考える練習

舞台やイベントの感想など

近況 & 配信のオススメ

みなさま、いかがお過ごしでしょうか? 私は元気です(?)

GWのすべての観劇予定が吹っ飛び、「これは例年になく暇なGWになるな…」と思っていたんですが、毎日刀ミュの無料配信見て、合間に断捨離したり他の配信見たり漫画読んだりしていたら、あっというまにGWが終了していました。

最後に観劇したのが3/21。4月上旬あたりは観劇できないフラストレーションがたまってなかなかつらかったんですが、そこからさらにひと月たって、「劇場に行かない」ことに身体が慣れてきたような気がしています。


最初は配信って集中しづらいな~と思ってたんですが、ちょっとコツをつかんできた感触があって、個人的に一番のコツは「劇場での観劇時と同じレベルの集中力を(自分に)期待しない」ことかなと思ってます。矛盾してるようですが(笑)。例えば友人との円盤鑑賞会とかが想像しやすいかなと思うんですが、そういう時って劇場で見る時みたいに120%の集中力で見ないじゃないですか。80%ぐらいの集中で、感想言い合ったりヤジ飛ばしたり(?)しながら見ますよね。ああいう感じ。

各所の無料配信とか見始めた最初の頃は「劇場での観劇時と同じように集中できていない自分」が気になって余計集中そがれてる部分があったんですが、80%ぐらい集中できてたらOKかなというゆるい感じで見るようにしてから、かえって前より集中しやすくなったように思います。

それから、「軽く中断はしても、完全中断はしない」。配信を見ていて集中がとぎれてきたと思ったらいったん完全に中断して、別のことを30分とか一時間とかしてから再開したりしてたんですが、これやると再開の時にけっこうエネルギーを要するのがわかってきたのでやめました。ゆるい気持ちでとはいっても、やっぱり「芝居に集中するモード」に入るには多少エネルギーがいるんですよね。ただ、携帯が気になって触ってしまった時なんかは、一時中断して、数分程度、気が済むまで触ってから戻るようにしています。


今のところ一番おもしろかったのが「12人の優しい日本人を読む会」。
5/6に生配信してたものなんですが、5月中(暫定)はアーカイブ残してくれるそうなので、よければぜひ。
前編 https://www.youtube.com/watch?v=3e2aKThmhXM (1:28:05)
後編 https://www.youtube.com/watch?v=ZDagy7MmFhY (58:33)
以前舞台作品として上演した「12人の優しい日本人」の台本を俳優陣がリモートで読む、という企画。朗読劇みたいな感じかな~舞台の評判よかったっぽいから見てみるかと気楽な気持ちで見始めたら、誰も台本読んでないし、気迫のこもった演技でもはや普通に舞台見てるのと変わらなかった。陪審員裁判のために集められた12人が有罪か無罪かを話し合うんですが、どんでん返しにつぐどんでん返しで、話がどう落ち着くのかまったく予想できなくて、めちゃくちゃおもしろかったです。


それから、人は選ぶと思うんですが、ぼろぼろ泣いたのが劇団チョコレートケーキさんの「追憶のアリラン」。
こちらは5/10まで(もはや今日!w)
https://www.youtube.com/watch?v=7EVys-1MNCA (2:19:38)

第二次世界大戦末期、大日本帝国の統治下にあった朝鮮に駐在していた日本人公務員の視点を中心に描いた物語。主人公は朝鮮人も日本人と同等に扱うべきだという思想で、時には憲兵隊隊長に意見したりもするんですが、朝鮮人たちからしたら同じく「日本人」として見られるのだ、ということがあざやかに描かれていました。戦争が終わり、今度は日本人が罪人として裁かれる側になると、朝鮮人のために尽力してきた部分もあるのにあくまで「日本人」として扱われてしまうつらさ、これまで受けてきた仕打ちから、いい人もいるのがわかっていても日本を憎まざるを得ない朝鮮人たちの事情。

個々人での状況においては誰も悪くない、でもどうしようもない、というのに私はとても弱いので、もうめためたに泣きました。そしてその状況でも自分の信念を貫こうとする人たちの姿が一筋の希望のようで、そういうのにも弱いので、ぼろぼろに泣いてしまった。

