考える練習

舞台やイベントの感想など

悲伝について考えることは

追悼しているような感覚があるなぁと、最近思う。辞書によれば、「死者の生前をしのび、その死を悲しむこと」。何に対しての追悼なんだろうな。三日月がいなくなったこと、ではない。悲伝そのものに対しての、追悼。

私の好きだった刀ステが終わってしまったことへの追悼、かなぁと考えているのだが、それだけなのか、それだけじゃないのか。

なんとなく下り坂な気配を見せ始めたことへの先取りした死の予感。そんなものも含まれてるのかもしれない。彼の作品が、せめてあの人が出る間は持ちこたえてくれますように。

悲伝から伝わってくること

「三日月がやっていることは悪いことじゃない、それだけはわかってくれ」というメッセージはめちゃめちゃ伝わってくるのに、描写でそれが感じられない。という話をこれまで何度かしてきたのですが、そこから考えると、悲伝で一番伝わってくるのは「末満さんが三日月宗近を愛しているということ」なのかなぁという気がします (オタク的な意味ではなくて)。愛しているというとちょっと言葉が強いかな。大切にしているぐらいのニュアンス。そして、そのことに感動できる人が悲伝で感動できる人なのかもな、と。

そう考えると悲伝内で三日月がやっていることが実際どういう意図なのかが伝わらなくてもいいんだ、と言う人が擁護派にいるのも道理で、「三日月がやっていることは悪い意図に基づくものじゃない、として受け取って欲しい」というメッセージさえ伝わればいいんですよね。実際の行為がどう見えるかはどうでもいい、むしろ、実際にやっている行為が悪い意図を持っているように見えれば見えるほど、「でもそうじゃないことをわかってほしい」というメッセージは際立つことになる。

悲伝の三日月の行動の辻褄について考えていた時に、三日月に関しては「つじつまが合わない、どう考えても解釈できない箇所がある」のが正解なんじゃないか?と思ったりしたのですが、間違いでもなかったのかもなぁという気がしてきています。

刀ステ慈伝 日日の葉よ散るらむ 感想 (ネタバレあり)

東京公演と大阪公演、1回ずつ観劇しました。

冒頭10分ほど聚楽第についての映像。
山姥切長義が本丸にやってくることになり、なんとか山姥切国広にあわせまいと奮闘するメンバーと、別に気にすることないでしょ、というメンバーとの間ですったもんだが繰り広げられるコメディパートを経て、ご対面からのシリアスパート。長義の申し出により、本丸全体を使った大掛かりな手合わせをすることになるが、果たして結果やいかに…という内容。

コメディは何かが噛み合わないだけで悲しいことになる可能性がある、わりと難しいジャンルだと思ってるんですが、テンポや間合いが良い感じで、スベリ芸ではなく、ちゃんと中身を見て笑える感じで安心して見ることが出来、とても楽しかったです。

OPからわちゃわちゃしていてかわいかった~まさか内番衣装でOPスタートするとは思わなかった。アニメの表現手法を移植してきてるような感じの演出だったのもあって、より「花丸」感が。

特に好きなのが、長義が布をかぶった鶴丸を山姥切国広と勘違いするシーン。鶴丸がまんばちゃんの真似しだした時点でウケてたんですが、そこからどんどんテンポよく掛け合いが畳み掛けられるから、笑い死ぬかと思った(笑) 梅津さん、コミックリリーフ的な情けない声うまいですね。「その目、気に入らないな」「見てないだろお!?」のところとか大好き。

あと逆に長義が鶴丸と勘違いされるシーンも好きです。長義を見たまんばちゃんがさっと怒りの顔になるのに目を奪われる…という事情もあるのですが(事情?)、まったく状況がわからない長義がかわいそうでかわいい…笑 「へぇ…っ!?」とか心底情けない感じで好き。


