考える練習

舞台やイベントの感想など

「イノサンmusicale」に見る、2.5の難しさ

私個人の所感

舞台化きっかけで原作を知り、イノサン1巻からイノサンRouge10巻まで読了した状態で観劇しました。

  • 初日:うーん、これは……
  • 2回目:各シーンはいいんだよな、つながりがいまいちなだけで… ※ただし説教パートはクソ
  • 3回目(楽日):あれ…? 普通に楽しいな…? ※ただし説教パートはクソ

初日は「たとえまわりが全員立とうとも私はスタオベしないぞ」ぐらいのつもりだったんですが、楽日は普通に楽しかったので、特に抵抗感もなくスタオベしました。(ただし説教パートはクソ)

なので私はあんまり怒りはないんですよね。いろんな人が指摘してるように、一番ダメなのは脚本と演出だと思うんですが、個人的には、それだけでもなくて、いろんな要因がからみあって、この結果になったように思っています。

プリンシパルたちが全員演技力と歌唱力が高かったら、わりと見れるものになってしまってたんじゃないかなぁという気がするんですよね (それがいいか悪いかは別にして)。 で、脚本家さんにしろ、演出家さんにしろ、おそらく演技力高い人たちとしか仕事したことなかったんじゃないかなぁと。

膨大な量の原作をさばく難しさ

基本的に舞台は2時間~2時間半、長くても3時間程度には収めなくてはいけないメディアで*1、それに比べれば長さの制限のゆるい漫画やアニメを舞台化する場合って、「いかに省くか」がめちゃくちゃ重要なんですよね。

特に今回みたいに、約20巻分を一本の舞台にする場合、エピソードを丁寧に拾っていたら当然尺が足りないわけで、「これだけは外してはいけない」っていう作品のエッセンスを見極めて、それがちゃんと表現できるように、エピソードを構築し、必要ならエピソードを組み替えたり要素にばらして再構成したりする必要があります。

で、一番やってはいけないのが、全体から重要度の高いエピソードをまんべんなく拾ってくること。そう、イノサンmusicalがやってしまったことです(笑)。いや、まぁやってもいいんですけど、そうすると、なんとなく全体にどういう話なのかはわかるんだけど、各エピソードの繋がりがわかりづらくなるので、ダイジェスト版になってしまうんですよね。名作のあらすじ紹介みたいになる。

シャルルとマリー、二人の話をそれぞれやろうと思うと、エピソード的には確かにあれ以上削れないよな~という感じはあるので、どっちかに絞るべきだったんじゃないかなぁ。作品テーマ的にはマリーメインが妥当かなと思いますが、そうなるとルイ関連のエピソードがマリー・アントワネットに関係ある話しか出せなくなるので、どうなんのかな…。盛り上がりポイントが難しそう…その場合はオリビエのくだりでラストになるのかな。

オリビエのくだりで思い出しましたが、盛り上がり方もタイミングがうまくないんですよね。オリビエ救出のところで、これで終わりかと思いきや、そこでは終わらず、ルイの処刑で終了なんですけど、2つのエピソードの間があまりあいてない上に、オリビエのシーンの方が盛り上がるので、1つの舞台のクライマックスの作り方として、バランス悪い感じがする。オリビエのシーンをもう少し前倒しするか、ルイのシーンの方が盛り上がるようにするかすべきだったのでは。

あと気になったのが、狂言回しである老婆のセリフがいちいち冷笑的なんですよね。イノサンは、自由を勝ち取ろうとすること、夢を見続けることの尊さを描いていると私は思っていて、舞台版もここは変わらないと思うんですが(説教パートのセリフを考えても)、老婆がいちいちそこに水を差すようなことを言う。いち登場人物として出てるだけなら、当時そういう民衆も多かっただろうし違和感ないんですけど、語り部としての役回りを担っている人が作品テーマを冷笑するようなことを言うのは変な感じがします。まぁでもここは好みの問題かもしれない。

気になったところだけでそこそこの文字数になってしまった、、。
よかったところはまた別記事で。

*1:収まらない人もいるけど…

舞台「刀剣乱舞 ~維伝 朧の志士たち~」感想

※途中からネタバレ感想
はてなスター 戻したのでよければスターください(直球)

おもしろい刀ステが!帰ってきました!!(どんどんぱふぱふ)なんか最近微妙なんだよね…と思ってた方も今作は楽しいんじゃないかなと思います。シンプルに話がおもしろい。私は末満作品には感情が乗らないのもあって、共感できないと厳しい作品が基本的にささらないんですが(悲伝とか)、話がおもしろいとそこがなくても大丈夫なので楽しい。