ちなみに、尋問するシーンはありますが、ボコボコに拷問するようなシーンはないので、戦争ものとしては見やすいと思います。

現実とフィクションのあわい - 「要、不急、無意味(フィクション)」感想

劇団た組さんのインターネット公演「要、不急、無意味(フィクション)」の4/19(日) 13時公演を見た。

Skypeを利用したリアルタイム上演(?配信?)と聞いて、どういう感じなのかなという好奇心から観劇(?)した。作り手の意図とはズレたところでおもしろがっている気がしてならないが、めちゃめちゃおもしろかった、という話。

話の内容については、詳細に書いてくださってる方がいらしたので、そちらを見ていただいた方がいいかと思う。
maguromgmg.hatenablog.com




今回の公演はSkypeのグループ通話を利用した方法だったため、メールで送られてきたリンクで「通話に参加」するところから始まった。Skypeアプリの真っ暗な画面の上方に静かに参加者のアイコン(大半は画像設定なしでアルファベット数文字が表示されているだけ)が粛々と増えていくのは不思議な光景だった。マイクとビデオをオフにした参加者が静かに増えていく。

上演5分前に開演前の諸注意。飲食禁止や私語禁止のアナウンスがないかわりに、マイクとビデオはオフにしておいてくださいという内容。録画や録音禁止のアナウンスも。Skypeスクリーンショットを撮るとチャットと連携していてバレるというのは初めて知った。

Skypeを使うのが久しぶりだったので、ちゃんと見れるのかが若干心配だったのだが、上演開始前にテストとして、いったん俳優さんたちの映像を映す時間があって安心した。4分割の画面に映し出される俳優さんたちのお顔。

スマホ版のSkypeでは、俳優さんたちのアイコンを自分で画面中央に持ってこないと映像が映らないらしいのだが、そのアイコンが見当たらないというコメントがチャットに書き込まれ、「マイクに反応するので、喋ってもらえますか?」ということに。「○○です」と各々名乗る俳優陣。

私はここで初めて、彼らも「今まさに」画面の向こう側にいることを実感したように思う。リアルタイム配信であることは「知って」はいても、それまではなんだかんだで映像として見ていた気がする。

余談だが、「健介さんだけ見えないです…」というコメントが書き込まれ「健介、見えないってよww」と俳優さんたちが笑うという一幕があり、くつろいだ、素っぽい様子を見ていると、本当にSkype通話の覗き見をしているようで、妙な親密さを感じてどきどきした。

不具合報告のチャットが落ち着いたところで、いったん俳優さんたちのビデオをオフ。そこからあらためて上演開始となった。

お芝居の内容は、Skype通話で友人4人がぐだぐだとしゃべっているところを見る、というもの。現状と同じようにコロナウイルスのために外出が自粛されているために彼らはオンライン飲み会をしようということになったらしい。繰り出される不満や愚痴はまさに私達が喋り、見聞きしている内容そっくり。

ただここでちょっと惜しかったなと思うのが(というと上からになってしまうが)、救済策として30万出るけど、あれだいたいの人もらえないよね、という話をしていて、あ、「今」ではないなというのがわかってしまったこと。まぁでもいつ政策が変わるかなんてわからない以上、そこまで厳密に取り込めというのがそもそも無茶ではある。


開始から5分くらいたった時だろうか。途中から参加した人が操作がわからなかったらしく、マイクとビデオをONにした状態で参加してしまった。しかも間の悪いことに、その段階では4人の内の一人がまだSkype通話に参加していないという設定で、画面が4分の3しか埋まっていなかったので、空いたスペースに突然の闖入者が映し出されることになってしまった。

いや邪魔だな~早くビデオをオフにしてくれ…と思いながら3人の芝居を聞いていたら、「なんか映ってない?」「え?ほんとだ。なんだろ?」と俳優たちが触れ始めたのは驚いた。しかし、彼らがこのSkype画面を見ながら喋っているのだと考えれば、突然の謎の映像に触れない方が不自然である。そのあたりでようやく闖入者の映像がオフになり、3人は元々の話題に戻った。

これはまさしくハプニングであり、明らかに公演としては予期してはいないことだが、この時にあらためて「今まさに彼らも画面の向こうにいること」を強く感じて、私はまた映像として見ていたんだなと思った。

詳細は省くが、会話の流れからAVの音声を聞く流れになり、しかもそのAVを止められなくなったために、喘ぎ声をBGMに会話を聞く状態になる。「シュールだな~」と思いながら聞いているうちに、もう切ろうという流れになり、4人がそれぞれ切っていく。(余談:確かこの時に、最後に一人が名残惜しそうにしばらくつながった状態になっていたのがなんだか印象的だった)

唐突な幕切れだったなぁ…と思いながら、真っ暗な画面を眺めること数秒。

「一年後」という文字と音声。

えっ、嘘でしょ!?