大包平がただの馬鹿みたいになってるのはいいのか?とは思うんですが、全キャラそれぞれ持ち味出しつつ、どのキャラも均等に出番がある感じで、それでいてごちゃごちゃすることもなく、一つの話としてちゃんとまとめてきたのはすごいなと思います。始まる前はこんなに人数いて大丈夫なのか?と思っていて、実際全員舞台にいると多いなとは思うんですけど(笑)、あれだけいると、長義に対してのスタンスでもいくつかの派閥に分けて表現できるし、何より大勢でわちゃわちゃしていることで、彼らにも日常があることがよりリアリティを持って伝わってくる感じがあるので、これはこれでよかったなと感じました。


これまでは、基本的に敵を倒すという主線があるところに、その話にからめて刀剣男士の心情を描くという形でしたが、今回は刀剣男士の葛藤オンリーなので、そこに集中して見られるなと感じました。

「お前たちは手を出すな」からの山姥切同士での一騎打ち。この時のまんばちゃんの心情に関してはいろいろ解釈あると思うんですけど、私は悲伝でさっさと燭台切を止めるために刺した三日月を見てるだけに、極力斬らないようにしてる山姥切めちゃくちゃやさしいなと感じました。頭を鞘で殴ってる部分も、崩れてはいるけど、昏倒はしてないんで、おそらく手加減してるんじゃないかなと。蹴り飛ばしたりしてるとことか、絵面としてはエグいんだけど、実際は斬る方が圧倒的にダメージを与えられるはずなんですよ。でもそうしない。長義は動けなくなるまで向かってくるだろうなってなんとなく感じてて、付き合ってやろうって心情だったんじゃないかなと感じました。実際、もうどう考えても勝てないだろう状況でも「まだまだ…!」とばかりに立ち向かおうとしてましたからね、長義。負けん気の強さがすごい。

そういえばまんばちゃんが逆刃にしたの見た時に、練習として刀剣男士でやりあう場合も普通に切れる感じなのかっていまさらに驚きました(笑) 練習の時は斬れない仕様だからみんながんがんいってるのかと思っていた…。あっこれ普通に斬れるんだ!?っていうところから、上記の解釈に至った面もあります。


慈伝の感想見てるとけっこう賛否両論なんですが、「雰囲気がこれまでのシリーズと違うから無理、しんどい」という理由でイマイチと評価している人がいるのは興味深いなと感じました。話の内容がどうこうじゃなくて、そこが違うから無理というのがあるんだなぁ…と。作品としてどこまで許容できるかの違いなのかな。

役者が下手だから笑えない、って分析してる人もいたけど、個人的にはコメディパート、ちゃんと笑える間合いやテンポだと思うし、笑えないのは単純に今回の脚本の笑いが合わないんだと思う。


あ、それから会場替わり刀剣男士について。

初めに見たのは東京公演の小夜ちゃんなんですが、淡々と、でもぴしっと長義に「あなたが素晴らしいから写しを作ったんじゃないですか? 山姥切さんを侮辱することは、あなた自身を侮辱するのと同じです」って言う小夜ちゃんに最初の頃からずっと一緒の刀の絆みたいなものを感じて、ぐっと来ました。

大阪では骨喰でしたが、長義とのくだりはほぼ内容としては同じなんだけど、ちょこちょこ言葉の選択が変わっていて、へぇっとなったのと、小夜に比べるとふわっと浮いた感じというか、どこか超越者的な視点があるように感じました。そもそも顕現したのも比較的最近(いや、そうでもないか…? まぁ小夜に比べると…)ですし、まんばちゃんに対しての思いがあるからというよりは淡々と事実を指摘しているように感じられておもしろかった。

同田貫に対して、「ばみって呼び方はなんなんだ?」みたいに疑問を呈してたの笑ったwいまさら…?

