考える練習

舞台やイベントの感想など

10月の観劇・イベント記録

ちゃんとした記事をあげようとするから記事が完成しないのでは…?
ということで、数行ずつ感想書きつつ、振り返っていこうと思います。
下書き状態でちびちび書いてるうちにもう11月も終わってしまったけど気にしない!

10/10-12, 21 音楽朗読劇「ヘブンズレコード ~青空編~」
hirokuhukaku.hatenablog.com
震災を題材にしたヘビーな話に対してこういう書き方は語弊があるかもしれないけど、期間中めちゃめちゃ楽しかった。

初日は話の重さにやられてしまい、見終わった後すぐに電車乗る気になれず、ぼんやりと一駅歩いてから電車に乗って、帰ってからも、「うぅ…重い…」ってうめいてるような感じだったんですけど、2日目からは単に重いだけじゃなく、いろんな感情を受け取れるようになった感じですごく楽しかったです。結局荒牧さん回を4回、前山さん回を1回見ました。

いろんな人の関西弁聴き比べも楽しかったな~。初回のぱっと聞きは自然に聞こえた人も2回目仔細に聞いてみるとネイティブとは違う感じがあったりして、方言というのは単にアクセントやイントネーションだけではなくて、細かい上がり下がりの違いだったり、子音の発音の強弱だったりによって構成されてるんだな~とかわかって興味深かった(言語フェチなところがあるので)。

筆不精の私としては珍しく毎公演手紙を書いていて、本当に好きだったんだなぁと振り返って思うんだけど、この作品はスタオベしたい…!と思ってたら千秋楽スタオベする流れになって、めちゃくちゃ嬉しかった。立ちたいなって思いながらも立つ勇気が出ず不発…というのが続いていたので、スタオベしたいと思ってそれができるのってこんなに満ち足りた気持ちになるんだなぁと実感し、あらためて、この作品に出てくれてありがとう荒牧さん…!ってなった。

10/13 声の優れた俳優によるドラマリーディング Vol.7「三つの愛と、殺人―芥川 太宰 安吾
公式サイト:
www.koesugu.com

久しぶりの声優さん現場。
元々声オタだった時はあまり朗読劇好きじゃなかったんですが(その時間があるならCDにしてほしいなと思ってた)、俳優オタやるようになってから、朗読劇って面白いな~と思うようになり、今見たらどうなるんだろう?と思ってチケット取って行ってきました。

めちゃくちゃ楽しかった…!その場で消えてしまうことが以前はただもったいないとしか認識できなかったんですが、一回限りの貴重さとして感じられるようになってて、感性ってこんなに変わるんだなぁっていうのもおもしろかったし、俳優さんの朗読劇はなんだかんだでけっこう動きがついてることが多いんですが、多少動きの変化はあるとはいえ、基本は椅子に座ったまま、純粋に「朗読」という感じがすごく新鮮でした。あと、声の表情はやっぱり声優さんの方が豊かというかきめ細かい感じがしますね。

斉藤壮馬くんと花江夏樹くんが出てた回に行ってきたんですが、お芝居そのものも、演技の魅力を存分に味わえる感じでとても贅沢な時間を過ごしました。花江くんの多襄丸は色っぽすぎて、こんなの絶対好きになっちゃうじゃん…って感じだったし、メインの話の間に、別作品の数行の朗読が挟まるんですが、その数行のセリフだけで、人物の姿が立ち上ってくる感じがあって、声優さんってすごいな…って畏敬の念をいだきました。

声優さんの現場が本当に久しぶりで謎にアウェイ感を感じて緊張したりしたんですが(笑)、行ってよかった。


10/14 高崎翔太くんバースデーイベント
前回確か4~500キャパだったと思うのですが、いきなりのらんらんホール(キャパ1000)。
でもおおかた埋まってましたね。

事前発表ありのシークレットMC*1富田翔さんによる MCで、いや~笑った。若手俳優のイベントって推してない人にとっては特段おもしろくないことが多いと思うのですが、翔太くんのに関しては推してなくてもおもしろいのではないかなという印象。まぁでも私もたいがいトキに関して親近感持ってしまってるから実際どうなのかは不明(笑)。

1部2部ともに、本来の衣装と違う服で出てきて「こんな衣装でイベントやるのいやだ!俺は出ない!」って一度ひっこんでなだめられて出てくるっていう茶番があり(茶番いうな)、そのなだめられてるところは"LIVE"というていで映像が流れるんですが、2部でゴミ箱の蓋から顔覗かせてて、さすがに蓋持ってるだけだよね?と思ったら本当にゴミ箱の中に入ってて、めちゃくちゃ受けてしまった。すっぽりゴミ箱におさまった翔太くんかわいかったな~。御年30歳。
あまりにぴったりサイズで一人で出られなくて、翔さんに助けてもらいつつなんとか出てたけど、出た後、翔さんが横に置かれてたゴミ袋をゴミ箱に戻しててさ…リアルに使ってるやつに入ってたことにまた笑ってしまった。笑いに対する本気度がすごい。


