考える練習

舞台やイベントの感想など

賢そうに見せるということ

「私が賢そうに見えるとしたら、それは私がそう見えるように努力してきたから(大意)」というツイートをちょっと前に見た。
私はそういう方向性の努力を意図的に放棄してきたことに気づいた。

中高大と、賢そうに見せることはタブーだった。
目立ってはいけない、賢そうに見せてはいけない、そういう空気が充満していた。
本気を出していいのはテストの時と、先生にあてられた時だけ。
それ以外の場面で賢さを出すものは、空気が読めないやつ、というレッテルを貼られた。

冒頭のツイートをした人は、ある漫画についての解釈をえんえんツイートしていて、その内容もおもしろかったんだけれど、そこに他の解釈するアカウントが集まってきて、リプライしあう様子に、とてもわくわくした。
今思うと、ここでは下方修正しなくていい、そのことに、私は何より興奮していたのかもしれない、と思う。