記憶薄れちゃってるところもあるので、凱旋公演見てからまた記事書けたらいいな。

バランスが変わるかもしれない

AさんメインでIくんはゆるゆる追っかけてたんですが、そのあたりのバランスが変わるかも、という話です。(AさんとIくんって誰やねん、という方はカテゴリの人名を参照ください(笑))


Aさんの写真集&インタビュー発売記念イベントのチケ発がぽつぽつ始まってまして。で、わりと惨敗な感じなんですが、取れなかったがために気づいてしまったことがあって。私、去年のムック本のリリイベの時ほど、執着してないなって。

去年のテンションで逃してたら、胃の腑が燃えるような後悔に一週間ぐらい苛まれてたと思うんですよね。でも今回は直後こそ「くそぅ」とは思ったんですけど、その日が終わる頃には落ち着いてて。

そもそも発売開始前に、さて何冊買おうかなってなって、ここでこれ買ったらいくらで…ってノートに書き出してる段階で、「ここで5000円、ここで1万、うーんけっこういくなぁ」ってなりながら書いてて。最初の写真集の時も去年のムック本の時もあんまり考えずに買ってて、「よくよく考えたらけっこうな額だな!?」みたいな感じだったんだけど、今回は、この値段払って行きたい…?っていう迷いが生じてたんですよね。

取れなかった分に関しても気迫が足りなかったのも一因なのかな~という気がしてて。やろうと思えばどうにかできた余白がまだあったなぁとも思うんですよね。

茶の間が参加権GETしてるの腹立つみたいな気持ちはあるんですけど、そういうのをひとまず脇に置いて、純粋に「この金額払って、このイベントに参加したいか?」っていうの考えた時に、そうでもないなぁ…ということに気づいてしまった…。

剥がしめちゃくちゃ早いだろうなとか、だいたいどういう感じで返事が返ってくるか見当がつくようになってしまったこととか、これも一因かなっていうのはあるんですけど、最近Iくんでテンションあがる作品が続いてるところに、Aさんの方は今そこまでじゃないから、っていうのが大きいんだろうなぁという感じがしてます。

書いてて思い出したけど、Iくん関連でよかった舞台の記事、あんまりあげれてないから全然そのあたり伝わらないですね(笑)

二推し状態からAさんのほうが好きだなってなって約2年半、またバランス戻ってくる時が来るとは思わなかった…。

ただ、完全に軸足を戻すのはできそうにないかも…という気もしてます。というのが、Aさんの供給の多さに慣れてしまったので、Iくんの供給の少なさがつらいんですよね。稽古期間中は基本的にSNSの更新ないのはどっちも同じなんですが、Aさんは公演期間中は毎日ブログがあって、公演終わったら振り返りブログがあって、月イチでニコ生があるからそこでも公演の話が聞けて…っていう供給多すぎでは?レベルだったのに対して、Iくんは供給がとても…控えめなので…。めったに更新してくれない人に比べたら全然マシだと思うんですけど、Aさんのペースに慣れてしまったのでつらい。情報に飢える。

あとインタビューあっても、だいたい公演前なんで、公演終わって、振り返ってどうだったか?という話は基本的に聞けないんですよね。MoMの時とか、あんなに振り返りブログか振り返り配信が欲しいと思ったことなかったな…。接触で質問して解消できたポイントもあるんですけど、時間が限られてるから込み入ったことは聞けないし、本人が話さないと知りようもないこととかあるやん!?

まぁでも今の気持ちはそっちか~となったので、推しだから行くっていうんじゃなくて、自分の気持ちと照らし合わせて行きたいとこ行く感じにしようかな~とか考えてます。

悲伝 三日月の行動への解釈

ひどいことしてるように見える三日月をどう解釈し、どう受容するか?の話。いろいろ要素はありつつも、悲伝のメイン部分なので、ここで失敗すると「悲伝まじでクソだな」となってしまう部分。

どういう受容の仕方があるかなというところから考えたメモです。

「三日月はひどいことしてる!でもそこが最高!」

一番スムーズに受容できるパターン。なにしろ何の解釈もいらない。身近にこのパターンで解釈してる人がいないと、そんな人いるの?と思うと思うんですけど、私にアドバイスしてた人がこれだったんですよね。なので、います(笑)

