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現実とフィクションのあわい - 「要、不急、無意味(フィクション)」感想

劇団た組さんのインターネット公演「要、不急、無意味(フィクション)」の4/19(日) 13時公演を見た。

Skypeを利用したリアルタイム上演(?配信?)と聞いて、どういう感じなのかなという好奇心から観劇(?)した。作り手の意図とはズレたところでおもしろがっている気がしてならないが、めちゃめちゃおもしろかった、という話。

話の内容については、詳細に書いてくださってる方がいらしたので、そちらを見ていただいた方がいいかと思う。
maguromgmg.hatenablog.com




今回の公演はSkypeのグループ通話を利用した方法だったため、メールで送られてきたリンクで「通話に参加」するところから始まった。Skypeアプリの真っ暗な画面の上方に静かに参加者のアイコン(大半は画像設定なしでアルファベット数文字が表示されているだけ)が粛々と増えていくのは不思議な光景だった。マイクとビデオをオフにした参加者が静かに増えていく。

上演5分前に開演前の諸注意。飲食禁止や私語禁止のアナウンスがないかわりに、マイクとビデオはオフにしておいてくださいという内容。録画や録音禁止のアナウンスも。Skypeスクリーンショットを撮るとチャットと連携していてバレるというのは初めて知った。

Skypeを使うのが久しぶりだったので、ちゃんと見れるのかが若干心配だったのだが、上演開始前にテストとして、いったん俳優さんたちの映像を映す時間があって安心した。4分割の画面に映し出される俳優さんたちのお顔。

スマホ版のSkypeでは、俳優さんたちのアイコンを自分で画面中央に持ってこないと映像が映らないらしいのだが、そのアイコンが見当たらないというコメントがチャットに書き込まれ、「マイクに反応するので、喋ってもらえますか?」ということに。「○○です」と各々名乗る俳優陣。

私はここで初めて、彼らも「今まさに」画面の向こう側にいることを実感したように思う。リアルタイム配信であることは「知って」はいても、それまではなんだかんだで映像として見ていた気がする。

余談だが、「健介さんだけ見えないです…」というコメントが書き込まれ「健介、見えないってよww」と俳優さんたちが笑うという一幕があり、くつろいだ、素っぽい様子を見ていると、本当にSkype通話の覗き見をしているようで、妙な親密さを感じてどきどきした。

不具合報告のチャットが落ち着いたところで、いったん俳優さんたちのビデオをオフ。そこからあらためて上演開始となった。

お芝居の内容は、Skype通話で友人4人がぐだぐだとしゃべっているところを見る、というもの。現状と同じようにコロナウイルスのために外出が自粛されているために彼らはオンライン飲み会をしようということになったらしい。繰り出される不満や愚痴はまさに私達が喋り、見聞きしている内容そっくり。

ただここでちょっと惜しかったなと思うのが(というと上からになってしまうが)、救済策として30万出るけど、あれだいたいの人もらえないよね、という話をしていて、あ、「今」ではないなというのがわかってしまったこと。まぁでもいつ政策が変わるかなんてわからない以上、そこまで厳密に取り込めというのがそもそも無茶ではある。


開始から5分くらいたった時だろうか。途中から参加した人が操作がわからなかったらしく、マイクとビデオをONにした状態で参加してしまった。しかも間の悪いことに、その段階では4人の内の一人がまだSkype通話に参加していないという設定で、画面が4分の3しか埋まっていなかったので、空いたスペースに突然の闖入者が映し出されることになってしまった。

いや邪魔だな~早くビデオをオフにしてくれ…と思いながら3人の芝居を聞いていたら、「なんか映ってない?」「え?ほんとだ。なんだろ?」と俳優たちが触れ始めたのは驚いた。しかし、彼らがこのSkype画面を見ながら喋っているのだと考えれば、突然の謎の映像に触れない方が不自然である。そのあたりでようやく闖入者の映像がオフになり、3人は元々の話題に戻った。

これはまさしくハプニングであり、明らかに公演としては予期してはいないことだが、この時にあらためて「今まさに彼らも画面の向こうにいること」を強く感じて、私はまた映像として見ていたんだなと思った。

詳細は省くが、会話の流れからAVの音声を聞く流れになり、しかもそのAVを止められなくなったために、喘ぎ声をBGMに会話を聞く状態になる。「シュールだな~」と思いながら聞いているうちに、もう切ろうという流れになり、4人がそれぞれ切っていく。(余談:確かこの時に、最後に一人が名残惜しそうにしばらくつながった状態になっていたのがなんだか印象的だった)

唐突な幕切れだったなぁ…と思いながら、真っ暗な画面を眺めること数秒。

「一年後」という文字と音声。

えっ、嘘でしょ!?

リアルタイム配信であること、「今この時」を共有していることに意味がある公演だとここまでの流れで勝手に思っていた私はかなり驚いた*1。先程までは、私と彼らとで「今この時」を共有していた。同じ時を生きていた。しかし、彼らは一年後の時空に進んでしまった。先程から地続きで存在する私と、映像の中の一年後の彼らがうまく処理できなくて、脳が戸惑ったのを覚えている。


私はそこからあらためて、「フィクションの作品」として見始めた。画面の中の彼らは「一年後の彼ら」。その認識を脳になんとか浸透させた。この時の現実から切り離されるような感覚は味わったことがないものだった。

この後さらにもう一度、一年時間が進んで最初のシーンから二年後にも飛ぶのだが、個人的には一年後は悲観的すぎる予測だし、そこを基準に考えるなら二年後は楽観的すぎるなという印象だった。

そのあたりの、私の想定する未来像からの遠さが原因なのか、一年後に飛んだ時の現実感からの切り離しの印象が強すぎたのかはわからないが、一年後二年後の部分に関して、あまり今の延長線上にありうる未来だという感じが私はしなかった。あくまでフィクション、ファンタジーという感じ。


最後の幕切れもぬるっとした終わり方だった。
真っ暗な画面に表示され、読み上げられる、
「この物語は、フィクションでした」

そう、フィクションなんだよなぁ。リアルタイムでSkype通話でつながって彼らの姿を見ていたけれど、これはあくまで「フィクション」なのだ。


この公演は、何をもって私はリアルタイムだと感じ、現実だと感じるのか、その境界が揺さぶられるような体験だった。

双方向なやりとりが発生した瞬間の「彼らも今まさに向こうにいるんだ」という気づきと、彼らが一年後にスキップした時の「置いていかれた」感じ。いずれも新鮮な感触で、とてもおもしろかった。

*1:しかし、そもそも暗転=場面転換なので、そこで気づけよという話ではある