10/18,19 リボルバー

知ってる役者さんたちがいっぱい&話おもしろそうってことで見に行ったんですが、期待通りおもしろかった~!原作なしの作品なんですが、すごく2.5作品ぽいというか、原作漫画がありそうな感じの話運びで、不思議な感じでした。

過去一緒だったメンバと再会したことで物語が動き出す…という感じで、過去と現在が交錯する演出が楽しかった…。今に過去がオーバーラップする演出はぐっときてしまう。

見に行ったのは初日と2日目なんですが、二日目めちゃくちゃアドリブ増えてて、しかも入れ方が自由で、さすが慣れてる人ばっかなだけあるわ~って感じだった(笑)

なんだろうな…書きたいことはあるんだけど、感想が難しい。


10/20,22,27 ハイステ東京公演
烏野卒業公演が…始まってしまった…。
2.5にハマるきっかけになった作品であり、俳優沼に堕ちるきっかけになった作品でもあるので感慨深いものがあります。初演時のメンバーはけっこうキャス変してしまってるんだけど、ずっと変わらないキャストもいて、彼らがハイステに出ることはもうこの公演が最後なんだなと思うと…うう。

変な話なんだけど、猪野くんがもうキャス変してしまっていて関係ないことがちょっと悲しいと同時に、キャス変してくれていてよかったなぁという気もしています。ずっと継続して出ていて、この公演を迎えていたら、最後もう会えない寂しさでめちゃくちゃ泣いてしまうんじゃないかなという気がするので…。実際初演時の千秋楽、その時は続くかどうかがわからなかったから、カテコ挨拶を聞きながら「もう彼らには会えないんだ」と思ってライビュ会場で泣きそうになっていたのを覚えています。

ハイステとして目指す形態が公演ごとにクリアになってきているような印象があって、だいぶ洗練されてきたなぁと思う。各校の特色を取り入れたダンスが好きなんだけど、白鳥沢のもいいよね…。「強い」ということを前面に出したダンス良い。


10/28 シュウカツ3 完成披露試写会

久しぶりの映像作品!
オムニバス形式の短編3本のうち1本に荒牧さんが出演しているのですが、推しの演技がめちゃくちゃよかった…!無邪気にゲスなこと言ってたり、突き放すような言い方したりしてるのが新鮮で…、「あ~~今の表情と言い方!たまらん!」みたいに内心で悶えまくってました。3部まわしだったので、3回見たのですが、もうまじで最高だった。また12月にも上映会あるので楽しみ。

あと男性の就活スタイルでは「耳は出す」のがマナーなのかな?普段は髪に隠れてて見えない耳まわりがよく見えるスタイルにセットされてたんですが、耳が見えるのが不思議な感じで謎にテンションあがりました。耳元の斜め後ろからのアップになるとことかあって(メインは向かいの俳優さんの表情)、「貴重な耳元…!」ってすごいどきどきしてたんですけど、そこにテンションあがるのが自分でおもしろかった。


最後、変態な感想での締めになってしまった…(笑)

*1:シークレットしてない

あらためて円盤で見直してみて

どうも~!悲伝大好きな人たちとは別の意味で円環から抜け出せていないゆいで~す!円盤が届いたので、悲伝をあらためて見てみたらある意味おもしろかったよという話です。お察しの通り、称賛はほぼしていないので、悲伝が好きな方はお気をつけください。

この解釈なら和解できるかもしれない、というのを見つけたのと、結局話がわかった状態で見たことって一回もないんだよなぁ…というのがあって、悲伝本編を見直してみました。余談ですけど、話がわかってるっていう安心感ってすごいですね。悲伝はながらくわからない状態のまま、毎回不安を抱えながら見ていたので、落ち着いた気持ちで見られたのがとても不思議な感じでした。

TRUMPを円盤で見た時のように「心は動かされないけど話はおもしろい」という状態になったりしないかな~という期待もあったのですが、まぁ結論からいうとなりませんでした(笑)。一幕はおもしろいんですけどね~。二幕がやっぱりしんどい。状況がループしだすのが見てて飽きてくるというか…。起承転結でいうと、転転転!みたいな感じなので、結果的に承が延々続いてるような感覚に陥ってくるんですよね。まぁあとやっぱり心が動かされないからつまんないのかな。好きな人たちって基本的に「泣いた~」って感じですもんね。別に涙は出ないけど悲伝大好き!って人まず見ない気がする。