私もまさかこういう解釈・受容の仕方をしてる人がいるとは思わなかったので、実はそう解釈していたと聞いた時は驚きました。道理で話が噛み合わない訳ですよ。

あと、この解釈の場合、「ひどいことしてるけどそこが"最高"」なので、感想としては「三日月尊い…」タイプと変わらない感じになったりします。なので、実はあの人もそう解釈してた…ということがありうるかもしれない。

「三日月はひどいことしてるように見えるけど何か理由があるんだ」

これが大多数かな~と思うんですが、ここでも2つパターンがあって、「何を意図してるかは全然わからないけど、きっと何か理由があるはず!」というので受容できる人と、たぶんこういうことなんだろうなぁという何かしらの理由が見つかってようやく受容できるパターンとがあるように思います。

三日月への好感度(もしくは演じる役者に対しての好感度)が高いと、何も見当がつかなくても、「きっと何か理由があるはず!」で受容できるんですよね。仲の良い友人がひどいことをしていたら、きっと理由があるはずなんだと思えるのと同じ。

この解釈もある意味、見たまま解釈に近いので、比較的スムーズに受容できるパターン。ネットにあがっている感想記事や私のTLでの反応を見ていても、三日月推し(or演じてる役者さん推し)の人ほどスムーズに受容している印象だったのはそういうことだろうなと思います。


最後は「わからないけど、きっと何か理由があるんだ!」では受容できない場合。私は三日月に対しての好感度がそこまで高くなかったので、理由なしでの受容は難しく、どう解釈するかで苦労しました。

ぼんやりと方向性の説明はあっても、細かい説明はない=丸投げなので解釈は人それぞれ。「まぁたぶんこういう理由じゃないかな?」と納得いく理由を各々見つけてそれに落ち着いている感じ。このパターンで落ち着いた人は、一回理屈を挟むからか、わりとフラットなテンションで感想書いてる人が多かった印象があります。


以下は、私の場合の話。

「未来を守りたい」というセリフがあるのと、悲伝が三日月の行動を肯定していることから、作り手側がどう受け取ってほしいかというのはわりと早くからわかってたんですけど、わかるがゆえに、一切説明がないことに観客への甘えを感じてしまって気持ち悪くて。「説明や描写はしないけど、こう受け取ってね☆」っていうメッセージだけがばりばりに伝わってくるのが受け入れがたくて、ううーんってなってました。

じゃあもう捨てればいいじゃん?って思うかもしれないんですが(実際言われた)、まだシリーズが続き、推しが出る以上、「凡庸な作品」ぐらいには昇格させておかないとしんどいので、がんばりました。記事あげつつ考えてきて、「こう解釈すれば一応筋は通るな」っていうのを見つけて、ひとまず落ち着いて。

この時に心底ほっとしましたね。これで三日月を嫌いにならないで済むなと思って。三日月自体には思い入れないんですけど(好きな人ごめん)、推しが演じるキャラが慕うキャラなので、この点に関しては末満さんがどう描きたいかに関係なく、三日月は賢いキャラであってほしいし、本丸のメンバを愛していてほしいなと思っていたので…。

その後で、「三日月の行動は慈愛に基づくものである」というのが演出で示されていることに気づいた時に、本当にこの苦闘が終わったというか、報われたような気がしました。

個人的には、穴埋めを見る側に丸投げしている時点で作品として評価はできないな~という感じですが(示した上で解釈を見る側に任せるのは別)、諦めないでよかったなと思います。

悲伝の気になる点について、あらためて考えてみる

悲伝で考え続けたおかげで、「ここおかしくない?」という点に以前より気がつくようになったんですが、それでわかったのが、大抵の物語ってどこかしらおかしい点があるものなんですよね。もしかしたら、100点満点、一切のつっこみどころがない物語というのもあるのかもしれないけど、普通はどこかに、あれ?ここおかしくないか?という点はある。