リアルタイム配信であること、「今この時」を共有していることに意味がある公演だとここまでの流れで勝手に思っていた私はかなり驚いた*1。先程までは、私と彼らとで「今この時」を共有していた。同じ時を生きていた。しかし、彼らは一年後の時空に進んでしまった。先程から地続きで存在する私と、映像の中の一年後の彼らがうまく処理できなくて、脳が戸惑ったのを覚えている。


私はそこからあらためて、「フィクションの作品」として見始めた。画面の中の彼らは「一年後の彼ら」。その認識を脳になんとか浸透させた。この時の現実から切り離されるような感覚は味わったことがないものだった。

この後さらにもう一度、一年時間が進んで最初のシーンから二年後にも飛ぶのだが、個人的には一年後は悲観的すぎる予測だし、そこを基準に考えるなら二年後は楽観的すぎるなという印象だった。

そのあたりの、私の想定する未来像からの遠さが原因なのか、一年後に飛んだ時の現実感からの切り離しの印象が強すぎたのかはわからないが、一年後二年後の部分に関して、あまり今の延長線上にありうる未来だという感じが私はしなかった。あくまでフィクション、ファンタジーという感じ。


最後の幕切れもぬるっとした終わり方だった。
真っ暗な画面に表示され、読み上げられる、
「この物語は、フィクションでした」

そう、フィクションなんだよなぁ。リアルタイムでSkype通話でつながって彼らの姿を見ていたけれど、これはあくまで「フィクション」なのだ。


この公演は、何をもって私はリアルタイムだと感じ、現実だと感じるのか、その境界が揺さぶられるような体験だった。

双方向なやりとりが発生した瞬間の「彼らも今まさに向こうにいるんだ」という気づきと、彼らが一年後にスキップした時の「置いていかれた」感じ。いずれも新鮮な感触で、とてもおもしろかった。

*1:しかし、そもそも暗転=場面転換なので、そこで気づけよという話ではある

HIGH&LOW THE MOVIE 1-3 を見ました

人気なんだなぁとぼんやり横目で見ていたハイロー。
youtubeで無料配信してたのと、(現在は終了しています)、オススメされたので、見てみました。

ふっつーにおもしろかった!

アクションがすごいというのはさんざん聞いてて。話はまぁ考えずに見て、みたいな感じでよく聞いてたので、もっと話に中身ないのかと思ってたんですよね(笑)

話も普通におもしろかった。特に2と3はわりとちゃんと考えられてるというか…ストーリーラインがけっこうしっかりしていて意外でした。普通にハラハラドキドキしながら見ていた。人気出る理由がよくわかりました。やっぱり見てみないと駄目ですね。


以下、ネタバレ気にしてないけど、たぶん見てないとわからない感想です。


見てて新鮮だったのが、最初から最後までヤンキーの理屈で戦うこと。どっちが正しいとかの話を基本的にしないんですよね。ホワイトラスカルズとダウトが女についての価値観の違いでちょっとそのあたりの話をしてたぐらい? それ以外は徹頭徹尾、ヤンキーの美学にのっとって戦ってて、とにかく喧嘩売られたら買う、仲間(or家族)が傷つけられたら戦う、ただただそれのみ。3で対ヤクザに話が広がった時はどうすんのかなと思ったんですが、一応体外的な作戦も入れつつも、そこにあんまりスポットが当たらない感じで、メインはあくまでヤンキーの理屈での戦いという印象になってて、なるほど~~!と唸りました。