円盤見てて興味深かったのが、音楽も照明もいいし、殺陣すごいし、各キャストのお芝居もいいんですよ。でもメインの話が、、っていう。もしかしたら○○が駄目だから微妙に見えてるのかもな~じゃなくて、他の要素は全部いいのに、お話がささらないのだ……うん…っていう。どんだけ話があわないんだ!?と思っておかしかったですね。ここまで明確に「ただただ、話が好みにあわないんだ」ってなる作品、なかなかなくない?

ただ、普段そこまで回数見ることないし、あんまり考えないタイプだったんですが、今回は分解して分析して、考え倒してからあらためて見たことにより(「考え尽くした」といえるほど深い分析ができたわけではないので、「考え倒した」)、細かい点まで見えるようになってる感じがあったのはおもしろかったです。現代文の授業で精読した文章をまた趣味で読み直した時の感覚に近い。

登場人物の感情の動きがまるで見えるかのように理解できて、このシーンもそういえばいまいち理解できてなかったなと思い出すと同時に、何が駄目でわからなかったのかが理解できるシーンがあったり、新たに見えるものが増えたことによるおもしろさがあって。今回見直してみて、末満さんの作品はやっぱり私の普段の鑑賞方法ではあわないんだなぁというのがすごくよくわかったんですけど(笑)、話がいまいちだなぁと感じる場合でも今回できたような、細かい見方によって感じられる面白さは味わえるんだとしたら、普段の鑑賞方法で楽しめる舞台でこの鑑賞方法もあわせて使えば、より楽しめるんじゃないか?っていう発見があって。芝居の鑑賞方法がマンネリ化してきてるような感覚があったので、新たな視点を投入できそうでちょっとわくわくしています。

悲伝の後遺症というか、副産物というか、現状すでに考える癖がついてしまってるんですよね。考える余地のある作品見ると、考える脳みたいなのがぐわーっと回転してしまう感じがあって、楽しいんだけど、非常に疲れるという…(笑)。「なぜここでこのキャラはこういう行動を?」「こういうことではないか?」「この時、この人はこういう行動を取った」「その時この人は」…みたいな思考がぐるぐる廻る感じ。

そういえばようやく悲伝と和解できたので、バクステも見まして。例の「答え」についてのくだりを見て、(うーん、そういうので興味を持続させようとするのはあんまり上品じゃないなぁ…)とちょっともやっとしたんですが、もう考える癖がついてしまっているので、どういうことだろうな~って考えるモードがまわってしまい、、二人の発言について考えながら作品振り返ってたら、「あ、このことか?」というのに思いあたりまして。しかし問いが提示されてないからあってるのかまったくわからん…ってなって気づいたんですが、問いの提示がない以上、どんな答えも答えたりうるんですよね。(もちろん答え同士を見比べれば、可能性が高い低いは発生するとは思うんですけど) なぜ問いを提示しないんだろう?って思ってたんですが、なるほどそれでか…!と。

私が思い至った「答え」が言及されてた「答え」かはわからないし、思い至った解釈があってるのかもわからないんですが、もし解釈があってるなら妙だなと思ってたことが腑に落ちるし、周辺のピースもすごく綺麗にはまるなっていうのと、その可能性にいままで思い至ってなくて、答えがあるよってほのめかされて考えて初めて気づいたので、うまいことできてるなぁ~ってちょっと感動しました。この解釈であってるんだとしたら確かに演劇的だし、仕掛けとしてめちゃくちゃおもしろいなと思います。まぁあってるかわかんないんですけど(笑)

あと思いついた解釈、悲伝内では綺麗にはまるけど、この解釈取るとニコ生での推しの発言とちょっと噛み合わないところがあるような気もするので、どうなんだろうなぁ…というのが懸念。なのでどういう解釈を思いついたかはひとまず伏せておきます。

悲伝がわからなかった理由がわかった話

悲伝のわからなさとの戦いがようやく終わってほっとしているという自己満足記事です。

結局、なぜわからなかったのかがわからなければ、また一からあの五里霧中を進むようなしんどさを味わうことになる可能性があるんだよな…というのが残った不安で、これに関しては年単位の時間がかかるかもしれない、と思っていたので、思ったより早く解消できてよかった…。

(「なぜわからなかったのか」を理屈で理解することは困難で、いろいろな芝居を観続けることにより、悲伝のわからなさはレアケースなんだなというのを実感としてつみあげて不安を解消していくしかないんだろうと思っていた)