ただ、おもしろいと感じられる、良さがわかる話の場合は気にならないんですよね。そもそもその点に目がいかない場合もあるし、気がついても、よくよく考えてみるとおかしいんだけど、納得感はあるんだよなということになったり、スルーできたりする。

逆に考えると、欠点に目がいってしまう時点で「悲伝がおもしろいと感じられない」ということなので、それらの欠点を解釈によって解消しても、悲伝がおもしろいと感じられるようになる訳ではない。

ので、まぁあんまり意味はないんですけど、独自解釈もりもりな人にだいぶひっぱられてたこともあり、今あらためて考え直したらどうなるのかなぁという興味もあって、あらためて悲伝の気になる点について問い直してみようと思います。

こうも考えられるな~これもありだな~みたいに考えてみるつもりです。ストーリーを順に追って考えるのではなく、私が気になるところを考える感じなので、本当にただのメモになります(笑) 暇つぶしにしてくださいw


演出家の末満さんがどう意図していたかに近付こうとするよりは、作品そのものを見て、どう読み取れるか? どういう解釈の可能性があるか? を考えるのがメインです。末満さんがこういう脚本・演出の時はこういう意図なのが定番!みたいなのは、触れる場合もありますが、基本的には脇に置いて考えるつもりです。


三日月はなぜ光忠を止めるために、腹部を刺す、という一番過激な策を取ったのか

メタ的な観点からいうと答え出てて、「ここで山姥切が動揺しないと話が進まないから」なんですけど、まぁそれはひとまず置いて考えます(笑)。

仮説1:刀剣男士にとって、刺すことの重みが人間とは違う

人間が刺すってなったら殺す気だけど、彼らにとっては殴った程度なのではないか?という解釈。

聞いた時はなるほど、と思ったんですけど、山姥切はともかく、他の刀剣男士もめちゃくちゃ動揺してるのが変だし、義伝で小夜が刺された時の刀剣男士たちの反応を考えると、これはちょっと厳しいように思います。

刺されても死なないのがわかっている分、人間とは行為の重みは違うと思いますが、その後動けなくなることや義伝で小夜が寝込んだこと(と、悲伝の光忠もすぐ治った訳ではなかったよね…?) を考えると刺された場合のダメージそのものはあまり変わらないように見えるし、彼らの動揺具合から考えると、やはり「刺す」ということは「殴る」などとは行為の重みは違うように思える。

仮説2:そこまでしないと光忠が止まらないことを直感したから

実力差がめちゃくちゃある以上、他にも止めようはあるよなぁとは思うんですが、まぁ光忠がそうだって言ってるから、悲伝的に正解はこれなのかなぁという感じですね。


あ、他の方法に比べての刺した場合の利点、書いてて気づいた。刺したら一発で動きを止められること。時間をかけられない場合はこの方法しかないですね。一瞬でどうにかしようと思ったら、頭部を殴って脳震盪を起こさせるとか、腹部を殴って気絶させるとかになると思うので、行為の凶暴度合いが刺した場合とあんまり変わらなくなってくる。

とはいえ、まがりなりにも自分を刺した相手について、何か感じたものがあるとはいえ、「三日月さんは悪くない」って言える光忠、本当にいいやつだな…。

三日月はなぜ言えないことすら言わないのか?