「号泣した」「しんどい」という感想見て、どきどきしてる方もいるかもですが、私が見た時は、中にはすすり泣いてる人もいるかな~ぐらいで、私の周囲はハンカチで目元おさえてる人もあんまりいなかったので、これまでの末満作品でめちゃくちゃ泣いた人じゃなければそこまでじゃないと思う。

あと、第二章スタート!という感じの作品なので、これまでの作品を見てなくても支障はないと思います。ただ、シリーズ前々作の「悲伝」で何があったか軽く知っておくと、「あ、これあのことか」とわかる部分は増えます (けど、そうすると悲伝のネタバレになるから、半端に聞くぐらいなら悲伝見た方がいい気もする*1 )

以下、ネタバレ気にせず行きます~。
いわゆる「考察」にはあまり興味がないので、そういう成分は薄めです。







今回は、話の軸が坂本龍馬とその性格を反映した陸奥守吉行だからか、末満作品特有の悲壮感がだいぶ薄い感じがしました。こんなにさわやかな観劇後感、初めてでは…? 陸奥守吉行にめちゃくちゃ共感する場合はまた違った感覚になるのかなとは思うんですが、末満さん、こういう明るい話も書けるんだなという驚きがありました。慈伝ですら、基底に悲壮感漂ってたから…。

明るく笑ってるから大丈夫という話でもなく、つらいのはつらいと思うんですけど、「それは嫌じゃ!だから斬ってくれ!」という、それしかないと思ったらすぱっとそこにいける竜馬と、「わかった、でも無抵抗な人を斬るのは嫌だから闘ってくれ」とあの太陽のような笑顔でいう陸奥守がね…。振り返ってあらためて思うんだけど、二人とも決断が早いよね。変に悩まない。そのせいか、これまでの刀ステの話と最終的な結論としては同じなんだけど、カラっとしていて、不思議な感じでした。


元々櫻井圭登くんの殺陣が楽しみで取ってたのもあり、肥前に注目してたんですが、期待以上でした。艶漢で見てたので動ける人なのはわかってたんですが、最小の動きで最大の効果をって感じの殺陣で最高。
原作ではどうなのかはわからないんですが*2ぶっきらぼうな口調ながら、いろんなとこで優しさがにじみ出てるし、南海先生をすごく尊敬してるんだな~って伝わってくるのがめちゃめちゃよかった。他の人に振り回されがちで不憫なとこもかわいい(笑)

陸奥守の殺陣も別ベクトルでめちゃめちゃよかった。軽やかに跳ね、まわりながら、緩急自在に敵の刀を弾き、かと思えば切り込んだりしている様子は、まるでサーカスのショーを見ているようで、見ていてとても楽しかったです。

鶴丸は「染谷さんの」鶴丸って感じだな~と今回見ててあらためて思いました。「ちょっと刀剣男士ぃ~」は染谷さんにしかできない(笑)

今ふいに気づいたけど、肥前も悩まないし、南海先生も自己肯定感強めだし、兼さんと堀川も特段悩んではいないし、鶴丸も染鶴だから細かいこと気にしなさそうだし、小烏丸も悩むタイプじゃないし、今回のメンバー、悩む刀がいないですね。だからカラッとしてるんだ。

間組キャストについても。

  • 唐橋さんの吉田東洋、ずるくない?
  • 武市半平太役の神農直隆さん、「骨と十字架」でティヤール演じてた方だとパンフ見て気づいてびっくりした。
  • 一色さんの以蔵、身体能力の高さが、「人斬り以蔵」としての説得力を増しててすごい。


まぁでも端々に不穏さが埋め込まれているところは末満作品ですね(笑)

1幕終わりに、金髪頭が出てきて、「えっ、これは…まんばちゃんでいいの?」って戸惑ってたら、ラストで荒牧さんの声だった時はおいいいってなりましたw ばりばりエフェクトかかってる音ではわからなかったんですが、エフェクト薄くなるとさすがに推しの声はわかりますね。

最初は作中で出てきた、実は人間ではなかった存在みたいに気持ちを軸にして顕現した存在なのかなと思ってたんですが、顔と頭が変化してないこと考えると、あれはそういう振りをしてるだけなのかな? ただそうするととてもクオリティの高いコスプレということに…。