ただ、そこが新鮮ではあったんですが、個人的に物足りないなと感じた部分でもありました。話は面白いし、アクションすごいんだけど、何か大事なものが満たされない感じで、心の中にすっぽり空洞が空いたような感じがして、あ、そうか私は考え方の対立が見たいんだな…と。これまでこういう対立する話を見る時ってお互いの価値観の対立を見てたんだな~ということに気づきました。

思想が出てこないということは、逆に考えれば、誰が見ても、思想に共感できないから主人公サイドに共感できない、というのが発生しないんじゃないかな?とも思います。そういう意味ではこれは誰でも純粋に楽しめるエンタメなのかもしれない。

さんざん書いてきたけど、これまでヤンキーものって私はほぼ見たことがないので(ごくせんぐらい)、ヤンキーものではみんなこうなのかもしれないな…笑 もしそうなら忘れてくださいw



あとこれは書いておきたいのが、スモーキーが超ツボでした……。ああいうキャラ好きなんですよね。しかも私は他者を気遣って笑顔で「大丈夫だよ」って励ますシチュエーションが大好きなので、3のいよいよ無名街がやばいというところでの「大丈夫だよ、いつだって心は一つだ」みたいなこと言うシーンは笑顔で喋り始めたとこから泣き始めてました。タケシに後を任せ(ここも泣いた)、一人で立ち向かうスモーキー…。美しい横顔に、過去を思い出すようなゆるやかな笑み……。↑で心に空洞がとか言っといてあれですがこのくだりはぼろぼろ泣いてハンカチで目元を抑えました。

あとRUDE BOYS の戦闘スタイルが好きなんですよね。身軽にひょいひょい動いて、体の使い方で戦うスタイルが見ててとても楽しくて好き。


そういえば、最後に出る注意書きの「絶対に真似しないでください」に笑ってしまった。小中学生だったら絶対やるよな…。私も瓶投げつけるやつやってみたくなったもんな。いきおいよくコンクリの塀とかに投げつけてどうなるのか確認してみたい。やりませんけども…(当たり前)。

浪漫活劇譚 艶漢 第四夜 感想

今回最後の週しか取っていなくて、自粛要請が出てばたばた公演中止が出ていたので、どうなるかはらはらしたんですが、やってくれてよかった…。ありがとうクリエ。ちなみに観劇時はマスク着用推奨で、マスクしてないお客さんには声をかけて着用をお願いする徹底ぶりでした。


水劇の話は舞台化難しいだろうなと思っていたので、水劇のくだりをやるらしいと聞いて「まじか」となったんですが、照明、音響、そして役者さんの動きにより、ちゃんと水劇でした。弁士っぽい感じで芝居の説明してるの見て、そうか演者は水の中だから喋れないんだ!とあらためて実感したり。

お互いにないものねだりしていたことがわかる、というわかってみれば卑小なんだけど、その人間の小ささがいじらしく思える感じがして、このエピソードはなんとなくほっこりします。どろどろではあるけども。

その分、漁火のゲスさがきわだつ感じで、これまで尚哉くんの悪役見たことなかったんですが、いい感じにセコい悪役って感じでよかった。

詩郎は公演を経るごとに色気が増してる感じで、今回もよかった…。しかも光路郎に対しての信頼が育ってきている分、甘えが出てきていてそれがめちゃくちゃかわいい。「あてしだって!」って張り合うところとか、その甘えを感じて悶えました。あとラストあたりかな、「大馬鹿」って言うところで、光路郎と抱き合ってて光路郎には見えないからなのか、めちゃめちゃ嬉しそうな顔してるのがさ~~~!ずるい、その表情はずるい。

あと安里は今回も安里でした(感想)。登場しただけでぱぁっと雰囲気が華やかになり、目が惹きつけられる感じはすごいな~と毎度新鮮に驚きます。

さらりさらり、ぱったり - 能楽男師2「鴈礫・附子」感想(ネタバレなし)

舞台自体は二週間ぶりでそこまで久しぶりでもなかったんですが、荒牧さんを生で見るのがけっこう久しぶりだったので、五臓六腑に染み渡るような心持ちでしたね…。中止になるかどうかドキドキしましたがやってくれてありがたかった。

入場時にアルコール消毒&体温測定。会場内での物販はやめて通販のみ、キャスト宛の手紙やプレゼントの預かりもなし、という徹底ぶり。お客さん側もたぶん全員マスク着用、お手洗いでもみんな石鹸使って洗ったりアルコール消毒してたりで、ここから感染者を出さないという気迫を感じました。