三日月の設定として自分のことは言わないというのがあるからかな~とは思うんですが、それで他のメンバを苦しめてるのがわかってるのに何も言わないのはさすがにおかしくない?というのが当初ひっかかったところでした。

TRUMPシリーズ見てて思ったんですが、たぶん末満さん、「大事なことを言えない・言わない」シチュエーションが大好きなんですよね。「TRUMP」とか2時間ちょっとしかないのに、10回ぐらいそういうシチュエーションが出てくる。ちょうど言おうと思った瞬間に別の人が登場したり、緊急事態が発生してそれどころではなくなったり、心理的にためらってたら別の人が登場したり、緊急事態が(以下略)…という感じ。

映画「刀剣乱舞」の方では、三日月が一人で抱え込んで言わないという設定自体は踏襲しつつも、「言えない・言わない」シーン自体がそこまで頻出しないことを考えても、悲伝が「言えない・言わない」ことを味わうシーンが多いのはキャラや物語の必要性からというよりは、末満さんの好みの部分が大きいんだろうなぁと思います。

前に見かけてなるほどと思った解釈で、「他のメンバに理由を言うと巻き込んでしまうから言えないんじゃないか」というのがあったんですが、その派生で、「言えないこと自体も下手に言うとそこから何かがバレてしまうかもしれないから、ひたすら黙秘している」という解釈なら、一応理屈は通るかな~と思いました。ただ、そこまでのレベルで隠さないと駄目なんだったら、明らかにこれまでと様子が違う時点でアウトでは??と思わなくもない。

導くような振る舞いをしていたのはそう望まれたから?

これに関しては悲伝そのものの気になる点というよりは、聞いた解釈でこれちょっと違うんじゃないかと思った点になります。

三日月が悲伝の第一幕まで、導くような振る舞いをしていたのは、自分がそうしたかったからではなく、みんなにそうあってほしいと望まれたから、という解釈をしてる人がいて、興味深い解釈だなと思ったんですが、根拠としていたのが「美しいと思う心が物に宿る」という虚伝のセリフで、振り返って考えた時に、ちょっと違うのではないか?と思ったので、私はどう解釈しているかのメモ。

"自分がそうしたかったからではなく、みんなにそうあってほしいと望まれたから" そう振る舞っていたというのは、その人の"本質"と"見える(見せていた)姿"が異なるということを示しているんだと思うんですが、「物に宿る」というのはコーティングのようにその表面に乗るんじゃなくて、本質にプラスされるということだと思うんですよね。なので、"みんなにそうあってほしいと望まれたから" 導くような振る舞いになっていたんだとしたら、それは表面上そう振る舞っていた訳じゃなくて、三日月の性質に ”導くような性質" が生まれたからなんじゃないかなと。

書いてて気づいたけど、私はそもそも他のメンバーがそういうことを望んでいたとはあんまり思ってないですね(笑)。山姥切は望んでたかもしれないけど、他のメンバーは各々違うことを望んでたんじゃないかなぁという気がする(特に望むことはないっていう男士もいるだろうし)。

「美しいと思う心が物に宿る」って聞いた時は興味深い考え方だなぐらいにしか思わなかったけど、見る側が思ったことが本人の性質に追加されるの、思われた内容によってはなかなかにこわいですね。




振り返ると、気になるのって、三日月の行動がおかしくないか?という点で、三日月はこういう行動を取る人物なんだって受け入れてしまえばそれで終了する話なんですけど、推しが演じてるキャラが慕う人物が愚かな行動を取ってるっていうのが、嫌なんですよね、私は。

もしかしたら末満さんの意図としては「三日月は混乱して愚かな行動を取ってる」として受け取ってほしいのかもしれないし、「実は三日月はこういう人物だったんだ」として受け取ってほしいのかもしれない。その場合は私の解釈は間違っているということになるんですが、たとえ間違いでも、やっぱり私は三日月は賢い人であってほしいし、本丸のメンバーを愛していてほしいなと思います。

「クロードと一緒に」 Blanc ver./Cyan ver. 感想

Blanc バージョンと Cyan バージョンを見たのでその感想です。

公式サイト
Being at home with Claude -クロードと一緒に-
公演は4/28(日)まで。

Blanc (松田凌主演) 感想

劇場は横浜赤レンガ倉庫3Fのホール。駅からちょっと歩くんですけど、周辺の雰囲気がいかにも港町という感じで異国情緒があってよかった。

作りがよくある劇場と違っていて、入り口どこだ??と戸惑った。チケットもぎりのところから、薄暗い廊下を抜けて、劇場前ロビーまで移動。廊下が本当に暗くて、何があるわけでもないのにどきどきしました。