気持ちを軸に顕現した場合はたぶん本体は慈伝で出てきてた山姥切で、コスプレだった場合は彼が暇を見つけては時間軸をうろうろしていることになる訳ですが…、いややっぱこの線の解釈、微妙な気がするな(笑) 手立てを見つけるために遡行軍のコスプレをしている山姥切、とても切ないけど、絵面が非常におもしろい。だめだ。


今作見てて、下敷きとなる話がある方がおもしろいなって思ったんですが、これたぶん、下敷きとなる話がないとオリジナルの味が強くなる=末満さんのクセが強く出るので微妙なんでしょうね。悲伝でわかったんだけど、私、末満さんのセリフ、ポエム味が強いとめちゃくちゃ相性悪いんで…w

*1:あわない場合は虚無を味わうことになるから勧めづらいけども

*2:最近は放置してるので…

10月に観たもの ※11/24追記

※最終週に見た刀ミュを書き忘れていたので追記しました。

現場数少ないと余裕ができるよね…という当たり前のことに気づいた10月。11月は初週から現場が詰まりすぎてて死にそうです。

10/5 映画「ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス」

映画『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』公式サイト
先月横浜シネマリンでサウナの映画見た時に、「来週、横浜市立中央図書館の方をお呼びしてトークショーやります」って書いてあって、気になったので見に行ってきました。

ドキュメンタリー映画で、ニューヨーク公共図書館で行われている様々な活動を切り取った映像が次々に流れるんですが、本当にいろんなことしてて、著者の方を呼んでトークショーしてもらったり、子どもたちに勉強を教える会みたいなのやってたり、「知」を守り広めるために、できることはなんでもという感じ。インターネットへのアクセス環境を広めることも大事だという観点からwifiの貸し出しもしてたりして、そこまでやるのか〜と感心しました。
予算をどのように使うか、どうやって獲得するか、みたいなのを議論してるところも挟まったりして、図書館運営の裏側が見える感じでおもしろかった。

10/12 侍展 @福岡市立博物館

サザエさんで福岡遠征することにしたので、福岡行くなら行くしかないでしょ!ということで行ってきました。一番のお目当ては各種刀類だったんですが、鎧の変遷にけっこうフィーチャーした企画で、これまであんまり注目したことなかったので面白かったです。

10/13 舞台「サザエさん」@博多座

実は博多公演行くかはけっこう迷ってたんですが、明治座で見て、よかったので、もう一度見ておきたいな…というので博多まで。
台風が来ていたので、乗る予定の便が飛ぶか微妙なところで、振替えようにも出遅れてしまい空きがなく、一か八かで飛ぶことに賭けるか、諦めてキャンセルするか…と迷っていたら、前日に欠航が決定。「欠航になってしまった、、けど空いてる便なんかないもんな…」と振り替え見てみたら、なんと早朝便に空きが!…という事情により、無事飛び立ちました(長い)

正直始まる前は期待してなかったんですが、成長したこどもたちの進路に関する悩みを軸にした、ドラマ性のある話で普通によかったです。あと、一線でずっと活躍されてた方々ってやっぱりお芝居うまいんだな~っていうのを感じました。感想記事ちまちま書いてるのであげたい。

10/19 映画「AI探偵」舞台挨拶回@シネリーブル池袋

お台場と池袋とで合計4部あったのかな。1回は見ておきたいなと思って池袋で見ました。舞台挨拶の司会が荘口さんですごいちゃんとしてるwwってちょっとウケてしまった。
前回もそうだったんですけど、コンセプトというかメインとなるアイデア自体はおもしろいんですよね。ただ細かい部分で「うん?その行動おかしくない?」というのが発生してしまう…。脚本は別の人に書いてもらった方がいいんじゃないかな… という気がします。

10/19 舞台「五右衛門マジック」

評判よさそうだったので、当日券でふらっと行ってきました。
磯貝龍虎さんの脚本・演出ということで、なんとなくストレートでシンプルな作品が来るのかなと思っていたら、予想外に緻密な構成の脚本でびっくりしました(笑) 五右衛門なのか果心居士なのか、二転三転、いったいどれが本性なのか…という感じで、展開から目が話せなくてすごかった。パンフレットの対談でもキャストさんから「これほんとにあいつが書いたのかな、ゴーストライターじゃね」みたいな話が出ていて笑ったw
各々の衣装がケレン味あふれててでも下品じゃない感じで、めちゃくちゃよかったし、アクションもかっこいいし、ふらっと見に行ってよかったなと思います。