生配信のタイムシフトが(たぶん日曜まで?)見られるので、ネタバレ配慮感想にしてみようと思います~。
※追記:販売期間3/21(土)16:30までだったようです。期限すぎてから見に行ってくださった方いたらすみません。
能楽男師 鴈礫・附子 (昼の部) - ニコニコ生放送
能楽男師 鴈礫・附子 (夜の部) - ニコニコ生放送
各4,000円(税込み)。
夜の部の方がキャストの緊張が取れててのびのびしてる感じだったので、どちらか買うなら、夜がオススメ。

会場について

会場は宝生能楽堂。舞台の構造と座席配置が面白い。下記リンクに座席表があるんですが、劇場の舞台に慣れてると衝撃の配置です。
チケットのご購入 | 公益社団法人 宝生会
正面の座席少なくない…??という…(笑) 脇正面と中正面がサイドシートだとすると約半分がサイドシートですよ。検索してみた感じ、他の能楽堂も同じ感じの配置だったので能舞台はこういうものっぽい。

これだけ脇正面の範囲が広いとなると脇からでも普通に楽しめるように作ってるのかな~と思ってたんですが、昼と夜で脇正面の後方列と正面中程の列から見た印象を比べると、やっぱり基本的には正面から見ることを想定して作られてるように思います。脇からだとところどころ表情見えないところがあるけど、正面からだとなかった気がする。

あと、舞台の四隅に屋根を支えるための柱があるんですが、これ中正面だと左手前の柱がけっこう邪魔だと思う。なので、もし選べるなら正面の座席選んだ方がいいですね。

それと、お手洗いの個室の数が20近くあって、めちゃめちゃ回転早かったのよかったです。

感想

まず衣装がかわいい!(ちなみに能楽では「装束(しょうぞく)」と言うらしい)


烏帽子かぶってるのが鴈礫(がんつぶて)での衣装で、身軽そうなのが附子(ぶす)の方の衣装です。色味がポップで目に楽しい。この衣装で出てきた時点で、「か、かわいい…」ってなってました。


最初、見て理解できるかが不安だったんですが、ふっつーに面白かったです。こんな楽しいとは思わなかった。わからない単語はちょこちょこ出てくるんですけど、話の筋がシンプルなのと、動作やセリフの言い方でだいたいわかる感じ。あと時間がそれほど長くないから集中力保つのもあるかも(鴈礫(がんつぶて)が約15分、附子(ぶす)が約25分)。

話の筋もちょろっと紹介しつつ…。

「鴈礫(がんつぶて)」

鴈(がん)は鳥の1種で、礫(つぶて)は石礫の礫。
ちょっと間抜けな大名(荒牧さん)が鳥でも狩るか〜と野遊山(≒ピクニック)に来たところに、鴈を発見。よし狩ろうかなというところに1人の男(健人くん)が通りすがる…というところから始まるお話。

健人くんが登場してからのスピード展開が楽しい。そもそも15分程度のお話なのでわりと何言ってもネタバレになってしまう…(笑) 大名がなんとも間が抜けてる一方で妙に賢しいところがあったりするのがより滑稽でおかしかった。

「附子(ぶす)」

附子というのはトリカブトのこと。
兄弟子と弟弟子が主人に留守を預かるよう命じられ、その際にこの箱には附子(トリカブト)が入っていて猛毒だからこれだけは開けてはならんぞと申し付けられたのですが、2人はそれが気になって気になって…というお話。

健人くんが兄弟子で荒牧さんが弟弟子。2人で一緒に何かする場面が多くてかわいかった〜。めちゃくちゃ子供っぽい感じでお互いに罪をなすり付けあったりしてたのがまたかわいかった(笑)

2019年の個人的トップニュース

2019年の観劇まとめ記事で書こうと思ってたのをうっかり書き損ねていたんですが、2019年のオタ活における個人的トップニュースは I くんに出戻りしたことでした。

元々、舞台俳優界隈に足を踏み入れるきっかけになったのは、ハイステであり、最初は I くんが「推し」でした。で、刀ステでAさんを知り、戦国無双でAさんが気になりだし、二推し期間を経てからの、Aさんに推し変。二推し期間の揺らぎは記事にも残っています。(「一推しと二推し問題」 「一推しと二推し問題 その後」)