中の座席配置も不思議な感じ。囲み舞台、かつ斜め。

あらすじに関しては公式サイトの通りです。まぁでもそうであることはあんまり意味がないような気もする。

題材が題材なので後味悪い感じなのかなと思ってたらそうでもなかった。前半は(これどこに行き着くんだ…?)と感じてしんどかったんですが、後半の独白シーンが圧巻でした。


芝居は青年イーブ(松田凌)に対する取り調べの場面からスタート。

何度もいったりきたりする質問、青年の回答ものらりくらりとしていて、途中からまともに意味を追いかけるのを諦めてしまって、感情のやりとりだけ眺めてたんですが、感想を読んでるとみなさんわりとまともに追いかけていてすごい。

あの部分あんなに必要だったのか…?とも思うんだけど、あれだけ長いからその後が映えるのかもしれない。刑事さんがセリフちょこちょこ噛んだり一瞬思い出すような間が空いたりしてたのがちょっともったいなかった。

私が意味を追いかけるのを諦めてしまったのもあってか、この部分はちょっと退屈だった。ただ、舞台上をけだるげに、時にはいらだたしげに、うろうろと歩く松田凌を見ているのは飽きなかった。

そして後半、暗転からの、イーブが一人、舞台の真ん中に顔を伏せて体育座りした状態から独白シーンがスタート。最初、何をするでもなく、ただ座ってるだけでしばらく時間がたつんだけど、何もしていないのに見ていて飽きなくて、不思議な時間だった。ただ、しん…と静かに、イーブを見つめる客席。

理解できるとも思えない、理解してほしいとも思わない、ということを言いながら、語るイーブ。

独白シーンはとても長いのですべてをちゃんと覚えているわけではないんだけれど、クロードがいかに愛してくれたかを語るイーブの様子から、クロードのイーブへの愛情と、イーブがどれだけクロードを愛していたかが伝わってくるような感じがして、胸があたたかくなると同時に、ぎゅっとなって涙が出た。

彼のしたことは理屈ではまったく意味がわからない。けど感覚的にはわかる。という不思議な感じだった。あらためて考えてもなぜ殺したのかは全然わからない。ただ、その時のことを語るイーブの様子を思い出すと心が揺さぶられる。こちらは役者の説得を受け入れればいいだけだけど、演じる側はどう落とし込んでいるのだろう。

このシーン、舞台上にいるのは彼一人だし、誰に向かって語りかけているのかわからなかったんだけど、もともとは刑事に向かって語る場面だったのが一人での語りになったらしい。セリフの内容からして刑事に言ってるようなのに、でもここには刑事いないよな??と不思議だった。

1回目見た後、リピチケを売ってるのを見ながら、彼の記憶を上書きしたくないなと思ったので、その時は買わなかったんだけど、感想検索していて Cyan バージョンは演出がけっこう異なるのを知り、Cyan バージョンを後ほど購入。

Cyan (小早川俊輔主演) 感想

1回目は途中で諦めた前半部分のやりとりがすんなりと頭に入ってきて、そうなると前半部分もがぜんおもしろかった。Cyanバージョンの方が、囲み舞台であることを活用していたような気がする。

同じ役を別の役者が演じるということで、細かい部分は違えど、核の部分はイーブという感じで、なんだか不思議な感じだった。 

後半部分は Blanc と違い、刑事に語り掛ける感じだったので、その分、Blanc ほどとがっていないというか、マイルドだったような気がした。

どちらも

見終わった後はわーっと頭の中が言葉や感情であふれているような感じで、ぐるぐる考えてしまうんだけど、しばらくするとじんわりと「好きだな…」という感情がわきあがってくる。不思議な質感の芝居だなと思う。