結局の所、同じ状態になったことがある人にしか伝わらないのではないかという気はするのだけど、順に書いてみようと思う。


◇◇◇


また悲伝のような作品が来た時のための具体的な対策として、「2,3回見てわからなかったら自力での理解を諦めて、人にがんがん聞くこと」と決めたはいいものの、要するにわからなかったら諦めるということしか決められていないわけで、もうちょっと何かないのだろうか?というのと、わからなさに慣れるために、評価が割れている作品や難しいという感想が散見されるような作品を意識的に見に行くようにしていた。

わからなさが心地良い作品、どのようにも解釈できる幻想的な作品、細かくわからないところはいろいろあるもの気にならない作品、わからなさの種類も度合いも様々な作品を見た。どれも素敵な作品でとても楽しかったし、見に行ってよかったなぁと思う。

どの作品も、「いくつかわからない点があるが気にならない」もしくは「こことここがわからないという明確な手触りがある」のどちらかで、悲伝のように「全体がわからない」という感触になるものがなく、あらためて、悲伝のわからなさはとても異質なものだったのだなという認識を深めていた。

そうして見に行った作品の中に、「みどり色の水泡にキス」という作品があった。(以下、みどり色と略します)


※注意※
以下、「みどり色の水泡にキス」のネタバレを含みます。
また、この記事には、悲伝の三日月の行動に関して批判的な記述が含まれています。



あらすじと、感想の割れ具合を聞いて、気になって見に行った。

あらすじ

小学5年生の頃、マコトは妹のミドリに恋をした。
それが正しい恋ではない事をマコトはとても理解していた。


そんなある日、マコトの祖父が死んだ。落ち込むミドリの前で母は言う。
『おじいちゃんは生まれ変わって、きっとまた会いに来てくれる』
それを聞いていたマコトは“輪廻”という言葉を知る。
マコトはミドリを殺す事にした。
ミドリが生まれ変わる事で、血の繋がっていない“他人のミドリ”に会えると考えたのだ。
マコトは眠っているミドリの顔に枕を押し付け、そのまま殺した。
母はこの日から頭のネジが何本か無くなった。


それから6年が経ち、高校2年生になったマコトの前に、臨時で赴任してきた教師が現れる。
ミドリだった。どこからどう見てもミドリだった。
だいぶ大人になったけど、見た目も、声も、名前も。
マコトは再びミドリに恋をする。
マコトはミドリの長い髪が好きだった。
下がった眉毛も、他の子より華奢な体も、やわらかい声も、口調も、何もかもを愛していた。
しかし、教師のミドリは交通事故で死んだ。
蛇口をひねったように涙をこぼすマコトだったが、幼馴染のハルヤマのおかげで、なんとか立ち直る。


そしてまた6年が経ち、印刷会社に就職したマコトは、同じ新入社員の中に再びミドリを見つけた。
かつて妹だったミドリが、教師だったミドリが、同じ年齢になって帰ってきたのだ。
『輪廻なんやろかコレ・・・』


マコトはミドリに恋をして、必ず失う。
けれど6年経つとミドリは蘇る、何度も・・・。


これは70年間の初恋の話。


感想はなるほど賛否両論。
そして、否定的な感想で、殺人をおかすというのが無理、だったり、それを美しく描かれてるのが無理、みたいな意見があった。


実際に見てみての感想は「気にならない」だった。とても幻想的で素敵な作品だと私は思った。殺人が気にならない理由はあげようと思えばあげられるけど、それは後付けでしかなくて、どちらかというと感覚的なものなんじゃないかなという気がした。

それで、感想を見ていると、「せっかくいい役者さんたちで、いい演技をしているのに、殺人を犯してまでというところで共感できない。残念だ」といったような感想があった。

私の悲伝に対する感想と同じだ、と気がついた。せっかくいい役者さん揃えて、みんないい演技してるのに、話がぼんやりしていて、全然よさがわからない。なんてもったいない。と思っていた。

その時はシンプルに作品が微妙であり、単にあわないだけではないのだろうと思っていた。だからこそ、そういう感想になったんだけど、この人達もたぶんそうなんじゃないか、という気がした。単にあわなかっただけとは思っていない。作品自体が駄目なんだと感じている。

みどり色、私は良い作品だと思うんですよね。おそらく単にあわなかっただけだと思うんだけど、その人達にはそうは思えない。

この意見の割れ具合を見てて思ったのが、どんな舞台にも長所と短所があると思うんだけど、その舞台の魅力に対してまったく感応できない場合、短所だけがみえる状態になるんじゃないか?と。