10/20 荒牧さん個人イベント「まきまつり」

フリーになってからの初めてのイベント。どうなるのかドキドキでしたが、楽しかった…!
配信あるならあっさりめにしておこうかなと思ってたら、私が参加した東京夜の部は配信ないらしい…ので、普段通り(?)な感じでいずれ記事あげる予定。

10/26 刀ミュ 葵咲本紀

※11/24追記
東京公演で1回見ていて、2回目の観劇。
これまで刀ミュはゆるゆる見てはいて、でもなんかいまいち刺さらないな~と思ってたんですが、今回はすごく楽しかった…!ミュが好きな人を最近フォローしたりして、感想や考察が流れてくる状態だったのと、新加入の刀たちが4振りとも好きだったのも大きいかもしれない。
特に鶴丸がドストライクでして…私が求めてたのはこれだ!って感じました。飄々としていて、大雑把なようで勘所は押さえていて、頼もしい、理想の鶴丸がそこにいました。

雑感

これでも荒牧さん関連の現場、実は全部は行ってないんですが、それでも3つあるという…笑。ご本人の予定としてはここに14日郡山でステージイベント(?)、27日に写真集リリイベが追加されます。

博多座行ってなかったらたぶん14日郡山行ってたな~と思うんですが、遠征から帰ってきた翌日にプチ遠出するのはしんどすぎるなと思ってやめました。移動距離的には本人も変わらないの考えると、本当タフですよね。オタクと比較して軽減されるのは待機列に並ばなくていいことぐらいだし。

19日のお台場干した理由も朝早いのしんどいからなんですが、以前なら睡眠時間を削ってでも全部行ってただろうなと思うと、「好き」の気持ちがだいぶ落ち着いたなと思います。単純に無理が効かなくなってきた面も大きいんですけど(笑)、「無茶をしない」のが選べるようになったな~と。

今も行きたいか行きたくないかで言ったら、全部行きたいんですが、かかる時間とお金、消費する体力と勘案して、「今回はやめておこうか」ができるようになった。以前の狂騒的な「好き」もすごく楽しかったんですけど、今の穏やかな「好き」もそれはそれで楽しいなと思います。

……ただ、その分猪野くん出演作のチケットが増えてる感じがあって、優先順位が変わっただけなんじゃないかという気が…しないでもない…。細かい登壇があんまりないから助かっている…。

舞台「血界戦線」、予習はどこまでしておけばいいのかという話

舞台「血界戦線」、見に行くなら予習しておいた方がいいという声をちらほら見かけるけど、どこまで予習しておけばいいんだ?という人向けの記事です。

予習なしで見に行っても、話がわからないということはないと思いますが、一幕がわりとつめこんだ感じなのと、特殊能力についてあまり説明がないので、多少予習しておいた方が楽に鑑賞できるかと思います。

予習いるのかと思うと迷う、、という意見も見たのですが、おしゃれでかっこよくて面白い!という最高の舞台なので、ちょびっと労力払う価値はあると思います。ライビュ迷ってる方いらしたらぜひぜひ♪
舞台『血界戦線』ライブビューイング

原作について

漫画は全10巻。(その後 back2back という副題付きの新シリーズで現在も連載中の模様)
アニメは1期12話+2期(「血界戦線&BEYOND」)12話。
私はバンダイチャンネルで視聴しました。U-NEXTとかでも見られるらしい。ほかにもあるかも。

とにかく時間がない人

漫画なら1,2巻。アニメなら1期の1話と2話。を見ておけば、世界観と能力の設定がとりあえず把握できると思います。異世界ものあるあるの特殊能力設定があるのですが、舞台だとそれほど説明していないので、そこは知っておいた方が楽。

ある程度、話の展開を把握しておきたい

アニメなら1期9話までを見ておけば、スムーズに理解できると思います。舞台の予習として振り切るなら、3,6,7話は飛ばしても大丈夫。2期の話も含まれるんですが、そのあたりは舞台でもわりと丁寧に描いてくれてるので、予習してなくても支障ないと思います。
漫画なら5巻までが相当。

舞台でやる部分は全部予習しておきたい人

そういう人はこんな記事読まず、最初から全部読むor見るつもりで進めているとは思いますが(笑)、漫画は1〜10巻、アニメは1期+2期が相当します。
もちろんすべてのエピソードを拾っているわけではなく、ざっくり言うと、「ある程度、話の展開を把握しておきたい」の項であげたところプラス、アニメなら2期のラスト2話、漫画なら10巻が相当する感じです。