メインがAさんに移ってからも、ゆるゆる追い続けてはいたものの、これまでの私の趣味遍歴を考えるに、一度熱量が下がったものにまた戻ることってなかったので、こんなことあるんだなぁ…と自分で驚いています。
( I くんとAさんって誰やねんという方はカテゴリをご覧ください)


最初のきっかけは2018年末~2019年にかけて行われたあんステMoMがめちゃくちゃよかったこと。開演前の期待値は別に高くなかったにも関わらず、東京公演4枚確保していたのが、結果的に功を奏しました。なぜそんなに持っていたのかというと、「あんステ」のチケットが取れるのがとにかく嬉しかったんですよね…(笑) Aさんが出てた時はほんっっっとに取れなくて苦汁をなめまくっていたので…。

1回行けたらいいなと思ってゆるゆる申し込みしてたはずが、自名義で取れた後も譲渡に声かけたりして、気づいたら4枚になってました。いやこんなにいらなくない…?って我に返ったりした。

東京で4回見て、地方公演はさすがに我慢しようって思って、結局我慢できず京都と大阪に行き…、千秋楽の宮城は迷ってるうちにチケットがなくなったので行かなかったんですが、あったらたぶん行ってましたね…。

この時は「たまたま作品が刺さっただけ」だと思ってたし、実際この時点ではそうだったんだと思います。大阪公演の終盤にエーステが始まってからは、そっちに気持ち持っていかれてたし(笑)

「楽しかったな~ いのみかちゃんかわいかったな~」ってなってるところに、カレンダー発売イベント(以降、カレイベ) がきまして。

それまで、I くんの接触に関しては個人イベントについてるの以外はすべてスルーしてたんですが、(接触は好きだけど苦手なので…) まぁテンションあがってるから行きますよね。

で、そのカレイベでの接触が、個人的に大成功でした。

「これが言いたい/聞きたい」が明確にあったのと、感覚的な話になるんですが、その日は I くんが"開い"てたので、こちらがあまり緊張せずに話せたのもあり、言いたいこと言えたし、聞きたいこと聞けたし、会話自体も楽しかった、という目的達成度120%みたいな感じでした。

あとAさんの接触スキルアップしてたのをこの時に感じました(笑) 強くてニューゲーム感があってなんか可笑しかった。

ペダステはまぁまぁ…だったんですが(演出家さんが合わないので通常営業)、好き度が上がってたからかわりと楽しかった記憶。リピチケで1回増やしました。

その次がヒロステ。先行段階でそれなりに頑張ってたので、カレイべの後に先行だったのかな。これも事前の期待値は高くなかったんですが、蓋を開けてみたらめちゃくちゃ出来が良くて楽しかった。わーってなって感想も書いた。(ヒーローとは何か? ヒロステ感想)

次の朗読劇「百合と薔薇」もま~よかったんですよね。話が好みだったのと、こういう演技好きだなっていうのが見れたので、また、好き度合いがあがり。

ヒロステ上海公演に行くのを決めたのは、単に「海外公演に行ってみたかったから」なんですが(我ながら理由が馬鹿である)、海外公演ならではの会場の盛り上がりがすごくてめちゃくちゃ楽しくて、あと海外旅行に久しく行ってなかったので(オタ活にお金使いすぎてて…)、そういう意味でも楽しかった。

その次のバースデーイベントについても記事書きましたが、これがまた楽しかったんですよね。この時はだいぶ笑った。

そこに舞台「上に行きたくないデパート」。微妙な小劇場演劇感を感じてチケ取り控えめにしてたんですが、蓋を開けてみたらめちゃくちゃよかった。脚本・演出の方が、リアルな会話が売りらしくて、その評判に違わないリアルさとテンポの良さがすごく気持ちよかった。

その次が血界戦線。これもよかったんですよね……。もともと西田さんの2.5は好きでよく見てるんですが、西田さんの演出と作品の雰囲気がすごくマッチしていて、これは西田さんの2.5のなかでも出色の出来なんじゃないかなと思います。Iくん演じるザップがほぼほぼギャグを担っていたのもあって、いのみかちゃんの時の日替わり芸再来、という感じで、遊び部分がまた楽しかった。