私にもあわない舞台の経験はあって、その時は「これは私には合わないだけだな」という感覚があったから、鍵垢で not for me ってひっそりと書くだけにとどめた。作品自体が悪いわけではないと感じたから。

悲伝でそうしなかったのは、これは単にあわないのとは違うと感じたから。その人達もおそらくそうなんじゃないだろうか。単にあわないだけで作品自体が駄目なわけではないと感じた時に、あのトーンで感想は書かない。

正直、悲伝に関して、単にあわないという訳ではないんじゃないか?という疑念はまだ捨てきれていないんだけど、意見が割れる作品に関して、よさがわからない側とわかる側、両方経験したことで、そうは見えないけど実際そうな場合があるのかもなぁと思えるようになった。


ではこの場合、ひっかかっているポイントは何なのかと考えた場合に、倫理観の問題なんじゃないだろうか。2つの作品の共通点として、「犯罪行為(もしくはそれに近い行為)を主人公サイドの登場人物が行う」「その行為を行った理由が明確に説明されない」というのがあるんだけど、そうなると、説明がなくてもその行為を感覚的に許容できるかというのがまず第一関門になってしまうんではないかなと。

そして、みどり色の殺人行為にひっかかった人はそこが許せなかった。私の場合はそこは大丈夫だったんだけど、悲伝で、三日月のしたことが許せなかったんですよね。


それで、悲伝がわからなかった理由なんですが、私にとってはひどい行為としか映らない行為が「美しいこと」「素晴らしいこと」のように描写されているのが理解できなくて、「よくわからない」となっていたんだなと。すとん、と腹落ちしました。

なんていうか、かっこわるいし、美しくない、と私は感じるんですよね。だから、「すごくかっこわるいけど、でもそういうふうにしか振る舞えない時もあるよね」って描写ならたぶん大丈夫だったんだけど、「美しい」っていうていで描写がきたから、「受け取ったものとメッセージに齟齬がある。何か見落としてるのだろうか?」ってなってハマってしまったんだなと。

ここに気づいた時に、あぁそっか、ってすとんと落ちると同時に、ようやく「また悲伝のような作品が来たらどうしよう」という恐怖から本当に逃れられた気がしました。これまでできてたのって、ただただ、「またわからない作品が来たら自力理解にこだわるのを早めに諦めよう」っていう覚悟だけでしたからね。これだけ分解しても悲伝が結局なんだったのかよくわからないということは、また似たようなのが来た場合、おそらく私は理解できないだろうけど、もうそれはしょうがないと腹をくくって見に行こうという。

それが、わからない場合はまずそういう部分から疑えばいいんだという指針ができたことでようやくちゃんとした道ができたなと感じました。

「よくわからない」となった場合は、自分が受けた印象を整理し、それに対して、作中ではどのように描写されてるかを考える。まぁでも結局、そこに齟齬がある場合は、あわない作品である可能性が高い訳で、そう考えると「わからない」から「あわない」になるだけとも言えるんですけど…。

でも「わからなかった」せいで、延々考えるはめになり、非常にしんどかったことを考えると、少なくとも「理解はできてる」と感じられる状態には持っていける可能性が高まったのを言祝ぎたい。



それから、悲伝自体をようやくちゃんと評価できるようになった気がしています。これまでずっと、「わからない」でしかなかったので…。要は三日月の行動が許容できないだけで、悲伝自体は好きなんですよね。

これまでにも倫理観上、受け付けないってなったキャラがいて、ロスモワの伏見仁希なんですが、あまりにも無理だったので円盤を買っていません。作品自体は好きなんですけど、これは円盤買ったところで見られないなと思って…。

たぶん悲伝も同じなんですよね。ただ、仁希はサブ要素というか、主筋に絡むけどメインではないですが、悲伝では三日月、思いっきり主筋なので、わかったところでどうしようもない感じはあります。悲伝から三日月要素を除いて思いをはせるとなると、各エピソードをばらばらに考えるしかなくなってしまう…。もうあとは私の価値観が変わるのを期待するしかない。

推しの関西弁がかわいい - 音楽朗読劇「ヘブンズ・レコード」感想 (ネタバレなし)

初日おめでとうございます!
……って書き始めてたのに例によって例のごとく、東京公演が終わってしまいました…()。
ツイートではちょこちょこ感想書いて、宣伝に貢献できたかなと思ってるからいいんだ…ということにしておきます。