批判的な感想も書く理由

一度書いておいた方がいいかなということで書いてみます。

当ブログを見てくださってる方ならお気づきかとは思いますが、私はSNSにおいて「批判的な感想は伏せる」という方針を採用していません。

若手俳優界隈では批判的な感想は極力伏せる風潮であることを考えると、わりと珍しい方だろうなと思うんですが、自分が他の人の批判的な感想も見たいので、自分も伏せないようにしています。

「自分が好きな作品の批判的な感想・意見は極力見たくない」という人からしたら信じられないかもしれません。自分が最初にハマった2.5作品が賛否両論出る作品であったことから、慣れてしまったのがけっこう大きいんですが、何より、批判的な感想・意見っておもしろいんですよね。褒める感想というのはわりとみんな同じところにたどり着きがちなんですが、批判的な感想というのは「そこ気になるんだ!?」とか「あれ駄目な人いるんだ」というような驚きがあって、おもしろいです。まぁあと自分も気になってた箇所である場合もあるので、その場合は「私もそこ気になってたわ~」ってなる。

余談ですが、私は推しに対しての批判的な意見に関しても同じようなスタンスなので、SNS で行き当たった際は興味深く読んでいます。

おまけ:「作り手側に対して敬意がない」という意見に対して
これ、批判的な記事あげた時にエアリプで言われたことがあって、こういう思想から批判的な感想書かない人もたぶんいると思うんですが、私は逆だと思うんですよね。「どんな作品を出してきても褒める、絶対批判しない」方が相手をなめてる感じがして私は好きではないです。もちろん自分のポリシーとしてそうしている人に強制しようとは思いません。

「正しい」のゆううつ

Aさんの個人イベントの仕組みに関して、ファンの間でほんのり不満が出ていることについての個人的な雑感です。


私が参加し始めた3年前の段階で、すでにAさんの個人イベントでは写真つきの身分証での本人確認が実施されていて、複数名義積みが基本的にできない状況だった。

その頃は私もまだゆるゆるのオタクだったから、「ちゃんとしてるんだな」ぐらいの認識だった。けど、このシステム、ガッツ寄りのオタクにとってはわりとつらいシステムだ。良席狙いの大量名義積みができないのはもちろん、倍率が高そうな時の保険としての複数名義積みもできない。

しかも途中から、1部2部のどちらかしか応募できない、というタイプの制限が加わるようになった。それでもさほど文句が出なかったのは、事務所からするとメリットがない本人確認をわざわざコストをかけてやってくれていることに加え、最大限の努力をしてくれているという認識があったからだと思う。キャパが足りないとなったら、次のイベントでは前回より大きい会場を用意してくれていた。

また、抽選での先行の後、一般発売が必ずあったので、先行段階では1人1つしか当選しないという制限があっても、「がんばれば複数回参加可能」だった。支払い流れのキャンセル分もあったし。今思うとこのチャンスがあることがけっこう大きかったなと思う。制限内容はその時々で多少違いはあったものの、基本的には1人あたり1つ(もしくは1会場あたり1つ)しか当たらないなど制限をかけることで全体に当たりやすくしつつ、それでは足りない、複数行きたい、という人はがんばれば複数確保できる、という。


……というのを踏まえて今回。フリーになったことで、これまで事務所側で蓄積されていたノウハウを利用できなくなってしまったせいもあるとは思うんだけど、前回埋まらなかったわけでもないのに、前回よりも狭い会場。また、これまではニコ生チャンネルの先行のみだったのが、FCでの先行とニコ生チャンネルでの先行の二本立てになったためか、基本的には1人1つ当選の制限のはずが、1つも当たらない人もいれば2つ当たる人もいる、というなかなか不公平な状態に。かつ、一般発売はなし。要するに、イベントに行けるかどうか、何回行けるか、というのが、わりとハードモードの運ゲーになってしまった。

1つも当たらなかったとしても、一般発売で確保できればまだ「勝ち取った」と思えるし、取れなかった場合は「自分の努力が足りなかった」と思える。やれるだけやって駄目だった、という実感がある。東京・大阪で合計4部あるうち、先行で私は1つ当選して、一般発売があるだろうからそこでもう1つぐらいは確保したいな…と思っていたら一般発売は行わない旨の発表があり、気持ちの持っていきどころがない、なんともいえない気持ちになったのを覚えている。


