考える練習

舞台やイベントの感想など

"見られる" ということ

先日、とある舞台作品のDVD購入者限定イベントに参加してきた。整理番号順入場だったのだが、私の番号は思いの外早い番号で、なんと3列目に座ることができた。しかも、推しは下手側に座ったのだが、座席は下手側だった。目の前ではないものの、だいぶ近い。

最初は無邪気に喜んでいた。双眼鏡がなくても、表情がはっきりと見える。私は思うさま、推しが笑い、喋る姿を堪能していた。

トーク、映像、コント、、とイベントが進行し、終盤にさしかかった頃だろうか。私は推し以外の人が喋っている時に推しの姿を眺めるのが好きなのだが、(人の話を聞いている時の表情は無防備な感じがして好きなのだ)、この日も、時折喋る人の姿も見つつも、だいたい推しを眺めていた。

うんうんと他の人の話を聞いていた推しが、ふと客席に目を向けた。別に私をピンポイントで見た訳ではないと思う。なんとなく、そのあたりのブロックに目を向けたのだと思う(もしくは何か気になるものでもあったのか…)のだけど、それまでずっと、喋る人や司会の方にしか目を向けていなかった推しが、急に客席に目を向けた。まずそのことにびっくりし、そして、こちらを見ているように感じられることに、恐怖を覚えた。

感覚としては、マジックミラーだと思っていたら実は単なるガラスだった、というのが近いかもしれない。こちらはただ"見る"側だと思っていたのが、急に反転したような心もとなさ。

話してる人を見ろよ…と呆れられているんでは、というやましさもあいまって、私は内心ものすごくうろたえた。

その後も何回か、推しはふと客席を見、その度に私はこれって見えてるんだろうかどうなんだろうか、、とびくびくした。(気になるなら目線を話してる人とかに変えればいい話なのだが、なぜかできなかった)

次の推しの舞台で、最前が2回ほど取れていて、発券した時は純粋に嬉しかったのだけど、なんだか怖くなってきてしまった。
とりあえず身奇麗にして行こうと思う。*1

*1:この日、うろたえた理由の一つとして、今日は気を抜いてるんだから見ないでほしい、というのもあった。