ペルソナ5 に関しても悪くはなかったのと、キャラがめっちゃ好みだった。。トレーディングがんばらないつもりだったけど8種集めてしまった。

何回「楽しかった」「よかった」と言うつもりなのかという感じですが、2019年はほんとに I くん関連が充実してたんですよね…。戦国無双でAさんを好きになってから3年半たって、そろそろテンションが落ちてきていたのも大きいんだと思いますが、そりゃこんだけ重なったら出戻るよね、と振り返って思いました。


そういえば、メインが変わるかもしれないということで書いた記事では、Aさんの供給の多さに慣れてしまったから、メイン変更は無理かも…って書いてたんですが、これ、慣れですね(身も蓋もない)。

そもそもAさんも公演中はともかく、稽古期間中はほぼSNS更新されないし、公演中の更新も定形フォーマットみたいな感じなので、トータルで考えると更新頻度(&密度)的には変わらない気がする。稽古期間中に限っていうなら、むしろIくんの方が更新頻度高いのでは?という。

大きく異なるのは、振り返りブログと配信がないので「こう考えて演じてました」というのがほぼ聞けない点なんですが、これも慣れですね(デジャヴュ)。最初はやっぱり寂しい感じがするというか、どう解釈してたのかを聞きたい感じがあったんですけど、最近はあんまり気にならなくなってきました。

Aさんもドンピシャで「このシーンの感情はこう」みたいなことは言わないようにはしてたと思うんですけど、やっぱり本人が「こういう解釈で演じてました」って言っちゃうと、それが「正解」みたいになるんですよね。本当はお芝居をどう受け取るか、どう読み取るかって自由なものだと思うんだけど、そう読み取れた人が「正しい」みたいになってしまう。

Iくんのように、一切その「正解」を言わないということは逆にコントロールもできないわけですが、こちらにその解釈を委ねられてるような気がするんですよね。どういう風に読み取ってもらっても構わないと言われてるみたいな。こっちが勝手にそう思ってるだけなんですけど(笑) その、ある種の信頼がかえって心地良いような感じもしていて、人間の慣れっておもしろいな~と思っています。

そっちに慣れてきたら、今度はAさんの方が過剰な気がしてきて、こないだの振り返りブログでも、私が「こういう風に見えるな」って思ってたことが意図的にやってたのがわかったんですけど、「『正解』きちゃった~ 答え合わせしたくなかったな~」みたいな気持ちになって、人間の適応能力はすごいなと思うと同時に、我ながら勝手だなと思いました(笑)

お芝居の受け取り方

見たもの聞いたものを、その時何を感じたかと一緒に心の中にぽんぽん放り込んでいって、そのブラックボックスから返ってきた解釈が私の解釈。という感じ。ぼやっとしたイメージみたいなもので、そのままだと言語化されていない。

なぜそのキャラがその行動に出たのかがわからなくて考えたい時はそのブラックボックスからいったん取り出してきて、表層意識の論理で組み立てて考える。

先日見たデカダンでここがわからないな…となって考えた時も、そういう感じだった。見ている最中に考えることは、あまりない。

悲伝で山姥切がなぜ三日月に切りかかっていくのかわからない、と言った時に、「わからないのはあなたが荒牧さんの演技を受け取れていないから」と言われたことがある。今考えると、俳優おたくに対してなかなかに侮辱的ですごいなと思うんだけど、まじめに考えるなら、わからないのが「正解」だよな、と思う。言えるのはせいぜい「私はこう解釈してます」まで。私たちは勝手に、それまでの行動とその時の演技から「こう考えてるんだろう」と読み取っているだけだ。

この件で印象的だったのは、初回観劇時のメモには、「こういう理由じゃないか」というのがちゃんと、書いてあったこと。その後、表層意識で取り出して考える過程で、そのあたりが接続できなくなったらしかった。

「クロードと一緒に」で、主人公の行動が、理屈としては理解できないけど、でも「わかる」という経験をした時に、驚きはしたけど戸惑いはそこまでなかったのは、頭での理解と心での理解は別物である、という認識がもともと私の中にわりと強くあったからなのかなと、今振り返ると思う。