まだ神戸公演があるのと、お時間ある方は見に行ってほしいなぁ~と思うので、ひとまずはネタバレなし感想を。

21日まで神戸新聞松方ホールで上演してます。
公式サイト:
www.miraiheikiru.jp

あらすじ

阪神・淡路大震災から5年たった神戸が舞台。建物などのハード面は復興し、見た目は街としての姿を取り戻したけれど、人の心はどうなんだろうか…?というお話です。レコード店に訪れた人たちの話を聞く、というていで3組分のお話が出てくるんですが、単純に震災モノだからというだけではなく、話の内容がわりとヘビーなので、震災含めた災害で甚大な被害を受けた経験のある人、知り合いを亡くしたりした人はちょっと注意した方がいいかもしれないです。あ、これあらすじになってないや(笑)。

全体の感想

稽古場の雰囲気もよさそうだし、センセーショナルな演出?ということで楽しみにしてたんですが、けっこう好みな感じでした。

ただ、思ったよりヘビーで、1回目は、見た後、何かずしーんと心にたまっているような重たい感じになって、あと何回か見に行くのに大丈夫かな…という気持ちになりました。けど、その後、2日目マチソワした後、何かあったかいものを受け取ったような気持ちになっていて、そういう風に印象が変わることってあるんだなぁと思って興味深かったです。表面的な出来事の衝撃を受け止めるのに1回目は精一杯だったのが、いったんそこを受け止めて消化したことで、2回目はその奥の感情を受け取れるようになったのかなぁと思っています。

私自身の震災体験

阪神・淡路大震災当時、大阪に住んでいたんですが、まだ小さかったながらも、まわりの大人が大変そうだったことと、とにかく不安だったことを覚えています。ただ、住んでいた地域はそこまで被害が深刻ではなく、知り合いで亡くなった方もいなかったので、今回の朗読劇を見て、初めてそのあたりにまともに思いを馳せたような気がします。

東日本大震災も住んでた地域はそこまでではなかったんですよね。電車が止まったので7km強歩いて自宅まで帰って、帰ったら一帯は停電してるわ、お店からは弁当ご飯類が軒並みなくなってて、仕方なくお菓子買って帰ったりとか、大変ではあったけど、翌週にはほぼいつも通りになって、いつも通りに会社に出勤しながら、あまりにも早く元の生活に戻ったことについていけなくて、化かされているような不思議な気持ちになったのを覚えています。

荒牧さん回と前山さん回

荒牧さんと前山さんとで比較すると、関西弁は前山さんの方が自然ですね。まぁこれはしょうがない。ただ、1話~3話の登場人物の関西弁に関していうと、荒牧さん回の方が関西出身者がいるのもあって聞きやすいかな。
キャラ造形に関してはどっちにも良さがあるので、どちらがいいというのはないかな~。1話は前山さん回の方が村田洋二郎さんのお芝居がとても深みがあって好きなのですが、2話3話は荒牧さん回の方が好き。あと荒牧さんの方がわんこみがあって、前山さんの方がどことなくノーブルな感じがしました。どちらも見るのが違いがわかって楽しいので、余裕があるなら両方見るのをオススメしますw

初日に荒牧さん回を見て、2日目に荒牧→前山とマチソワしたんですが、荒牧さんの回、やっぱり関西弁は難しいよね…って思いながら聞いていたので、前山さんの回聞いた時はさすがに関西弁が自然で聞きやすいなぁってなりました。ただ、荒牧さんの「関西弁でござい!」って感じの、ちょっと強調したようなしゃべりがなんか懐かしいような、物足りないような感じになったのが自分でおかしかったです(笑) 3日目にもう一度荒牧さん回見て、「あ~これこれ!」ってなった。

2015年版「TRUMP -reverse- 」感想

円盤見てみての感想でございます。
普通にネタバレありの感想なので、これから見る予定の方は注意。
ただ、見た人しかわからない感想となっています(笑)

フォロワさんと観劇予定がかぶった時に、「ちょうどさっき返してもらったんだけど、よかったら見ます?」と言われて、「あ、じゃあ借ります~」とお借りしました(笑)

TRUMPは何回も再演されていて、いろいろバージョンがあるようなんですが、2015年に上演されたバージョンの reverse の方の感想です。

話自体の感想

いろいろ発見があっておもしろかったんですけど、ひとまずは話の感想を。

上演当時、一度劇場で見てるんですけど、まじで話の内容覚えてなくてびっくりしました。ヴァンパイアの話で、人との間の子がダンピールと呼ばれて疎まれていること、咬むとイニシアチブが発生すること、っていう基本設定ぐらいしか覚えてなかった。

そういえばこんなキャラいたなぁ、うんうんと思って見てたら末満さんがダリ卿で登場したのめちゃくちゃ笑ってしまったwあれずるくない?w 当時は末満さん知らなかったからキャラとしてのおかしさしかなかったんだけど、今見るといろんな相乗効果ですごくおかしい。人間椅子でハーレムみたいになってるの好き。

