ささる/ささらない、面白い/面白くない - 悲伝がささらない理由(改訂版)
どういう話なのかは理解したはずなのに、しっくりこない、これはなんなんだろうなと思っていた。先日あげた記事の理由ももちろんあるのだろうけれど、それにしても、このしっくりこなさ加減はなんなんだろうと。感覚的に理解できなくて理詰めで理解したのが初めてだったから、それでかな、とか、やっぱり理解できてないのかな、とか考えていた。
それが、ふいにストンと腹落ちした。
違う、ただ、悲伝は私にとってはささらない話だった、というだけのことなのだと。
元々私が芝居を見る時の第一目的は感情を受け取ることなので、いきおいべったりとキャラに寄り添った視点からの鑑賞になる。
悲伝も私は自分の側に引き込んで、納得しようとしていた。それを、ふと、突き放してみた。いや、ふいに突き放す感覚が生まれて、そうしたら、ストンと悲伝の話が腹に落ちた。と同時に、これは私にとってはささらない話だったんだなというのもくっきりと感じた。いまいちささらなかったとある作品と感触が一緒だったからだ。
ずっと、理解できないから泣けないのだと思っていた。理解した人達がだいたい泣けると書いていたのが大きいが、内容から考えても、私が弱いポイントが入っていたから、泣けないのは流れが理解できないからだと思っていた。でも違った、理解しても泣けない作品だったのだ、これは。
あらためてしんどかった記事で振り返ると福岡公演の段階でほぼほぼつかめている。しかし、特に泣けるような情動が発生しなかったため、まだ理解していないのだと思っていた。泣けないということは、まだ私は理解しきっていないのだと。
推しがこの作品を楽しみにしていることはわかっていたし、何より復帰第一作だった。こちらの期待も大きかった。 私は理解したかったし、この作品に心を動かされたかった。しかし、これは私にとっては心が動かない作品だったのだ。それに気づかず、随分遠回りをしてしまった。
願いが強すぎて、真実に気づくのが遅れた。
少し話は変わるのだけど、悲伝のわかりづらさについて愚痴っていた時に、「面白いか面白くないかどっちですか?」と聞かれ、私は違和感を感じた。どちらでもなかったから。この時は「面白いも面白くないもない、楽しくないです」と返したのだけど、今思うのは、私には単独での「面白い/面白くない」という観点はないのではないか?ということ。「ささる/ささらない」という観点しかないような気がしている。
ここに関しては今後、いろいろ芝居を見ながら考えていきたい。