考える練習

舞台やイベントの感想など

悲伝のエゴとアガペーの話

悲伝がどんな作品であるかという評価にかかわらず、結局悲伝をいい作品だと思えない限りはしんどいんじゃないかと思って試行錯誤していて、発見があったのでメモ。

エゴの愛として認識してる感想ブログをたまたま見かけて、「同志がいた…!」ってなってテンションあがり、あらためてアガペーとして認識してるかエゴとして認識してるかという観点でいくつか検索でひっかかった感想記事を読んでたんだけど、「アガペーとして捉えてるのかエゴとして捉えてるのか判然としない」感想か「これたぶんアガペーとして捉えてるな…」という感想しかないなぁと。明確にエゴの愛として峻別した上で、悲伝いい!という感想を本当に見かけない(いや、嘘。1件だけ見つけた)

よくわかんね~ってなっていろいろ感想読んでた時も、そうだったから混乱したんだったよな…ってあらためて思い出した。

これたぶん悲伝をいい作品だと思うためには、「三日月の行動をアガペーの愛として捉える」か「エゴの愛をアガペーの愛と同列のものとして捉える」のどちらかができないとだめなんじゃないかなぁという気がする。

TRUMPシリーズでもエゴの愛は描かれてて、LILIUMが個人的に一番わかりやすいなと思うんだけど、これが平気なのは、エゴの愛に対しての作品の評価がおぞましいものという評価だから。(作中での評価ではなく、作品としてのその行動への評価) それに対して悲伝ではそうなっていない。だから私の解釈とあわなくて気持ち悪かった。

で、そうなると私が悲伝をいい作品だと思うためには、「1. 三日月の行動をアガペーの愛として捉えられるようにする」か、「2. エゴの愛をアガペーの愛と同列のものとして捉えられるようになる」のどちらかが必要なんだなーというところでほぼ振出しに戻ったなという。

2. はわりと根っこの部分の感性の変更になってしまうから、1. の方が簡単な気がするんだけど、作品理解として正しいのはたぶん 2. の方。そうなると自分を騙す必要があるので、ほぼ2.の難しさと変わらなくなってきてしまう。

この私の感じている気持ち悪さを例えるなら、「快楽のために人を殺すことを肯定する作品」を読んだような感じ(舞台作品だと想像しづらいので小説想定)。なんだけど、そう考えると倫理観が関わる価値観の話になってくるので、そこを変えるのって、誰かに洗脳してもらわないと無理では?という(笑)。

結局無理じゃん、というところに戻ってきたんだけど、最初は土の表面なでて「無理かも…?」ってなってたのが、岩盤にかつんってぶち当たって「これは無理だわ」ってなった感じ。さすがに諦めがつく。快楽殺人を肯定するのはさすがに無理っす。あとわりと初期から感じてた気持ち悪さの理由がようやく見つかってすっきりしました。もー本当に気持ち悪くて、これ他の人は気持ち悪くないの!?まじで??ってなってたんですよね。*1

いまいち飲み込めない、なんかよくわからないってなってる人の中にも、実はこのあたりでひっかかってる人いそうだなと思う。「悲伝いい!」ってなった人たちは逆にこのあたりがあうんでしょうね。

*1:余談だけど、なんとなく検索してたら刀ステは気持ち悪いよって感想見かけて別にドンピシャで私と同じ気持ち悪さを感じてる訳じゃないと思うけど、「ここに言葉がわかる人がいた…!」みたいな気持ちになった。