「アレンはもうなくなってるんだ!」で「えっ!?!?」ってめちゃくちゃ驚いたんですけど、振り返るとアレンとピエトロ、モブとしての登場以外はティーチャークラウスとしか絡んでないんですよね。アレンの名を呼びながら駆けていくクラウスを見て、ティーチャーミケランジェロが「あらまたおかしくなっちゃったわ」っていうシーン、必死すぎる点を指してるのかと思ってたら、もういなくなった人を探している点を指してたんだなと気づいて、そわぁっとしました。

クラウスが序盤からずっと「ソフィさえいなければ……」って据わった目で言う一方で、「いい匂いがする」ってやたら言ってるのが矛盾しているようで謎で、これどういう意味なんだろう?って思ってたんですが、終盤種明かしが来て、なるほど…!ってなって、うまいな~ってしみじみ感嘆してしまった。最初、クラウスはいつソフィを殺しにかかるんだろうな~って思ってたんですが、そんな単純な話じゃなかったw

実際には直接の子供じゃないから、ソフィはもう関係ないんだけど、アレンが人間をはらませてしまわなければ、おそらくあそこまで問題は大きくならなかった、という点で恨みの対象なんですよね。でも一方で、アレンの血を引く子供だから、「いい匂いがする」し、死なせたくないという思いがある。

クラウスはやることなすこと裏目に出てしまう感じがあって、せっかく再建したクランを崩壊させてしまうシーンとか本当にさぁ…。まだ人生長い(というか死ねない)し、また再建するのかなぁ、どうなんでしょうね。

悠久の時を生きる人物に、舌っ足らずなキャラが核心的なセリフを言う…ってところでめちゃくちゃ既視感を感じました…笑(因果関係が逆だけどw)。

悲伝の鵺ちゃん大好きなんだけど、アレンも超かわいいよね…。なんか見覚えあるなと思ったら陳内将さんだったのめちゃくちゃびっくりした。すごいどうでもいいことなんですが、私は養成所に一瞬行ってた時に、この手の不思議ちゃんキャラをやって「なんにもおもしろくない」ってぼこぼこに言われたことがあるんですけど(笑)、プロがやるとこうなるんだな~ってしみじみ感じました。何気ない動作から不思議な感じが漂ってるんですよね。

アレンが見ている世界はたぶんにファンタジーを含んだ世界で、「もう少しで星に手が届く」というのは、決して叶わない願いなんだけど、「クラウスはすぐ諦めちゃうんだね」っていうセリフにすごくハッとしてしまうのはなんなんだろうな…。アレンが諦めないで済むのは単に見えてないからだってわかってるのに、なにか否定できないように思うのは、諦めないこと、希望を抱き続けることを信じたいからなのかなぁとか思ったりしました。

あと細かい感想。

  • 吉田メタルさんのティーチャーグスタフがスタイルよすぎる
  • 控えめにスタオベをお願いする高杉真宙くんかわいい

心が動かない

見てて驚いたのが、全然心が動かない! 「話はおもしろい…気がする、んだけど、全然心が動かないな…?」って困惑してたんですが、今、あらためて振り返りながら上記の感想書いてて、話はおもしろいんですよ。でも、見てる時に感情がほぼ揺さぶられなくて、なんだこれ?って。

普段芝居観る見方が、私は心で登場人物の感情を受け取って、それによって揺さぶられるのを楽しむっていう感じなので、ほぼほぼ動かなくて凪みたいな状態だったので、すごい困惑しました。

まったくではないのは、アレンとクラウスの会話では、ちょっとハッとしたり心が揺さぶられたりしたからなんだけど、最後のウルとソフィのエピソードとかめちゃくちゃ悲劇的で悲しいんだけど、ウルの渾身の叫びを聞いてても、書き割りの向こうの他人の人生眺めてる感がすごく強くて、なんかこんなことってあるんだなーと。円盤だからかな?とも思うんですが、劇場で見た時に「うーん、いまいちだったな…」と思った記憶があるので、たぶん劇場で見た時も同じように心動かされずに終わったんだと思うんですよね。

当時はまだ、ハイステで初めて2.5次元舞台を見て、こういうのおもしろいなって思った直後ぐらい。それまでは、年1回ぐらい、気が向いた時にお芝居見に行くっていうスタンスだったんで、見るスキルがぺーぺーで、あらすじをあとから振り返ることができなかったので、単純に心動かされずに終わった点だけ残って、いまいちだったなってなったんだろうなぁ。そう考えるといつの間にかスキルUPしてたんだなぁという点で感慨深い。