全体に行ける機会を広げつつ、ガッツがある人にはがんばれる余地を用意しておくのがたぶんベストなのかなと思うんだけど、今回その余地をつぶして、どれだけガッツがあろうとも、運が悪ければ1回もイベントに行けない、そういう仕組みにしてしまった。もとから「全体に広く浅く行き渡るように」という方針ではあったと思うんだけど、ガッツ向けの余地を完全につぶす形になったのはわりと微妙な気がしている。

ただ、余地があると、慣れた人ほど確保するチャンスが増えることになるので、新規から古参まで含めた全員への「平等さ」という意味ではその余地はない方が「正しい」。そう、そっちの方が圧倒的に「正しい」のだ。このことに気づいた時にすごくしんどくなった。Aさんサイドの方針は何も間違っていない。全員へのチャンスの平等さを目指すなら、その方針はとても「正しい」。でも、労力を払ってでも全部行きたいガッツからしたらたまったものではない。ガッツがあればあるほどしんどい仕組みは「正しい」んだろうか?

がんばれる余地をなくす方針で行きたいなら、行きたい人が行きたい回数だけ入れるキャパを確保するのがたぶんベストだと思うんだけど、イベントでのコメント聞いてる限りでは現状、そこはあまり期待できなさそうなので、なんか、危ういな~~~と思う。

ばぶちゃんなら仕方ない

「要は三日月はばぶちゃんだったんだな…」というところに先日あげた記事で落ち着いて、そうしたら別に三日月に対して腹たたなくなることに気づきました(笑)。ばぶちゃんだったら倫理観なくても仕方ない。私の期待値がどうも、ステ三日月にとっては高かったようです。すまない。(映画版は普通に倫理観ある三日月なので問題なかった)

あとこれ、まどマギ的な魔女化理論で考えることもできますね。最初は人並みの倫理観持ってたんだけど、ループを繰り返すうちにソウルジェムが濁って魔女化し、なりふり構わなくなってしまった…という。

思うところがあり、いったん下げていた記事も含めて全部戻し、「悲伝」というカテゴリをつけました。20個ぐらいかな~と思ってたんですが、なんと32個ありまして。悲伝についてというよりはそういう作品について、みたいな話も含むんですが、32個。平均するとだいたい一記事2000文字くらいかなということで計算すると、合計6万字、という。

これはあくまでアップロードした文字数で、その数倍の文章をローカルでは書いてることを考えると、トータルの文字数すごいな…。それだけ書いてると、さすがにそろそろ考えるポイントも尽きてきたな~と思うんですが、いまだに「あ、これこういうことでは?」って発見が発生することがあっておもしろいなと思います。

最近あったのでは、「オタク、物腰に騙されがちじゃない?」っていうツイートを見て、あ、三日月もこれあるな…と。単純に「末満さん、三日月(というか鈴木拡樹さん?)のことが大好きなんだなぁ、だから特段好きではない人の視点が想定できなかったんだろうな…」と思ってたんですが、これ、「作品が肯定していること」と「キャラの物腰」でひどい行為をどこまでごまかせるか?の実験でもあったのかもしれないなぁというのが最近の気づきです。



そういえば、楽になったのって要するに、悲伝が打ち出してくる「三日月の行動は愛ゆえなのだ」ってメッセージをなんとか受け入れようとしてたのを諦めたからなんですが、これロスモワの仁希の時と完全に同じなんですよね…。あの時も、なんとか「これは愛だ」という解釈で受け入れたくて、でもできなくて、別にみんなと同じでなくてもいいじゃん!って思って、「決して愛なんかじゃない」っていう内容の記事を書いて、ひと区切りついたんですが、あれも毒親パターンだから構造が同じだし、関係あるかわからないけど脚本・演出が末満さんなので、全く同じで興味深い。

あの時に比べると諦めまで長くかかったのは、作品がその行為を肯定しているのと、三日月の中の人が「愛だ」と言ってたところから、できればそこに寄り添いたかったからだろうなと思います。基本的には解釈は受け取った側の自由だと私は思っていますが、作り手側が「こういうつもりでやりました」と言っていたり、「こう受け取って欲しい」とメッセージを出していることを、そう見えないとしても、ばっさり切り捨てるのはやっぱり躊躇いがあるんですよね。まぁ見えないんですけど…(笑)