正直嫌いになってしまったので、どうも卒業らしい感じでしゃべっているのを見て、この時は心底安堵しました。

振り返るとずっと苦しんだ二ヶ月だったなと思うし、合間に見に行った別の舞台に本当に救われました。観劇で満たされない思いを別の観劇で満たすっていかにも観劇オタクって感じで笑えるけど。

上述の、推しとして考えるのをやめた方がいいかもしれない、というのもあったし、何より悲伝であまりにもテンションさがったから、このままゆるくフェードアウトするのかなって思ってたけど、戦ブラがとても楽しい舞台だったので結局またテンション戻りました(笑)

ここでまた悲伝みたいなわからない舞台が来たら本気で降りるところだったので、戦ブラが楽しい舞台でよかった。

*1:案外毎回抽選に参加するのは大変でした。特に青年館。そこに並んでる必要はないけど、会場周辺に休めるところがないので、行き来する必要が生じちゃうんですよね…。

*2:この結末をあの段階で思いついてたのはすごいですよねとは言ってたけど

刀ステ悲伝:手合わせについての解釈

手合わせのところがよくわからないなぁと思っていたのですが、たぶんこういうことかな、という、自分の解釈を見つけられたので、それについて、整理がてら、記してみようと思います。

以前、記事にも書いたように、なぜ山姥切が斬りかかるのかが本当にわかんなかったんですよね。もう弱ってるし、折りたくないってなってたのになんで??って。けど、三日月のセリフが聞き取れてないからそこで山姥切が勝てば円環から抜けられることを説明してるのかなぁと思ってて。で、ライビュでようやく聞き取れまして(拍手)。あれ?説明なかった…ような…?ってなって、配信でも見返して、やっぱりないよな??となり。

余談ですが、わかりづらい作品を作ると面白い/面白くないに関係なく、こういう需要でお金使わざるをえなくなるからいい商売だよねと思った(笑) すんなりわかってたら配信買ってないと思う。これまでのも買ってないし。

もともと三日月がわかんないなぁと思ってて、山姥切もこのあたりの行動理由がわからなかったので、「わからない」同士がぶつかる、ある意味最大の山場が手合わせでした。

山姥切が斬りかかる理由に関しては、友人たちに解釈を聞いた結果、私がリアリストすぎ、かつ合理主義的すぎたなとちょっと反省したのですが、それは後述します。

私の解釈

三日月が好きな人たちはすんなり理解してる率が高かったので、三日月がわからないのが駄目なんじゃね?と思って、ぐぐっと三日月に感情移入してみたら、いろいろ見えてくるものがあって。

友人たちに聞いてまたちょっと変わったんですけど、聞く前の私の解釈としては、三日月が「(刀を交わすことで、)最後の会話をしよう」と持ちかけたのに山姥切が応じたのかなと解釈してました。

根拠としては、「三日月にぐぐっと感情移入してみてください!」って感じなんですが(なんの説明にもなっていない笑)、刀を交わすことが会話になるというのは三日月のセリフが根拠ですね。「刀を交わすことで、わかることもあろう」だったかな。みんなと戦う直前のセリフ。そして、この手合わせ直前の会話が山姥切への愛情に満ちている一方で、言葉で事情を説明する気はないらしいこと。

友人たちに聞いてからは、山姥切が倒しにきたのを三日月もわかってるだろうから、「俺を倒しにきたのだろう? 存分に受けて立とう」と刀を向けた三日月に対して、山姥切はそれに応じる気持ちプラス、倒すために来た訳なので、その責務を果たすために斬りかかった、だと思ってます。まぁベースは一緒なんですけどw

私の中ではこれでしっくりきたな~って感じなんですが、あらためて根拠を説明しようとすると難しいですね。

あとここ、山姥切の位置に自分が立っていて、三日月と向かい合った図を想像してみてほしいんですけど、そこで三日月がすっと刀をこちらに向けて構えるのを思い浮かべると「あぁ、もうこれが最後なんだ」というのをすごく感じるんですよね。これはまんばちゃん泣くわ…となってました。ここ想像するたびに泣きそうになります。

友人たちの解釈

聞いた人たち全員が、という訳じゃないのですが、多かったのが以下。

  • 救いたかった、なんらかの方法で救えると思っていたのでは
  • 仲間に託されたから、責務を果たすために
  • 主にやらせる訳にはいかない

あらまきばの後だったので、荒牧さんの発言に影響を受けている可能性もあるのですが、「救いたかったのでは」というのがわりと多かったのに衝撃を受けました。

山姥切が勝つことで救えるかもしれないことは山姥切はあの時点では知らない訳で、なら、「救おうとして斬りかかる」という動機はありえないと思ってたんですよ。だから荒牧さんが「救ってみせる」と思ってやってましたねと言ってるのを聞いて、「あれ、やっぱどっかで説明あったのかなぁ」と首かしげてたんですが、「折ることによって救えるかもしれない可能性を考えたのでは(義伝の黒鶴の例をあげた人もいました)」「結いの目を通ったことで、何か救える手立てを見つけたのでは」とか聞いてて、そうだよな~これはフィクションであり、ファンタジーなんだもんなぁ…って。もっと自由でよかったなぁと思って、ちょっと反省しました。

あと責務を果たすために、というのも心情面を考えたら普通に思いつきそうでしたね…。もう限界なのは小烏丸も言及してるし、折りたくないんだったら手を下す必要ないじゃん?と思ってたんですが、結果が変わらなくても手を出す必要がある時ってあるんですよね。私は「そういう状況がありうる」というのを理屈で学習したタイプなので、思いつかなかった…。

総括

つくづく、ASDの気があるものにはつらい舞台でした…。とにかく感情面での説明(描写)が少ない。しかも「こうなのかな」と考えようとすると意外と自由の幅が狭い。解釈の幅を残してくれているようでいて、実際はとても許容の幅が狭いという…。私別に謎解きがしたい訳じゃないんだ…(笑)