考える練習

舞台やイベントの感想など

「ですって」と彼女は言った - シベリア少女鉄道「君がくれたラブストーリー」-

6/18(土)14:00-
シベリア少女鉄道「君がくれたラブストーリー」@赤坂レッドシアター

※いつものことながら、ネタバレ気にしていません。


舞台中央には一段高くなったところがあり、そこがメインステージになるようだ。ステージ中央には四角いテーブル、周辺には四角い椅子のようなもの。テーブルの中央には、平べったい箱が載っている。箱の中が赤い以外は、ステージもテーブルも椅子も白。ステージの左右、一段低いところには、ステージの方を向くようにして、椅子が並べられている。

客入れのBGMが少し大きくなり、暗転。照明がつくと、テーブルの周りには8人の男女がいた。椅子に座っている人もいれば立っている人もいて、それぞれトランプのカードのようなものを複数枚持っている。おもむろに会話し始めたかと思うと、カードを箱の中に捨てながら台詞をしゃべっていく。セリフを言うと同時にカードを捨てていくところから何か関連があるのかと思うが、カードを捨てずにセリフを言う人もいる。

たわいもない会話が繰り広げられていく。
「あなたたちって、同級生だっけ?」「まぁそういう関係さ」
バラク・オバマって誰だっけ?」「お前、ニュースも見ないのか」

「涙でメイクが崩れちゃった。トイレで直してくるね」
そう言い残して、一人の女性がステージを降りて、脇の椅子に座った。舞台を捌けるかわりにステージ脇に、ということなのだろうか?その後も数人が、ステージ脇の椅子に座ったり、またステージに戻ったりしていた。変わった演出の仕方だなぁ、とこの時は思っていた。

正直、このあたりは退屈だった。何が起こるのだろうという期待感がなければ耐えられないくらいには。

今思えばヒントはあった。最初のシチュエーションから場所が移っているようなのに、相変わらずカードを捨てながら台詞をしゃべる登場人物たち。一番不自然だったのは、海で語り合う男女二人というシチュエーションで、女性の方が、わざわざステージ端からステージ中央の箱のところに戻ってまで、カードを捨てに行っていたことだ。ひとくさりの会話の中で数回、あとじさるような動きでテーブルに近づいては、カードを捨てながら台詞を言っていた。

そうこうするうちに、彼らは実は犯罪者集団であるということが判明。今度のヤマは強盗らしい。あれよあれよという間に計画が決められ、ついに犯行当日になる。順調に犯行が成功するかと思われたところで、仲間の失態により、もうすぐで捕まってしまう、というところまで追いつめられる。

ちょうどそのあたりで、一瞬、捨てられたカードの山を真上から撮影した映像が後ろの白い壁に映し出された。カードの内容は読み取れない。今思えばとてもあからさまなヒントだったのだが、その時は何なんだろう何か意味があるのだろうかという感じだった。

その後も何回か、ちらちらとカードの山の映像が投影される。一方、芝居の方はどんどん山場に近づいていく。捕まることはなんとか避けたものの、仲間割れが始まってしまう。そしてついに殺し合いが……となったところで、1人がカードを箱の中に捨てると同時にガッツポーズ。同時に流れるBGM。「テッテレー」

え?

次々と、セリフを言いながらカードを捨てては白いステージから退場し、脇の椅子へ。そして、テーブルの上の山になったカードがはっきりと写し出される。カードに書かれているのはこれまで言われてきたセリフ。そう、これはカードに書かれたセリフをいかに早く言っていくか、というゲームだったのだ。

暗転した後切り替わると、先ほど一番早くカードを捨ててガッツポーズを取った男が一等賞を持っていて、他の登場人物もゲームを抜けた順番に二等賞、三等賞、…を持っている。そして、ビリになった男が持っているのはポケットティッシュ

ビリになった男はもう一回やろうと懇願しはじめる。最初は聞き入れなかった一等賞の男も、土下座するならいいよといい、他の人の同意も得たのでもう一度ゲームをすることになる。

さぁ今度は観客もルールをわかった上でのゲームスタートである。

前半とは打って変わって、登場人物たちのセリフにより、めまぐるしくシチュエーションが変わっていく。時には高校の教室、時には病院、時には誰かの家、時には時計台のある公園…。それぞれが自分のカードを出しやすいような設定に持っていこうと、お互いに主導権を奪い合う。

そして、前半と同じセリフが全く違った意味を持って再度使用される。現代において、「バラク・オバマって誰だっけ?」と言うセリフは馬鹿のセリフだが、1970年代の世界においては当然の疑問であり、ギャング同士の生死をかけた争いで緊張感を持って使われていたセリフが、お医者さんごっこで藪医者のふざけたセリフとして再使用される。

細かくセリフを覚えていないのが本当に残念だが、多種多様なセリフが前半とまったく違う意味を持って蘇ってくるのには新鮮な感動があり、言葉の意味がどれだけ文脈に依存しているのかをしみじみ実感できる、という点でとてもおもしろかった。

おそらく、芝居というよりはコントとして分類するべき作品だろう。出演者は全員芝居がかった演技なので、演技重視、ドラマ性を重んじるタイプの人には刺さらないだろうなと思うが、一種の言葉遊びの追求のような感じで、私はとても楽しめた。