もしかして末満さんの作品って、心情で寄り添って見るっていう見方を拒否するタイプの作品なのかな? それとも単に私との相性の問題なのか。普段私と同じように、寄り添って見て、心が動かされる見方をしてる人が、どう感じるのか気になる。

そういえば、この作品においては登場人物の行動理由の描写や説明がすごく丁寧で、悲伝の不親切さはなんだったんだろうなってなりました。やはり公式側からの要件だったんだろうか…。

言わない、聞かない

印象的だったのが「言わない、聞かない」、もしくはそれをしようとしたところで邪魔が入るシチュエーションが頻出すること。10とは言わないまでも、7,8回はあるんじゃないかな。悲伝でさんざん「うん…?」ってなった後だったから、また出てきた、あ、まただってめちゃくちゃ印象的で、たぶん末満さん、こういうのが好きなんだろうな…って思っておもしろかったです。

散々出てくるのを見てて、あ、そうかって思ったのが、邪魔が入るシチュエーションに関しては、単純に、会話の聞き手と観客へのほのめかしでいいと思うんだけど、言わない・聞かないに関しては、単に情報伝達が行われないだけじゃなくて、恐れや不安、ためらいなんかの表現なんですよね。私のような単純スピリットで生きてる者は言わない・聞かない理由を2,3パターンしか持ってないからあまり読み取れないんだけど、こういう表現が好きな人はより楽しいんだろうなぁと感じました。

結局のところ

「私にとって悲伝が受け入れがたい作品であること」が受け入れられなくてもだもだしてたんだなぁと思う。私も悲伝好きになりたかったな…。「最高傑作!」って盛り上がりたかった。

悲伝の不満点を書ききって、膿を出し尽くしたような気分になっています。ささらないポイントを数えることで、どれだけがんばっても、この作品が私にささることはないんだっていうのを確認して、ようやくあきらめがついた気がする。

過去記事どうしようかなぁと思ったんだけど、正直な感想ではあるし、どのみち検索からたどりつく人はほぼいないと思うので、そのままにしておきます。あと、もう今回みたいなのには出ないでほしいという呪い願いを込めて…(笑)

推しが出てなかったらここまでがんばってなかったと思うので、あわない部分も含めてなんとか飲み込もうとしてたことを考えると、「好き」ってすごいし、こわいなと思う。今回はできなくて破綻したけど、無理やり飲み込んで後からおかしくなる可能性もなくはないんだもんね…。

でも本当おもしろいな~って思うのが、どれだけ好きなシーンがあろうともメインがだめだとだめなんですよね。おかげでめちゃくちゃしんどかったし、最終的にはあわない部分を脳内で抹消するしかないな!ってなったんですけど。

はじめての虚無舞台

虚無リンピックの記事読みながら、なんだかんだで、これまで虚無舞台って見たことないなぁって思ってたんですが、すぐそこにあったやん…ということに気づきました。

そう、舞台「刀剣乱舞」~悲伝 結いの目の不如帰~ です。

ちょっと書き出したら楽しくなってしまったので、せっかくなのでUPします(笑)。


仲間のはずの三日月が光忠を刺し、「こ、これは一体…?」となるところから物語が一気に転がりだす。……のだが、なぜ三日月がその行動を取ったのかは最後まで明かされないまま終わる。理由を聞かれてもかたくなに答えない三日月。
「そうではない。しかし、言っても理解してもらえないだろうこともわかっている」
いや説明したれよ。

あらためて振り返ると、とにかく三日月にしゃべらせないために苦労したんだろうなというのがところどころ伺えるのはおもしろいのだけど、元々三日月が好きな人や(もちろんステ三日月が好きな人も含む)、「三日月は大事なことをしゃべらない」というポイントに萌えられる人でないと「なんかよくわかんないけど、ひどいことしてひっかきまわして去った人」に対して共感しないといけなくなってしまうのでなかなかにつらい。
(好みの問題だと思うけど、ステ三日月は美しさを体現している…!という感じの感想を見るたびに「そうなんだ?」と思っていたタイプの人なので…)

3時間かけて、やりたかったことはそれかーい!というのがあり、メインのストーリー部分が虚無。

そこに絡むキャラもわりと行動原理が謎なことが多く、「自分で答えを見つけてね!」という部分が多いので、考えることが好きな人には楽しい舞台なんだろうと思うのだが、そこまで、、な人には、やたら不明点が多いだけの舞台に。

ただ、それ以外のエピソードはおもしろいものもあり、まるごと虚無ではないのが救い。